タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

mmpoloに関するsphynxのブックマーク (271)

  • 金井美恵子『ページをめくる指』を読む - mmpoloの日記

    金井美恵子『ページをめくる指』(平凡社ライブラリー)を読む。楽しい読書だった。副題が「絵の世界の魅力」といい、雑誌『母の友』に連載した絵をめぐるエッセイをまとめたものに、石井桃子へのインタビューなどを加えている。最初に片山健の『タンゲくん』(福音館書店)が取り上げられる。片目の野良で、名前は丹下左膳から採られている。早速読んでみたが、楽しい絵だ。片山の描くの絵がいい。 あるひ わたしたちが/ばんごはんを たべていると、/いっぴきの みたこともない ねこが/のっそり はいってきました。 ねこは かたほうの めが/けがで つぶれていましたが、/とても りっぱでした。 あたりまえのように/わたしの ひざのうえに すわると、/おとうさんも おかあさんも/なにも いいませんでした。 この文だけからでもの出自や「わたし」の家庭のことなど色々考えられる。 「おおきなおおきな くま」と題された

    金井美恵子『ページをめくる指』を読む - mmpoloの日記
  • 『ハラスのいた日々』を読む - mmpoloの日記

    中野孝次『ハラスのいた日々』(文春文庫)を読む。なるほど評判の良い作品だ。当に面白かった。作家で翻訳家でもある中野が柴犬を飼う。中野は47歳のとき、それまで20年住んだ世田谷の団地を出て、横浜の洋光台に家を建てる。義妹からお祝いに何かあげたいと言うのに犬をほしいと頼んだ。それまで犬を飼ったことはなかったが、運動不足気味だったので散歩用にと軽い気持ちで言ったのだった。 もらってきた柴犬の子犬に夫婦は夢中になる。ハラスという名前はドイツ人が大型シェパード犬に付ける名前らしい。中野はギュンター・グラスの『犬の年』を翻訳していて、その中に老犬プルートが飼い主の乗った汽車を追いかけて何百キロも走る描写があった。プルートの父がハラスという名前だった。 プルートが飼い主を追いかけるエピソードは、ハラスと中野夫が体験することになる大事件の伏線にもなっている。ハラスが雪山で失踪してしまうのだ。中野夫

    『ハラスのいた日々』を読む - mmpoloの日記
  • 誰が見ているのか - mmpoloの日記

    画廊を回ろうと銀座へ行った。柳通りと並木通りの交差点で、不意に鞄のなかに手紙を入れていたことを思い出した。近くにポストがないかと見まわした。ちょっと離れたところに赤い郵便ポストが立っていた。いや、ある意味目の前にあったのだ。 しかし、ポストを探したのは事実だったからその時点ではポストの存在に気付いていなかったのだ。でもポストはすぐ近くにあった。 こういうことではないだろうか。意識しない脳(右脳?)がポストを認知し、それで意識する脳が手紙のことを思い出してポストを探した。 以前にも似た経験をしたことがあった。それを「突然なぜ思い出したのか」で書いていた。 道を歩いていて急に手紙を持ち歩いているのを思い出した。何かポストのイメージが浮かんだ。この辺りにポストがあるような気がして探すと歩いてきたビルの陰にあるのを見つけた。手紙を投函して考えた。なぜ今急に手紙のことを思い出したのか。 以前からこの

    誰が見ているのか - mmpoloの日記
  • なぎら健壱『東京路地裏暮景色』を読む - mmpoloの日記

    なぎら健壱『東京路地裏暮景色』(ちくま文庫)を読む。なぎらは東京銀座生まれのフォーク歌手。酒に関するエッセイや東京下町散策などの著書が多いようだが、私は始めて読んだ。タイトルどおり東京の下町路地裏の酒場をあちこち飲み歩いてそれらを紹介している。楽しいだ。 なぎらのこのの特徴は街に絡めて人が語られていることだろう。店の主人や印象に残った人物が面白く語られている。先輩のフォーク歌手高田渡のことは何度も触れられる。好きだったのだ。 亀戸にあるカメリアホールでは毎年コンサートをやっているという。ある時、昔知り合った最後のヴァイオリン演歌師と呼ばれた桜井敏雄師から亀戸で飲もうと誘われた。桜井の知人が亀戸で飲み屋を開店したのだという。桜井は酒を断っていたので代わりになぎらに飲んでもらおうと思ったのだ。その店主は桜井の兄弟子であった新宿の演歌師の孫弟子にあたった。久しぶりの再会が嬉しかったようで、店

