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kmiuraに関するsphynxのブックマーク (49)

  • ギリシャ - kom’s log

    過去無珍先生と離れて暮らしたのは最大48時間であるが、ついに4泊5日のミーティングに一人で参加して少々緊張気味。義理の妹にこの半月で左ハンドル右側通行マニュアル運転をカタロニア人の友人と共に特訓し、送り迎え等に効率の滞りがないように計らったのであるがやはり不安である。ひそかに友人一同にも私がしばらくいなくなることを告げ、たとえ私が道中遅滞、逮捕、行き倒れなどになってもどうにかなるようにはからったつもりである。とはいえ、今日は泣いていないだろうか、など不安になりながら、ここ数年はじめて格的にひまになった時間、空港で待合席に座りながら虚空を眺めたり、ミーティングのコーヒーブレークの列にならんでぼけっとした瞬間、私は育てるのに必死なばかりだったのではないか、とはたと気がついた。無珍先生を自分が好きになっていることにはじめて気がついたのである。無珍先生という人間、たとえば今日は保育園で例のごとく

    ギリシャ - kom’s log
  • 近況 - kom’s log

    ー 無珍先生はかなり言葉をしゃべるようになってきた。ドイツ語と日語のごたまぜ。単語をふたつならべてしゃべる感じである。それでも結構なコミュニケーションがとれるので、なかなか楽しい。ただ、朝まだこちらが寝ているときにダイビングで飛び乗ってきて「パパ起きた、パパ起きた」と騒ぐのは心臓がでんぐりがえるので勘弁してほしい思う。散歩の帰り道には家の近くにあるジェラート屋の前をとおるかなりて手前から「アイス、アイス、アイス」と催促する。一番少量のセットである三つほどの玉のアイスクリームのうちひとつを自分で選び3ユーロで買って、手をべたべたにしながら自分でもって家に戻り、ご満悦でアイスクリームをべる。アイスクリームはあまり好きではなかったが、付き合ってべているうちになんとなく好きになってきた。 ー 6時半頃家にかえってからのあそびの催促はたいへんなもので、寝てしまう9時過ぎまで私はなにもできない。

    近況 - kom’s log
  • 被曝リスクの計算について。 - kom’s log

    在日アメリカ人に向けて放射線のリスクを説明する短いセッションが2011年4月7日に東京で開かれた。米国大使館のウェブサイトにビデオへのリンクが貼られており、Youtubeで4つのセッションを眺めることができる。そのうち、放射線の健康リスクに関するセッションを私も見てみた。米国の国立がんセンターのSteve Simonさんによる、セミナー形式。 http://www.youtube.com/watch?v=ESyWIbcI_qE セッションの内容の概略は以下のようなものだ。 車の運転やスポーツのリスク、タバコのリスク。タバコを一ヶ月に一吸うと身体にわるいか?一日に一だったら?あるいは一日一箱だったら?ものは程度による。放射能のリスクも同じようなことである。 放射線はどんなに微弱なレベルであっても人体に影響を与える。この影響が健康を害する結果(特に癌)にいたるかどうかは確率的に決まる。この

    被曝リスクの計算について。 - kom’s log
  • 2011-03-27 - kom’s log

    24日から27日にかけて、全体として放射線率は徐々に低下傾向。 3月24日16:00 3月25日16:00 3月26日16:00 3月27日16:00 近く、前のプロットも含めてまとめ、細かい説明も加える予定です。 データについては以前のものと同じソースなので、今のところそちらの解説を参照にしてください。 フレームが多くなってきたので、いずれ15日あたりからの積算値概算やアニメーションも加えるつもり。 この数日ではっきりしたこと。楽観的なシナリオは冷却系が外部電源によって自動的に冷却されることである。しかし、いまだ冷却系の破損そのものの状況がわかっておらず、さらには漏洩する高濃度の放射線物質を含んだ水によって、修理の難度が高くなってしまった。なにしろ継続して人が故障部位に入ることができないのである。したがって、現状で想定される今後数ヶ月の、ありそうなシナリオは、原子炉や使用済み燃料棒を今の

