日々、ネット上の興味深いソースを紹介し、自分でも様々な話題について力の入った論考をアップしている人文系ニュースブログ「成城トランスカレッジ!」のchiki氏が5月2日に「こういうご都合主義はちょっとイヤなのだ」というエントリーを書いている。 ここでchiki氏は「そもそもある種の差別が、特定の思想や立場や人物などに対しては例外的に容認されるかのようなムード自体に反対で、そのようにご都合主義的に振舞うことは極力禁欲したい」という立場で、福井県生活学習館からフェミニズムに関連しそうな150冊の本が撤去されたというニュースを喜ぶ人達を批判している。 この原理的な立場も各論も私はまったく賛成で、このニュース自体を知らなかったことも含め有益だった。 しかしこのエントリーの後半について、論理的におかしいということではないが、chiki氏がとる立場を表明している表明の仕方自体に対する違和感を表明しておく
たまにはエントリーでぼやいてみる。例の世界日報から「県側は過激図書を排除」という記事が出ていて、これに対してフェミニズムに反感を持っている一部の人がはしゃいでいたりする(参考)。記事の内容は、福井県生活学習館からフェミニズムに関連しそうな150冊の本が撤去されたというもの。これってどうなんだろう、というのが素朴な感想。この場合の「これ」とは、福井県生活学習館から特定の本が排除されるという事件そのものよりは、むしろそれを是とする論法の方だ。 chikiは、そもそもある種の差別が、特定の思想や立場や人物などに対しては例外的に容認されるかのようなムード自体に反対で、そのようにご都合主義的に振舞うことは極力禁欲したいと思っているし、そのようなスタンスを取る発言者からはできるだけ距離をとるようにしている。今回の話にひきつければ、例えば「焚書」の対象が仮につくる会の本であろうと石原慎太郎の本であろうと
ポエム俺は人とはちょっと違う「みんなそう思ってるよね」嘘つけお前はたまにしか思わない 俺は四六時中思い知らされているのだ 俺を誘わないお前らに俺達から何もかも奪うな 俺は心を少し病んでいる「甘えるなよ似非メンヘル」お前は俺をどこに押しているのか解っているか 俺が真のメンヘルとやらになった時 お前はほっかむりをしてとぼけるのだ俺達から何もかも奪うな 俺は詳しい「知識をひけらかされてもね」お前がおぐしの手入れをしている夜に 俺は馬琴を読んでいるのだ俺達から何もかも奪うな 全ての人は なぜ幸せになれないのだろうどうして人は 他人の自分が憎いのだろうとりあえず俺達から何もかも奪うな 愛などいらぬ「酸っぱいブドウだよ」ブドウが甘いことなどフィーリングで知っている お前が愛知りそめし頃 俺は不良に絡まれていたのだ俺達から何もかも奪うな それぞれの人は具体的な運命を盛られた器です人が人を遠ざける呪文は抽
なんか、最近のハテブ界隈を見てると、メタ・エントリ系がいよいよ活発になってきているけど、最近あまり良質のメタエントリが少ない印象。今後の自分がエントリを書く参考に、よいメタと悪いメタの特徴をまとめてみた。 よいメタ 正誤にかかわらず、新しい視点を提供する 無数にあるポジショニングを俯瞰する 暴走した議論を、引っ張りもどす 議論の盲点を拾い上げる 混沌とした現状に、立脚点を与える 賛否にかかわらず、次の議論の基点となる これはひどいメタ 先人が積み上げた高みから、新しく積みあげようとする人を批判する 偉い人の言葉を、他人の意見を否定する根拠にだけ使う 色々並べただけで、何も言ってない 既存の列挙を結論として、議論を締める 議論に何も寄与しない 本論は罵詈雑言しか釣れない エントリを要約すると「おまえ馬鹿、俺は賢い」に集約できる メタ視点というのは、一般的に他者の議論を無化して、独壇場を作り出