    なぎら健壱『東京路地裏暮景色』を読む - mmpoloの日記
  • 冷凍うどんを推薦する - mmpoloの日記

    東京大学出版会のPR誌「UP」2011年12月号に須藤靖のエッセイ「注文の多い雑文 その17 宇高連絡船のUDON」が載っている。須藤の専門は宇宙論・太陽系外惑星とのこと。「UP」の読者は多いとも思えないし、須藤のエッセイを読む人はさらに少なく、これから紹介しようとするのは、このエッセイの「注」の一つなので、ほとんどの人が目にすることはないだろう、ならばこの紹介も無意味ではなかろうと考えた次第。 須藤は映画『UDON』で、主人公のユースケ・サンタマリアが「宇高連絡船でべるうどんは正直言うとまずかったにもかかわらず、その味は決して忘れられないすばらしいものだった」と言った台詞から話を展開する。それで実際に宇高連絡船に乗ってうどんをべてみる。 いよいよ目的のうどんコーナーへ。うどん300円也を注文すると、おもむろに冷凍らしい麺をゆで始める。一見、何の変哲もなさそうなうどんであるが、口にする

    冷凍うどんを推薦する - mmpoloの日記
  • 赤瀬川原平の「個人美術館の愉しみ」がおもしろかった - mmpoloの日記

    赤瀬川原平「個人美術館の愉しみ」(光文社新書)がおもしろかった。類書の少なくない分野だが、それらのガイドブックとは、ブタと真珠、と小判ほども違う。芥川賞を受賞した人だから文章がうまい。業が美術家だから絵に対する見どころが違う。東海道新幹線のグリーン車に備え付けてある「ひととき」に連載したものだという。 個人美術館とは、「一人の作家だけの美術館と、一人のコレクターによる美術館の二通りの意味がある」として、どちらかに当てはまるものを取り上げている。 島根県の足立美術館は大観を中心に集めているが、庭園がすばらしく「アメリカ人の目で見た日庭園第1位」なんだそうだ。行ってみたいという気になる。 愛知県小牧市のメナード美術館はメナード化粧品の創業者野々宮大介と美寿子夫人が中心となって収集した。 絵画の展示室に入る。最初の2,3点目でいきなり長谷川利行の絵が飛び込んできて、びっくりした。初めて見る

  • 大野晋「日本語の源流を求めて」を読んで - mmpoloの日記

    4年前、発行されたばかりの時に買っておいた大野晋「日語の源流を求めて」(岩波新書)をやっと読んだ。日語の源流に南インドのタミル語が深く影響しているという著者の主張が何だか信じられないような気がしていて、それでなかなか手に取る気になれなかったように思う。発行直後に丸谷才一が毎日新聞に書評を書いている。その冒頭にあたる全体の1/4を引く。 1.日列島の西半分では、縄文時代、ポリネシア語族の一つが使われていた。その単語はすべて母音終り。 2.九州北部へ、南インドから、水田耕作、鉄、機織という文明と共にタミル語が到来、その影響下に一つの言語(ヤマトコトバと呼ぼう)が成立した。 3.ヤマトコトバは、タミルから渡来した高い文明と共に広まった。 4.そのころ、北海道、東北地方にはアイヌ語がゆき渡っていたが、やがてヤマトコトバに同化され、アイヌ語は北海道、樺太、千島へと退いた。 5.九州南部では隼人

  • 「ポルノ雑誌の昭和史」を読んで - mmpoloの日記

    耕次「ポルノ雑誌の昭和史」(ちくま新書)を読む。昭和史とはいうものの、戦後のカストリ雑誌に少し触れているくらいで、実質的には1970年代以降の歴史が取り上げられている。 ポルノ写真雑誌の最初は一般の書店で販売されることのない、いわゆる通販として流通が始まった。この通販グラフ誌の初期のヒットとして松尾書房の「下着と少女」が挙げられている。これはシリーズ化して、特に第1集は25万部を売り上げるロングセラーになった。少女とうたっても20代だったし、ポルノとはいえ胸も見せなかった。ついで北見書房の「人形の家」シリーズがヒットする。 その後無人の自動販売機で売られた自販機が現れる。著者の川はこれらの歴史を書きながら、個々の出版業者の動向にも大変詳しい。それは川が長くこれらの雑誌の編集者をしてきたからだ。みな小さな出版社で、時には編集者がカメラマンやデザイナー、モデルの調達までしたという。