    2011-03-27 - kom’s log
  • 2011-03-23

    23日16時 22日から若干全体に強度が低下し、前線が後退したようにみえる。 データに関して、昨日のものを訂正した。測定点をすべて県庁所在地としていたが、そうではない場所がいくつか。 千葉県 千葉市>市原市 神奈川県 横浜市>茅ヶ崎市 富山県 富山市>射水市 岐阜県 岐阜市>各務原市 など。上の図に関わる部分だけリストした。GPS座標をこれに応じて変更、プロットしなおした。 なお、プロットの際に、機械的に値を内挿して等高線を引いており、地形などは考慮していない。 さいたま市のデータは停電で16時の測定がなかったので、15時のものを使った。 まあ、私のような分野の素人ではなく気象学者とかリモートセンシングとか専門家がこうしたことをどんどんやってくれるのが待たれる。正確さを期して遠慮しているのかもしらんが。 21日から22日にかけての新宿百人町で測定された降下放射線量 放射性ヨード(131I)

    2011-03-23
  • 2011-03-22

    東北南部、関東の放射線率の大域分布がどこにもみあたらないので、等高線プロットした。 使ったデータは、文科省発表のものを機械可読化したデータを使用した。 そのままではきわめて読み込みにくいPDFのテーブルから、可読な形に変換しているのは三重大学の奥村さん*1、NTTデータのスタッフなどのボランティアの努力によっている。もとのデータはおそらくエクセルなどのスプレッドシートに文科省の担当者はまとめているはずなのに、書式にこだわってだかなんだか、この重大なデータの汎用性がさがっている。このあたりどうにかできないものか。 18日16時 20日16時 21日16時 22日16時 また、この文科省のデータからはなぜか福島県と宮城県のデータが省かれている。福島県庁のウェブサイトにいけば、データがあるのだからなぜ他の県と同じようにまとめてくれないのか、とも思う。うえのプロットには、福島県庁のサイトのデータも

    2011-03-22
  • ■ - kom’s log

    ウィキリークスのアサンジはアナーキストである、国家を弱体化させ、人々を混乱に突き落とす危険な人物である、しかしながらアナーキズムには中心はなく、アサンジがいなくなったところで、こうした国家を弱体化させる動きはなくなることはないだろう、警戒せよ、というようなことを佐藤優がいっている。同じような見解をもっている人間がたくさんいるだろう。佐藤優は国士であるからしてこのようなことをいうのだろうけれど、マスメディアの来の役割をウィキリークスが正統に果たしているにすぎない。言い方をかえる。権力分立という考え方からすれば、報道やジャーナリズムは来権力にたいしてメディアという権力をもって拮抗すべき存在であるが、日のメディアはもちろん、米国のメディアでさえ、国家権力と互いに目配せをしながら「国を運営している」という総動員体制が実態である。国家に拮抗する権力としてウィキリークス的な存在があるのが来の権

    ■ - kom’s log
  • ■ - kom’s log

    築地の場外の刃物屋で牡蠣剥きの器具を買った。ヨーロッパと比べると、刃渡りが長く細身。日の牡蠣のほうが一般にサイズが大きめだからこのようなことになるのかな、と思う。店の人に、牡蠣剥き器のことをきいたら、プロ用のものもあるというので、見せてもらったのだが、切り出しナイフを細くしたような形で、先端はとがっている。斜めに短く刃がついている。貝柱をキレイにさくっと切ることができるそうである。彫刻刀にみえなくもない。カッコイイ、と心の中で感嘆し、欲しくなったが私は普通の牡蠣向き器でも手をさすことが時々ある。とくに酔っ払いながらやると刺す。かくなるプロ仕様でやったら、手の平をざっくりやってしまう可能性があるので、自ら禁じることにした。あー。それにしてもかっこいい刃物であった。 成田空港の屋で(思えば今回屋にいったのはこの屋だけだった)中央公論の大学問題関連の特集に気がついたので、買って機中で読ん