コメント欄 ぼく個人にかんしていうなら、コメントはたくさんついていたほうが嬉しいです。というか、ぼくはコメントがなくなったらブログをやめると思います。なにかしらの反応が返ってくるからやる気が持続できるのであって、発言することじたいが目的であるわけではない。 たしかにコメント欄をひらいているかぎり、気の滅入るネガティヴコメントが書き込まれる可能性はつねにあります。ただ、ぼくはそれでもコメントがあったほうがいいと選択したということですね。善悪の問題ではなく、意志の問題です。--http://d.hatena.ne.jp/kaien/20060428/p1 使えない記号@?B で、もし分類に記号を使ったらどういう順番になるのか、使える記号、使えない記号があるのか、と適当に調べてみたら、こんな感じになりました。 半角スペース>!>">#>$>&>'>*>+>->半角数字>;>[<]>[>]>@>半
猿虎さんのここ数日のエントリを読んでの感想。 猿虎日記 - 勉強とヒマとデモ 猿虎日記 - デモの行き方1 猿虎日記 - デモなんか行かない方がいい。むしろジョギングを。 たとえば、デモに参加しようとして集合場所に行ったとする。 大抵の場合は主催者側による集会かなんかが行われていて、旗やノボリが立ち並び、仰々しい字や奇妙なほどに媚びた字で書かれた「可愛い」横断幕が貼られていたりする。集会の中心にはスピーチする人と主なデモの参加者たる聴衆がいて、遠巻きに十数人の規模の公安警察が集会を眺めている。――これが典型的な「デモ前の集会」の情景だろう。 で、デモが始まってみると、どこから沸いたのか知らないが、いつの間にかデモの隊列の外側を、まるで薄いラバーのようにピッタリと警官が寄り添い、見張られてるのか護送されてるのかよく分からない様相を見せて、一つの粘菌の群体のようにうねうねと通りを移動していくこ
雑感自分のウエブログのタイトルは「煩悩是道場」と言います。これは煩悩という事を消し去ろう、という考えではなく、むしろ煩悩を肯定し、向き合う事で煩悩をこそ自己研鑽の道場である、という思想に立脚した思想なのですが、これが実は松永さんの思想と真っ向からぶつかっていたのだ、という事に気付いた、というお話。気付いたきっかけこのエントリを書く動機になったのは二つの記事を読んだからです。本論に入る前に簡単に二つの記事に対して現時点での感想を交えて書いておきたい、と思います。 一つめ。私が松永さんに感じた違和感、それは「当事者性を感じない」という後ろめたさの欠如にあります。当時教団に在籍して、もしかしたら自分がやっていたかもしれない犯罪に対し、あまりに無自覚ではないか、と。そうした点についてもうちょっとインタビューで松永さんの考えを聞きたかったのですが、残念ながらそのような内容は読み取る事は出来ませんでし
なぜ「涙するほどの感動」は、フィクションや「他人の物語」のなかにしか存在しないのですか?
illustration by Takahashi Rina 秋葉原勤務のヲタが日々の雑感などを書いてます。 « 本日の気になるネタ | メイン | 秋葉原で政府によるオタク狩りが始まるらしい » 2006年05月01日 ■秋葉原 秋葉原歩行者天国、その後 場違いなバンドが消えたと思ったら、いつのまにか売れないアイドルのプロモーションと、コスプレ撮影会場になっていた秋葉原の歩行者天国ですが、ついにホコ天内での立ち止まりに対して厳しい注意が入るようになってしまいました。 警察官がトラメガ片手に自転車の走行を注意しつつ、数名で一定時間以上(10分程度)たむろしている集団に対して、「さっきからずっと立ち止まってるけど、何をやっているの?」とかなり厳しい口調で注意が入り、移動をさせられていたのが昨日の状況。 これは明らかにコスプレ撮影会やチラシ配布に対する警告目的の取り締まりであり、ただ立ち止まっ
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
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