    「ポルノ雑誌の昭和史」を読んで - mmpoloの日記
  • 私の宝物「ショウボート昭和」というLPレコード - mmpoloの日記

    「ショウボート昭和」というLPレコードを持っている。劇団黒テントが黒色テント68/71と名乗っていた頃、今から30年以上前に劇団から直接買った。ジャケットから、 黒色テント68/71は、1975年(昭和50年)1月より、佐藤信作、演出による「喜劇昭和の世界」三部作(「阿部定の犬」「キネマと怪人」「ブランキ殺し上海の春」)を、「昭和列島縦断興業」として全国巡業活動を続けている。このアルバムは劇中ソング全30曲のうち13曲をピックアップして、「微熱編」「発疹編」の二部に再構成したものである。 コジマ録音が発売し、13曲が収録されている。作曲はクルト・ワイル(7曲)、林光(2曲)、福山敦夫(2曲)、サラサーテ(1曲)、菊地雅章(1曲)で、サラサーテは斉藤晴彦作詞・唄の「唄うチゴイネルワイゼン」だ。クルト・ワイルは歌劇「三文オペラ」などの曲に佐藤信が詞を書いている。これが傑作だが、ワイルだかブレヒ

    私の宝物「ショウボート昭和」というLPレコード - mmpoloの日記
  • 西原理恵子をちょっと読み直す - mmpoloの日記

    西原理恵子の「上京ものがたり」(小学館)のあるエピソードを見たくてパラパラめくっていたが、結局また始めから読み直してしまった。西原の人間観察は当に鋭い。 「私」は四国の田舎から上京し美大に入学するが、学費や生活費を稼ぐために歌舞伎町で水商売のバイトをする。仲よしになった近所のじいさんが、親戚が出版社に勤めているから絵を見てもらえと有名な出版社へ連れて行ってくれる。親戚はその出版社で倉庫の荷下ろしをしている人だった。 応接室で待っていると、現れたのはキャリアウーマンであろう女性編集者で「彼女は(私が)仕事先でも学校でも親のまわりでもみたことのないかっこいい女のひとでー」私のイラストを1枚ずつ丁寧にみてくれ最後に言った。「一番得意なタッチでもう1枚かいてきてもらえますか」しかし、もってきたイラストはとにかくどんな小さなカットでももらえるようにと、エロからスポーツ・風景すべてを誰かにマネたカッ

    西原理恵子をちょっと読み直す - mmpoloの日記
  • 「所沢ビエンナーレ美術展2011 引込線」が開かれている(2)第2会場編 - mmpoloの日記

    所沢市の2カ所の会場で「所沢ビエンナーレ美術展2011 引込線」が開かれている(9月18日まで)。昨日に続いて第2会場へ行った報告をする。第2会場の旧所沢市立大2学校給センターは第1会場から徒歩15分くらい。スタッフに聞けば行き方を教えてくれる。 今は使われていない給センターだが、建物の中は当時の機器が残されている 篠崎英介の木柱の作品 精密なバランスで組まれている ミルク倉庫という名のユニットが作った作品、水車の力が次々と伝わっていく 前野智彦の作品、工場の模型のような立体に磁針が組み込まれている 御大・戸谷成雄の作品、ムクの木ではないが中空でもないようだ 清岡雅彦の舟の作品、キーファーの鉛のベッドを思い出したが、これは木彫らしい 利部志穂の金属の籠を組み立てた作品、籠は給センターで使われていたものだという 2階の部屋に岡崎乾二郎の作品があった、箱の中には伊東屋の原稿用紙に何やら書

    「所沢ビエンナーレ美術展2011 引込線」が開かれている(2)第2会場編 - mmpoloの日記
  • 文春新書「弔辞」から見えるもの - mmpoloの日記

    文藝春秋編「弔辞」(文春新書)を読む。副題が「劇的な人生を送る言葉」。書は月刊「文藝春秋」2001年2月号、2011年1月号に掲載された「弔辞」から50人分を収録したもの。弔辞をまとめたものは20年以上前に中公新書で刊行されたものに始まり、今まで何冊も企画されてきた。それだけに優れた弔辞はすでに紹介されてしまっている。しかし、弔辞は全国で毎日読まれているから、ネタがない訳ではない。この「弔辞」から見えてくるものがある。 まとめて読んでみて、良い弔辞というのは心がこもっているだけでは駄目なことが分かった。気持ちは分かるのだが、それが普遍性を持たない。直接には関係のない第三者の心を打つことができない。もちろんレトリックだけでも駄目なのだ。心とレトリックの二つが必要なのだ。 柄谷行人の中上健次への弔辞は良かった。それは部分を紹介することができない。長くはないが、弔辞丸ごと読んでほしいと思う。そ