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  • ■ - kom’s log

    長年、年賀状無用派だった私であるが昨年からカードを大々的に送ることにした。今年も返事がいろいろくるので楽しい。Eメールとちがってあまりコンタクトをとっていない人でもだせる、という感じなので、やはり違うものだなあ、と思う。アメリカ人みたいに、今年一年のそれぞれの様子などを記した日語ないしは英語の2010年報告を挟みこんだのだが、これに関して院生時代のアメリカ人の教授から「すばらしい書きっぷりだ、とくにトーンがよい」とお褒めの返事をいただいた。かつてさんざん英文をけなされ、落ち込みながらえんえんと何度もドラフトを直し続けたという関係があるだけに、この教授の褒め言葉は実にうれしかった。 事記録 14日 朝2時に起きた無珍先生に合わせて夕飯だか朝飯だか。肉じゃが、サラダ、えのきの味噌汁。出勤してからクロワッサン、チーズのサンドイッチ。鶏と葱の生姜いためにサラダ、豆腐とわかめの味噌汁。 15日 

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  • ■ - kom’s log

    母校の学部4年生向けセミナーで講義。1年半ほどかかわった共同研究の話をした。 実に激しい競争が起きている分野だったので、それを目の当たりにしてなおかつ巻き込まれた経験は私にとって面白くはあったが辟易する場面もかなりあったりした。なにしろ、プロジェクトの立ち上げにかかわり論文に名前が入ることが最初から決定していた元院生がその後競争相手のラボのポスドクになって論文の結論に反旗を翻す一方、また別の研究室が真っ向から対立するデータを出し、さらに私自身の解析は、どちらかというと敵方に組するような結果となった、というような錯綜する状況で、論文の落としどころは極めて困難な状況になった。さらにネイチャーやサイエンスの編集者との終わりなきバトル(電話とか、アポなし学会突撃などである)まで延焼し、結局対立点をすり合わせながらギリギリの合意点に到達、という論文になった。科学はそうやって仮説を戦わせながらすすんで

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    2年足らずの間につぎつぎと亡くなった義理の祖父、義理の母、自分のが残したものを、日に来るたびに少しづつ片付けている。義理の祖父は中国史の学者、義理の母は栄養学の研究者、自分のは建築設計者であったが、いずれもや書類を集積するのが仕事の一部であるので(とくに歴史家が天寿をまっとうして残したの数は激烈である)、片付けるといっても一気に終えられるものではない。だから、日に帰ってくるたびにや書類を片付ける、という作業がスケジュールに入る。 埃をかぶりながら茶色を通り越してほとんどくろずんだ戦前の中国文化論のなどを眺めているうちに、抽象的なことを考える。人口構成比を考えると、これからの日人の若い世代が行うのは、上の世代が生きた時代の後片付けなのではないだろうか。日の成長の時代はとっくに過ぎて停滞となり、今後は衰退する。国の調子が循環的に変動するものならば、成長の時代はまたやってくる

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    事記録 3日 きのこの味噌汁。実家提供の鰤味噌漬け。めかぶ、もずく。ファミリーマートの”しゅうまい弁当”。長野にある恩師別邸にておせち料理。鰤大根を山ほどいただく。いつぞや鰤大根ほどすばらしいべ物はめったにない、と演説したのを旦那先生が覚えていてくれたらしく、わざわざ作ってくれたのだそうである。お酒は沖縄焼酎。社会学専攻の学部生と議論しながら一空けた。ルーマンとか、社会工学的な話。シミュレーションしたい、というので、生物学ではどんな手法でシミュレーションをするのか、教えた。 4日 パン。新潟の「おはしガスト」なるファミレスで牛鍋定。無珍先生はしめじばかりべていた。肉は固くて嫌がる。「折紙」なる居酒屋で鰤の刺身主体の盛り合わせ。ものすごくうまい。無珍先生は通常マグロの赤身はべないのだが、ここの刺身はおいしかったらしく、座敷で寝る寸前までべ散らかしていた。柿の種で衣を作った鶏のか

