ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く食欲そそられますね 下足はミンチにし…
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労働という分野ならどこでも、医療であれ、製造であれ、情報産業であれ、中枢にあたる「将軍」や「参謀」にあたるポジションというのは限られているし、全ての人を「将軍」や「参謀」にしていては船頭だらけの難破船になってしまう。実際に現場が必要としているのは沢山の「兵士」だ。中枢の手足となって働く「兵士」が欲しい。下士官ぐらいは幾らか必要かもしれないが、それだって兵士よりは数が少なくてもいい。労働という分野でたくさん必要とされているのは、何も考えない、「個性の違い」に拘泥しない、えらい人の言うことは何でも聞いて、共通規格の部品で動く歯車だ。望むらくは、消費者としての多様性すらみられない、没個性的な金太郎飴のような労働者がいい−−不満を抱いた時に、何か共通の娯楽でも与えてやれば黙ってくれるような労働者がいい。それでも人間は幸せになれないことはない*1。 にもかかわらず、そこここの教育分野では、こうした「
いつ撃たれるか不明という圧力のゲーム 昨晩のコラム「祭りと祟りと、生き残り戦略」に追加補足。 今日昼寝から起きて「はてブ」見たら 18歳未満「に見えたら」児童ポルノ認定 とか在りましたけど、これなんかは、まさに「祟りルール戦略」のパターンだよなーと思う。 -------- カウボーイが道の上に線を引いて 「この線を越えたら、容赦なく撃つぜ」 ・・・と言うセリフを、 「この線を越えようとしてるような気がするな〜〜〜、 ・・・と誰かがつぶやいたら、容赦なく撃つぜ」 と言い換えるようなものでして。 言われる方は、 「えええええ?」 って感じですな。 明確な境界線がないから、下手したらクシャミするだけで撃たれるかもしれん。 「ビクビクして暮らす」 ことになる。 -------- もちろん、その 「ビクビク」 こそが、望んでいる効果であるわけです。 ちゃんと線を引いてしまうと、線の傍ま
不思議迷宮録シレン -希望の壺- ※オリジナルの設定と大きく異なったり、あながち間違っていなかったりします
猿虎日記 - 日本のデモ というわけで、まどろっこしい書き方になってしまったが、つまり、いい悪いは別として、デモの絶滅、という問題は、デモに行く人々の問題であるというよりデモに行かない人々の問題ではないか、そして、デモに行かせる人々(動員する運動、団体etc.)の問題であるというよりは*4、<デモに行かせない人々(政府、メディア、知識人etc.)の問題ではないか、と思うのである。 このエントリーを読んでの、ぼくの感想は、ブックマークにも書いたように「自戒」ということです。 というのは、ぼくも今年に入ってから特に「運動」関連のエントリーを多く書いてるんですが、「デモに行く人々」や特に「デモに行かせる人々」に文句を言うような形になることがしばしばあったと思うからです。 たとえば運動関係のMLとかでそういうことを議論したりするなら分かるけど、ここでの「運動」批判みたいなのは、ほとんど非当事者的に
この件に関連するサイト (敬称略。トラバ送信先) : 当サイト本館の Opinion 障害報告@webry にゃんこの独り言 南の島の何でもあり 【真っ赤な血潮が】革命ごっこ【ドンバラヤ】 罵詈総論(ニュースを騙る) スピード狂いの日常(仮) キャンプと本とプログラミング 落伍弟子のブログ そーのうちなんとかな~るだろぉ~ 綾波書店 個人研究者の愚痴帳 KWAT の blog 三号二型 D.B.E 遊撃隊 アルマヴィルへの道 風枕 Fucker’s Diary 秋葉原のヨドバシに行くと、Panasonic の Toughbook を展示してあります。目の付け所は買いますけれど、いったい 1 年に何台売れるでしょうか。貴重な展示スペースを使っているだけに、ちょっと心配になってしまいます。 それはそれとして、最高に噴飯モノの投稿に関する御注進をいただいたので紹介しましょう。 [paml:053
宗教家とは対話できないのは分かっているが、まだ宗教に染まっていない人への判断材料提供ということで。 http://gsheep.exblog.jp/2011667/ 「遺伝子組み換えが安全である」とか、「危険である」とか、それを証明する為の実験は、全く不要である。 まあ大体においてこんな感じなんですな、あっち系の人は。 もう、神の冒涜に繋がる考えは一切認めないというね。 是非を問うこと自体を拒否している。対話もクソもない。 私としてはただ事実のみを淡々と記すが、だいたい農作物というものは普通「組み換え」の結果生じているものであるということだけは、食の安全とかを「これから」勉強しようとしている人には理解して欲しいとおもうのである。(「これまで」勉強してきた人にも勿論理解して欲しいとは思うのだが、すでに天笠とか安田とかの騒ぎ屋に洗脳されてしまった人には残念ながら多くは期待できまい。だから、私は