    文春新書「弔辞」から見えるもの - mmpoloの日記
  • 「イネの文明」を読んで - mmpoloの日記

    佐藤洋一郎「イネの文明」(PHP新書)を読んだ。副題が「人類はいつ稲を手にしたか」、著者は植物遺伝学者で稲の起源を研究している。書では、従来インディカのイネとジャポニカのイネは共通の野生イネから選別されて栽培種になったと理解されていたが、著者はDNAの分析から野生インディカと野生ジャポニカからそれぞれの栽培種が生まれたとする。もともと栽培種になったのはジャポニカで、それは中国の長江から生まれたとする。 かつて私が大変おもしろく読んだ池橋宏「稲作の起源」(講談社選書メチエ)についても半ページほどだが肯定的に紹介されている。 ……水田稲作のおこりを株分けした根菜類の苗の移植に求める意見もある。日大学の池橋宏さんは、田に水を張り苗を植える田植えを、バナナ、タロイモなど根菜類を栽培してきた文化の影響と考え、原始的な稲作の場でも、種子由来の苗ではなく株を集落近くの田に移植したのではないかと推測し

  • 「メディアと日本人」(岩波新書)を読む - mmpoloの日記

    橋元良明「メディアと日人」(岩波新書)を読んだ。5月29日の朝日新聞の書評で、姜尚中が「実に読みがいのある新書である」と書いていた。ネットが普及して日人の生活がどう変わったか変わらなかったか、著者が15年来実施している「日人の情報行動調査」のデータをもとに分析したもの。 15年間のテレビの視聴時間をみると、「50代、60代はあまり変化がないものの、40代以下の層では一貫して減少しており、とくに10代の減少率(1995年183.5分から2010年112.9分へ)が大きい」。3時間テレビを見ていたのが2時間弱に減ったのだ。 新聞の発行部数は1999年に5,400万部近くあったものが、2010年には5,000万部を割ってしまった。1日の新聞を読む時間も減少し、30代で1995年の24.5分から2010年の8.9分に、40代は32.2分から14.4分へ激減した。半分から3分の1だ。 この間イ

  • 「ダンゴムシに心はあるのか」を読んで - mmpoloの日記

    森山徹「ダンゴムシに心はあるのか」(PHPサイエンス・ワールド新書)を読んだ。ダンゴムシを使ってさまざまな実験を行い、ダンゴムシにも心があるという結論を出している。著者はダンゴムシを材料にていねいで根気のいる実験を繰り返している。誠実な実験態度は読んでいて気持ちの良いものだった。さて、森山のいう心があることの定義は何か。 これまで述べてきたように、心とは、行動する観察対象における、隠れた活動部位です。その働きは、状況に応じた行動の発現を支えるために、余計な行動の発現を抑制することです。しかし、未知の状況では、自立的にある行動の抑制を解き、その余計な行動を自発的に発現させる逆の働きを持つようです。これらを総合すると、心の働きとは、「状況に応じた行動の発現を支えるために、余計な行動の発現を『潜在させる』こと」と言いかえる必要がありそうです。 森山は「状況に応じた行動の発現を支えるために、余計な

    「ダンゴムシに心はあるのか」を読んで - mmpoloの日記
  • 美術評論家篠田達美の闘病記 - mmpoloの日記

    美術評論家篠田達美に関するホームページ「みみこえ」を見つけた。ここに篠田自身が書いたと思われる闘病記「震える風景」が掲載されている。1996年に突然脳幹出血で倒れ、病院の集中治療室で2カ月間意識がなかったこと、医者は回復しないだろうと言った。初めは左手の小指のみ動いたこと、ついで右目の開閉のみでイエス・ノオを伝えたこと、徐々に回復してきたこと、しかし半身麻痺が残り車椅子の生活で、声が出ないことなどが綴られている。「©2011 Shinoda Tatumi」と記されているので、今年になってから発表され始めたのだろう。HPのトップにも2011年6月号とある。 篠田さんが回復しつつある! この闘病記が書けるまでに。とても嬉しいニュースだ。 ・みみこえ http://www4.ocn.ne.jp/~mimikoe/index.htm ・震える風景 http://www4.ocn.ne.jp/~mi

