過去無珍先生と離れて暮らしたのは最大48時間であるが、ついに4泊5日のミーティングに一人で参加して少々緊張気味。義理の妹にこの半月で左ハンドル右側通行マニュアル運転をカタロニア人の友人と共に特訓し、送り迎え等に効率の滞りがないように計らったのであるがやはり不安である。ひそかに友人一同にも私がしばらくいなくなることを告げ、たとえ私が道中遅滞、逮捕、行き倒れなどになってもどうにかなるようにはからったつもりである。とはいえ、今日は泣いていないだろうか、など不安になりながら、ここ数年はじめて本格的にひまになった時間、空港で待合席に座りながら虚空を眺めたり、ミーティングのコーヒーブレークの列にならんでぼけっとした瞬間、私は育てるのに必死なばかりだったのではないか、とはたと気がついた。無珍先生を自分が好きになっていることにはじめて気がついたのである。無珍先生という人間、たとえば今日は保育園で例のごとく