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    あけましておめでとうございます。 今年もよろしく。 「萎縮する日」とかいうけど(やはり日にくるとこのようなスローガンが実に目立つ)、萎縮させているものはなんなのかな、と思う。自分でルール作って自分で縛っていっているのだから、「日の萎縮」の原因を探してもしょうもないのではないか。そんなわけで自縛自縄ってことばがあるんだけどね、と冷たく思ったりもするのだが、もうすこし腑分けすると、縛っているのは人工大多数の死にかけの世代、一方の少数派の若者は自分で縄をとかなければだめなのだ。しかも、縛っている人たちは「不甲斐ない若者」とかいいながら縛り上げている。したがって賢い人がなすべきなのは、なにが縄なのか、ということを明確に指摘し、「破壊せよ」「燃せ」と言明することだ。

    ■ - kom’s log
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    大雪に北陸難行かとおもいきや、一番寒い地域でも走行時の気温が1度Cだった。ドイツの気象条件に比べると実に穏やか。格的に道が凍っていたのは、経由した長野の標高1000メートルのあたりだけ。それでも北陸道では派手にクラッシュした直後の車の横を一度通った。あの程度の状況ですべるなんて、スタッドレスがまともじゃないんじゃないか、ただの夏タイヤなのだと思う。ドイツのひどいときは当にひどい。高速に外灯もついていないので、吹雪の時には速度感覚を失うし、視界はホワイトアウトする。塩をあらうためにワイパー液をやたらと使う。切れると運転できなくなるので、南ドイツ山間部長距離移動の場合は自分で補給しながら走る。 義理の妹が用事でてんてこまいなので、そのあいだ無珍先生をつれて「マリンピア日海」という水族館に行った。これが実に優秀な水族館で、無珍先生はイルカのショーや、悠然と泳ぐウミガメ、群れを成して回遊する

    ■ - kom’s log
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    今頃は日にいる予定だった。無珍先生が先週からひどい咳をともなう病気になって、何度か医者に診てもらったのだが、飛ぶ予定の8時間前に念のため診察してもらったところ、長時間のフライトにはリスクがある、とフライトの変更をすすめられた。ヘモグロビンの飽和濃度を調べる簡単な機械があるのだが、それでチェックしたところ通常よりもかなり低めで、咳がひどいとそんなことにもなる、という。飛行機の中の酸素分圧は地上と少々異なるので、それが無珍先生の容態にどのように影響するか予測不能、なのだそうだ。CRPもチェックしてもらったが、こちらはクリア。なんらかのウィルス感染である。 そんなわけでいそぐ旅でもないので飛行機を三日ほどずらした。パッキングなどすべてすんでいるし、仕事の方も一応いろいろカタがついているので、焦ることもない。そもそも、すでに休暇に入っていると仕事関係の人は思っているから、連絡もこない。そんなわけ

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  • 無珍先生概況 - kom’s log

    無珍先生が言葉をいくつか喋るようになってきた。お得意の言葉は"Nein!"である。うんこはカカ。トイレに連れて行け、というときはシーシ、と絶叫するが、トイレのことをシーシ、と定義しているらしい。私のことは"ニニ"といったり"パパ"といったりする。"パパ"は、保育園の先生が仕込んだらしい。義理の妹は"ネーネ"。私や義理の妹を"ママ"といったりすることがあって少々ドキドキするのだが、卓を囲むことを"ママ"と言っていることがこのところわかってきた。"ママ!"と何度も叫んでいる時は、腹が減っている時か、飯をおう、と誘っている時である。あるいはおもちゃの器を床にあつらえて、一緒にままごとをしよう、というときも"ママ!"。牛は”モーモ”。通勤途中に牧場の中を通過するので、日によっては牛の群れが草をんでいる。毎回それを見ては"モーモ!モーモ!"と大興奮して絶叫する。 家ではおおいに甘えているが、