    美術評論家篠田達美の闘病記 - mmpoloの日記
  • キーファーの作品に添付されている植物の処理 - mmpoloの日記

    1992年に日で初めてアンゼルム・キーファーの個展がフジテレビ・ギャラリーで開かれた。キーファーの作品にはときどきシダや藁、ヒマワリなど植物が添付されている。美術展を紹介する日曜日朝のフジテレビの番組にこのキーファー展が取り上げられて、美術評論家の篠田達美が解説した。作品に添付されている植物を見て、さすがキーファー、しっかり処理がしてあるというようなことを言った。どんな処理をしてあるのかとそれ以来疑問に思っていた。19年ぶりにそれが分かった。篠田達美「現代美術の感情」(美術出版社)に秀逸なキーファー論が収録されている。その一節、 80年代になってキーファーがカンヴァスに付着させはじめた実際の物質、たとえば藁は、聖なる火によって灰となり、鉛は浄化され、砂は燃えずに残る。「イェルサレム」(86年)に固定されたスキーは鉄で作られているが、鉄は最古の文明の象徴となる。そして「土星の時」(86年)

    キーファーの作品に添付されている植物の処理 - mmpoloの日記
  • 私の好きな3人の作家たち - mmpoloの日記

    20年間で数万の個展を見てきた。若い作家(美術家)が貸し画廊で個展をするのを見るのが好きだ。それら若い作家のなかで強い印象を受けた3人を紹介したい。 ・吉田哲也:ブリキで小さな立体を作っていた。何年か前に亡くなってしまった。 ・谷口ナツコ:原色で排泄などをテーマに大作を描いている。いまはミズマアートギャラリーの専属になった。 ・菊元仁史:不思議な立体を作っている。数年前の個展で初めて立体から空間を消すことを試みていることを知った。それは成功していた。 ・ ・吉田哲也遺作展(2009年4月29日) ・追悼吉田哲也ーこの寡黙な彫刻家へのオマージュ(2007年3月21日) ・ ・ギャラリーテオで谷口ナツコ展が始まった(2008年3月22日) ・天才画家:谷口ナツコ展(2)(2006年12月13日) ・天才画家:谷口ナツコ展(1)(2006年12月12日) ・ ・独特の空間の試み、菊元仁史展を見る

    私の好きな3人の作家たち - mmpoloの日記
  • 吾妻ひでおの「地を這う魚」を読んで - mmpoloの日記

    ひでおの自伝マンガ「地を這う魚」(角川文庫)を読む。副題が「ひでおの青春日記」とあり、赤羽の印刷工場の工員から漫画家のアシスタントになり、やっと漫画雑誌の付録に短篇を描かせてもらえるようになるまでが描かれている。 吾ひでおらしくシュールで、登場人物は主人公とたまに描かれる可愛い女の子だけが人間で漫画家の先生も友人たちも編集者もすべて動物として描かれている。しょっちゅう不思議な動物たちが現れて口を利いたりするし。 アシスタントとして就いた漫画家の先生は「いててどう太郎」と名づけられているが、解説によれば板井れんたろうの由で、友人たちというのも知ってる人が見れば特定できるのだろう。今でもマンガを描いているのは「まっちゃん」で、まっちゃんは ズバ抜けた画力があるのだろう デビュー後38年プロとして跡切れることなく仕事をしている 今でも時々会って話をする唯一の仲間 まっちゃんて誰だろう。 巻

    吾妻ひでおの「地を這う魚」を読んで - mmpoloの日記
  • 浅川マキのCD「CAT NAP」がようやく発売された - mmpoloの日記

    1982年にLPで発売された浅川マキのアルバム「CAT NAP」がようやくCDで発売された。すべて近藤等則の作曲による。そしてマキの歌が少ないアルバムなのだ。「マシン」のように歌わないで台詞だけという曲もある。トランペット:近藤等則、サックス・ピアノ:多俊之、ベース:川端民生、ギター:松喜代志・飛田一男、ドラムス:つのだひろというメンバーだ。奇跡のようにすばらしいアルバムだ。タイトルを列挙すると、 1. 暗い眼をした女優 2. 忘れたよ 3. こころ隠して 4. むかし 5. 新曲"B" 6. 夕暮れのまんなか 7. マシン(Machine) 8. 今なら 「浅川マキ ディスコグラフィー」をまとめたファンは、こう言っている。 マキはこのアルバムで、フリージャズ、時にはパンク、ラテン、レゲの世界へも踏み込んでいく。確かに旧来の作品群からは一線を隔した新しい領域であるが、ただ、このアルバム

    浅川マキのCD「CAT NAP」がようやく発売された - mmpoloの日記