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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (7)

  • なぜ「生産消費者」は非金銭経済を目指すのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「プロシューマー(生産消費者)」と非金銭経済 「BS特集 未来への提言スペシャル 未来学者 アルビン・トフラー “知の巨人”との対話」を見ました。トフラーの「富の未来」(ASIN:4062134527)はまだ読んでいないのですが、番組の中で「プロシューマー(生産消費者)」というのはおもしろと思いました。「プロシューマー(生産消費者)」とは、ボランティア、趣味で畑仕事、日曜大工をする人、最近では、ネットの群衆知など、DIY(Do It Yourself)型で自分で自分のために労働する人々です。 最近のWeb2.0や、グーグル化の議論はネットに生まれた群衆知をいかにお金にかえるシステムをつくるのか、ということですが、「プロシューマー(生産消費者)」という概念の射程の大きさは、このような従来の金銭経済と並行して非金銭経済という新たな潮流が生まれている。「金銭を使わないまま、多数の必要や欲求を満た

    なぜ「生産消費者」は非金銭経済を目指すのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    setofuumi
    setofuumi 2007/01/08
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  • まなざしの快楽〜「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか

    いじめ対策としての異なるチャンネルの確保 いじめが問題になっているが、いかにいじめをなくすか、という論点は不毛なように思う。暴力などの犯罪行為ならいざしらず、無視、陰口などの集団的ないじめは、人間のコミュニティにおいて必然ではないだろうか。誰かを外部へ排他することが内部を形成する条件であるように思う。そしてだれが排他されるかは、偶然であり、だれもが排他される可能性がある。 様々に語られるいじめ対策の中で、比較的有効だろうと思ったのが、学校のクラスなどの小さな世界に埋没せず、異なるチャンネルを確保しようというアドバイスである。 自意識は1回性に支えられる 多くの悩みは他の人からみるとなんてことはない。なんでそんなことぐらいで、悩み、極端には死を選ぶのだろうかと思う。その程度のことは誰もが経験することで、そのうちなんとかなるよ。そんなに思い詰めない方がよい、と考える。 ここにあるのは、1回性と

    まなざしの快楽〜「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか
  • ヘタレ化するポストモダン - ネットコミュニケーションは必ず失敗する

    ハイコンテクストニッポン たとえば、アメリカでエレベータにのりこむとき、先にのっていたアメリカ人が挨拶のようにニコって微笑むのに驚いた。この習慣がどれほど一般的か、わからないが、1週間程度の滞在期間に何度か経験したので、結構一般的なことではないだろうか。 このような習慣は日ではない。これは逆に日は「ハイコンテクスト」な社会で、アメリカは「ローコンテクスト」は社会ということではないだろうか。電車で黒人に隣に座られると落ち着かなかったりする。隣にいつものように日人が座れば、そこには「暗黙の儀礼」が共有されているだろう、安心がある。(それは当に共有されているということではなく、共有されているだろうという思いこみであるが、)しかし突然慣れない、黒人が座られると、いつもの慣習が成り立たないのではないか、なにか予想もできないことが起こるのではないかという、「暗闇」があらわれる。冷静に考えれば、

    ヘタレ化するポストモダン - ネットコミュニケーションは必ず失敗する
    setofuumi
    setofuumi 2006/09/26
    セカイ系
  • ネットと社会はなぜ「断絶」するのか(全体)  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    1 「ボロメオの結び目」としての社会 2 愛と憎しみのネット社会 3 純粋略奪関係というバランス 4 透きとおった「帝国」 5 純粋略奪の快楽 6 終わりなき「断絶」 7 YouTubeの事例 1 「ボロメオの結び目」としての社会 ① 資社会/ネット社会への二重帰属性 ネット住人は資社会からみると「外部」にいる山賊、異教徒に近いのかもしれない。そう考えると様々な資社会に対する反抗、略奪、悪態、排他がわかりやすい。しかし基的に「彼ら」が資社会内部の人間でもあることを考えると、この二重帰属性はとても不思議である。 ② 資社会の貨幣価値への還元作用 資社会を支える貨幣交換という「交通様式」は、「象徴的」システムである。たとえば「人間の平等」は貨幣経済の産物であるといわれる。紙である貨幣が価値を持つこと、「人間の平等」など、それらは資社会内部の無意識(「象徴界」)の信頼によって支え

    ネットと社会はなぜ「断絶」するのか(全体)  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ「VIPPERvsVIPブログ連合」は聖戦なのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「VIPPERvsVIPブログ連合」という聖戦 流行りは、「VIPPERvsVIPブログ連合」*1らしい。簡単にいえば、2ちゃんねるVIPネタを自分のブログでまとめて人を呼び、アフィリエイトなどで小銭を稼ぐのはけしからん、ということだ。(詳細はこのあたり*2、*3) 「のま」問題の再来といってもいいだろう。「のま」問題のときに、ボクはこれは「宗教戦争だ」といった。 このような意味で、2ちゃんねらーにとって「オマエモナー」は、単なる流行のフレーズ以上の特別な意味を持つ。 そして「モナー」とはこのような最強神としての偶像化である。「のまネコ」問題とは、その神が「無断で」金儲けに使われたのであり、神聖な神への冒涜の意味がある。これはある意味2ちゃねらーにとっても「宗教戦争」なのである。そうこれは「宗教戦争」というネタであるが、またマジなのだ。 「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか

    なぜ「VIPPERvsVIPブログ連合」は聖戦なのか  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「空気を読む」という闘争 ボクは「コンテクスト(まなざし、文脈)」についていくつか語ってきたが、SocioLogic(lovelesszero5.0)*1に面白い内容が書かれている。 空気の読める社会(1) 以前、子どもたちの間では「空気が読めないこと」が最も嫌われる、という話があったが、これは、大人の間でも共通しているようである。価値観が多様化した、とされる社会では、「素直に」考えれば、ハイコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が多い)コミュニケーション空間からローコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が少ない)コミュニケーション空間へと変化するということであり、「コミュニケーション」の来の意味である、(特に異なる価値観の人の間での)意思疎通のためにはより明確に言語化した対話が重要になると考えるのが一見自然である。・・・しかしその一方で、冒頭の「空気を読む」というの

    なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • オタクであることはなぜ恥ずかしいのか

    なぜ「オタク」は恥ずかしのか 「涼宮ハルヒの憂」がなにげに人気です。ストーリーテーラー役のキョンはいつも被害者で、いつも正常(正しい)です。それは、責任はいつも外部にあるという責任回避的立場です。それでいて、ハルヒに繋がることでセカイの中心にいることができる。これってとても幸せな立場です。 そもそもセカイの中心にいることは難しいことですが、それで重要な位置にいるときには、そこに大きな責任がともなうものです。しかしキョンは責任回避しながらセカイの中心にいられるわけです。それでいてかわいい女性に好かれるのですから、こんな都合の良い、おいしい立ち位置はありません。これがセカイ系の物語の一般的なパターンではないでしょうか。 セカイ系の物語へはまることの「恥ずかしさ」は、このような「責任回避しながらセカイの中心にいる」というとても都合の良い、そして「現実逃避」的であるからです。「オタク系アニメ」は

    setofuumi
    setofuumi 2006/05/26
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