    無珍先生概況 - kom’s log
  • ■ - kom’s log

    10月の頭にはオーストリアのインスブリュック大学の山の家(Obergurgle)、標高2000メートルにいった。日でいえば、合宿所、とかかな。院生などを教えた。ほとんどが地元の院生だが、ドイツからもちらほら。アメリカのバークレイからもひとりきていたが、帰省をかねてとのことだった。招待された講師の方は、ほとんどが知り合い、もしくは論文で名前を知っている人たちだったので、雑談がてら最近の業界ウラ事情など知ることができた。 例のごとく無珍先生と義理の妹を連れて行った。こうした専門的なコースの合宿に家族を連れてくる人はあまりいないので、珍しい人、ということになってしまう(義理の妹は事情を説明しない限り、奥さん、ということになる)。事とかの際に学術的な話をする一方で、無珍先生を追いかけ回して飯をわせたりすることになる。ただえさえ日人でマイノリティなのであるが、輪をかけてマイノリティになるので

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  • サンポ - kom’s log

    保育園からつれてかえって車を置いたあと、無珍先生は延々と道草をしたがる。荷物が大変なのでこのところは家に荷物をおいてから、日暮れちかくまで川べりを長い散歩。距離ではなく時間がながい。小石を集めたり、犬を追っかけたり、通行人にごみをプレゼントしたり階段を何度も上り下りしたり。知人にもすれちがう。今日は橋の上で。 私 「おお、ひさしぶり」 知人 「子供おおきくなったねー!」 私 「いやもうあっというま」 知人 「すごいね。元気そうでよかった。日には戻らないの?」 私 「まー、ポジションもそうないしなかなか」 知人 「じゃあまだこのままいるんだ」 私 「そっちはまだドイツだったの?てっきりオランダにとっくに戻ったものとおもってた」 知人 「まだドイツ。でもあと二日で引越しなんだ」 私 「そりゃまたすごい偶然だ。ぎりぎりであえてよかった」 知人 「しかもスイスなんだ。あたらしい職場」 私 「ます

    サンポ - kom’s log
  • 鰐 - kom’s log

    バリのおもちゃの話を書くのを忘れていた。写真まで撮っていたのに。 バリ・ウブドの市場でうろうろしていたら、通路に店をひろげたおもちゃ屋が輪ゴムでガタガタと動くワニのおもちゃを、ほれほれ、とばかりに無珍先生にこれ見よがしに見せつけた。明白なる子供だまし。あっというまに無珍先生は夢中になり離れなくなった。さすが子供である。おもちゃ屋のおやじは、高度なテクニックでワニを操作しながら無珍先生を釘付けにし、私をちら見しながら値段を述べる。立ち去ろうとする私に無珍先生は重大な抗議をし、おもちゃ屋はここぞとばかりにワニを操る手をはやめ、口にする値段を下げる。2対1の孤独な戦い。かくなるあまりにベタな手口にひっかかるとは。 最初5万ルピーだ、とふっかけられたのだが、結局5千ルピーで手をうった。ちなみにルピーは一昔前のイタリアリラのようにやたらと安い通貨なので、一万ルピーが100円、ないし1ユーロぐらい。景

    鰐 - kom’s log
  • バリ - kom’s log

    シンガポールからしばしの休暇でバリに行った。いろいろ楽しい旅行だったが、印象に残った一人の男について書く。 旅行先で観光ツアーに行くというのはいままでしたことがなかった。観光地にそもそも興味がない。飲んだりったりするほうが重要なのである。とはいえ一歳半の子供がいるので、飲んで回るわけにもいかない。車を運転してもらって観光地を回るんだったらラクだしできそうだな、と思ってはじめてツアーを頼んでみた。泊まっていたホテルのシャトルを運行している気のいいお兄ちゃんがしきりに売り込むので、ツアーをお願いすると決めたら即決だった。値段を聞いたら逆にいくらだったらいいか、というので、ガイドブックを見てそれよりも低めの値段をいったら、そのままだった。 当日ガイドとしてホテルにやってきたのはシャトルのお兄ちゃんではなく、日のチンピラのようなサングラスをかけた若い男だった。中肉中背、浅黒い肌に刈り込んだ髪。

    バリ - kom’s log