文字で何と書いてあるかではなく書いた人間が一体何を狙ってそこにその文章を書いたのかを考える。文字自体はほとんど読む必要がない。なぜなら彼の本当の狙いは文字としては書かれていない。狙いが分かったら後はそれを失敗させる。 「狙い」の典型的なパターン 場の雰囲気を悪化させたい。 誰かのやる気を無くさせたい。 誰かと誰かの関係を悪化させたい。 煽りに反応させることで相手の人望を失わせたい。 それらを為すことで自己顕示したい。 煽る人間はその行為によって伺かが変わって欲しいと考えている。従って煽る人間からしてみれば反論だろうと罵倒だろうととにかく誰かから何らかの反応を引き出せたら成功であるということに注意しなくてはならない。 最も多くのケースを効果的に解決できる手段は、安易ではあるが、「全員一致での無視」である。もし不幸にも煽りに対してまともに反応してしまう人間が身内にいるなら、何とかしてその人間を
自分の意見を「冷静に、正論のように」語る人がいて、そういう人が嫌いだなあ、と思う。個人的な好き嫌いなのに、いかにも正しい事のように語る人。ある意味詭弁だったりするんだけど、丁寧語で語られると、意外に正しく見えたりする。ネタとしてではなく、自分でもそれが正しいと思い込んでいたりすると、これ以上に厄介な人間はいないと思う。 だから僕はむしろ、正論を暴論のように語りたいな、と思う。
<訳者より> 本テキストは英国のウエールズ大学のダニエル・チャンドラー博士による記号論への入門書のオンライン版であり、インターネット上で公開されているものです。このオンライン・テキストは評判が良く、1995年公開以来のアクセス回数は56万回(2004年2月時点)にもなっています。 訳者は2002年4月まで35年間、企業の研究所に勤務していたシステム分析が専門の技術者ですが、記号論の本の中に、「システム」という言葉がたびたび出てくることから記号論に興味を覚え、インターネット上で調べていたところ本テキストと出会いました。記号論の主要トピックスをソシュールの記号学および構造主義をベースに、丁寧に説明しており具体的な例も多く観念的でないことから、記号論を勉強してみたいと思っている人、記号論の勉強を始めたがよく分からず挫折した人にとって良い参考書になるのではないかと感じました(残念ながら、日本では、
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
自分が無反応のままでは、さすがに相手も話しづらくなります。うなずきや相槌など、反応を示しながら聞くことで、話を聞こうとする自分の熱意が伝わり、相手も話しやすくなるのです。 相手の話を聞きながら、「なるほど」「そうですか」「へー」などと、自分が言語的反応を示せば、相槌を打ったことになります。相槌は頻繁すぎるとわざとらしくなり、相手の話の腰を折ることにもなります。あくまでも相手の話を促すのが相槌のねらいであり、その範囲内に留める方がよいでしょう。 「なるほど」「そうですか」といった意味を、首を縦に振る非言語的(身体的)反応で表せば、うなずいたことになります。うなずきが相手の話の腰を折る危険性は少なく、そのために相槌よりも頻繁に用いられます。 うなずきや相槌の合間に「〜なのですね」と、相手の言葉の一部を繰り返しながら聞くと、話を聞こうとする自分の熱意が、いっそう効果的に伝わります。また、そ
デモについての記事をいくら書いても何かもやもやしたものが残るのは、やはり、デモ否定派を批判するとどうしてもデモ擁護派のような書き方になってしまうからである、と気づいた。というわけで、メーデーの今日、反デモ宣言を行うことにします。 デモに行かないという「負い目」 kmizusawaさんの文章を再び引用する。 勉強が好きな人やその案件に問題意識や興味を持ってる人にとってはなんでもない、もしくは必要だと感じられる知識の収集や興味の持続や「考える」ことが、「わかりたくない」人にとっては「もうたくさん」なことなのではないだろうか。すべての人がそういうことに興味を持てるだけの知識や情報や教養やモチベーションやキャパシティを得られるわけでも、学習のための時間や機会や気持ちの余裕を得られるわけでもない。興味の向きとか立ち位置とかもぜんぜん違う。共謀罪や教育基本法の「改正」は大変なことだが、それよりもバイト
■[Hiki] アパシー性人格障害の診断基準。 2006年04月28日 ssuguru だれかチェックシート作ってー http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/todesking/20060425/p2 と書いてあったので、(準ひきこもりそのものじゃないけど)下山による診断基準を載せておくよ。 A. 心理的には無気力(アパシー)状態にあるにもかかわらず、表面的な適応にこだわりつづける広範な様式で、青年期中期から成人期にわたる広い範囲の年代で始まり、種々の状況で明らかになる。以下の5つ(またはそれ以上)によって示される。 適応を期待する他者の気持ちを先取りした受動的な生活史がみられる。 適応的で自立している自己像への自己愛的な固執がみられる。 他者から不適応を批判や非難されることに対して強い恐怖心や警戒心をもつ。 不適応があからさまに
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