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mmpoloに関するsphynxのブックマーク (271)

  • 毎日新聞の「2010年この3冊」から(上) - mmpoloの日記

    年末恒例の毎日新聞の「2010年この3冊」が12月12日と26日に掲載された。毎日新聞の書評執筆者35人が105冊のを選んでいる。その中から私が興味を持ったを挙げてみた。*を付けた名前がそのの選者だ。 * *江國香織(作家) ●ラッタウット・ラープチャルーンサップ「観光」(ハヤカワepi文庫) 丁寧な手つきが印象的な1冊で、収められた7編すべてが楽しい。なかでもカンボジア人の少女の話「プリシラ」と、老人(アメリカ人男性)を描いた「こんなところで死にたくない」は忘れられない。 ●ウェルズ・タワー「奪い尽くされ、焼き尽くされ」(新潮クレスト・ブックス) その荒涼としたタイトルにもかかわらず、読んでいるうちに人間を好きになってしまう1冊。夜に戸外で、1だけ灯されたろうそくの火を、ものすごく温かくあかるいと思う感じに似ている。現代のアメリカの、ごく普通(らしい)人々が描かれた9編。 ●ミラ

    毎日新聞の「2010年この3冊」から(上) - mmpoloの日記
  • 銀座三越の山口晃展 - mmpoloの日記

    銀座三越で山口晃展が始まった(1月10日まで)。山口は日橋三越のリニューアル時にポスターを描いているので三越との相性はいい。楽しみにして見に行った。初日なのに8階のギャラリーは展示替え中だ。はて1日延期したのかしらん。ちらしで確認すると、8階催物会場となっていた。さもあらん、ギャラリーでは山口晃展を開催するには狭すぎるだろう。 今回過去ミヅマアートギャラリーやらどこぞの美術館やらで発表したものが多い。しかしながら、波板を使ったプレハブの建物の実物模型や、電信柱の新規格など新作も展示されている。やはり来てみるものだ。いろいろ発見があった。 「最後の晩餐」と題された作品が展示されていた。下の図はその部分図だが、テーブルの下でも小さな侍が事をしている。 これを見て中村宏の「砂川五番」を思い出した。 「砂川五番」では警官の右下に、何という名前だったか団扇太鼓を叩く法華経を詠む日蓮宗の小さな僧侶

    銀座三越の山口晃展 - mmpoloの日記
  • 「文藝春秋」2011年新年特別号「特別企画 弔辞」 - mmpoloの日記

    「文藝春秋」2011年新年特別号は「特別企画 弔辞」が掲載されている。「文藝春秋」を買ったのは40年間で5回もなかっただろう。しかし弔辞を読むのが好きなのだ。誌480ページのうち弔辞の記事は94ページ、それで不要な400ページ近くを破いて捨てた。残ったページに改めて表紙を貼り付けた。それがこの手頃な「文藝春秋」だ。 初めて追悼文をまとめたのは中公新書か何かだったように思う。30年ほど前ではなかったか。それからいろいろな追悼文集が企画された。巧いなと思ったのは、嵐山光三郎の「追悼の達人」(新潮文庫)だった。これはそれまでの追悼文のアンソロジーと違って、一人の故人に対する複数の人たちの追悼文を編集して、その故人が回りの人たちからどのように見られていたかを浮かび上がらせた。 さて「文藝春秋」の追悼企画であるが、45人が追悼されている。主に告別式やお別れ会で読み上げられたものだ。 赤塚不二夫へは

    「文藝春秋」2011年新年特別号「特別企画 弔辞」 - mmpoloの日記
  • 岡本太郎美術館の池田龍雄展「アヴァンギャルドの軌跡」とモートン・フェルドマン - mmpoloの日記

    川崎市生田緑地にある岡太郎美術館で池田龍雄展「アヴァンギャルドの軌跡」が開かれている(1月9日まで)。 池田龍雄は1928年生まれ、終戦間際に予科練へ行っている。岡太郎美術館へは初めて行った。小田急の向ヶ丘遊園駅から公式には徒歩17分とある。生田緑地の奥の方にあって、生田緑地も広いが岡太郎美術館もびっくりするほど広かった。池田龍雄の絵はあちこちで少しずつ見てきたが、まとめてみると印象が変わった。今まで晩年の様式的に洗練された小品を見ることが多かったが、初期の想像力豊かなシュールレアリスム的な作品が何と言っても面白かった。中村宏らとやっていたルポルタージュ絵画も良い。さまざまな手法を試みている。 岡太郎美術館だから岡太郎の常設展示も見られる。私が岡太郎で一番好きな作品「痛ましき腕」も展示されている。同じ美術館で池田龍雄の作品と岡太郎の「痛ましき腕」が同時に見られるのは意味がある

    岡本太郎美術館の池田龍雄展「アヴァンギャルドの軌跡」とモートン・フェルドマン - mmpoloの日記
  • 東京江東区亀戸の貧乏神神社 - mmpoloの日記

    飯田市に貧乏神神社がある。そのホームページから、 貧乏神神社は長野県飯田市に1998年に建立致しました。訪れる方の心を癒し、元気を与えて早11年です。ユニークな神社としてテレビ取材は47回を超えました。『貧乏とはお金のことではない!こころの問題です。』という貧乏神神社の説法と、私の『気』を入れると多くの方が元気になって帰られます。ちょっと元気がない時、不安な時、悩んだ時、当神社にいらしてください。必ず元気になります。 http://www9.plala.or.jp/binbougami/ その貧乏神神社は東京にも勧請されている。江東区亀戸のシッピングモール「サンストリート」の一角に祭られている。 信州飯田 貧乏神神社 亀戸分社について http://www.sunstreet.co.jp/shop_guide/otanoshimi/ 東京都江東区亀戸6-31-1 サンストリート亀戸1階 サ

    東京江東区亀戸の貧乏神神社 - mmpoloの日記
  • 美しい尻? - mmpoloの日記

    昨日紹介した大塚英子「夜の文壇博物誌」(出版研)にこんな一節がある。 「この子のお尻、すっごくカッコいいのよ。キュッと上がっていて、丸くって、こんなお尻あたし初めて見たわ」 古川裕子(ママ)がそう言って、安部公房氏の前に私を立たせた。 安部氏は、私のヒップを入念に触わり、おっしゃった。 「当だ。丸っこくて、キュッと上がってる。いいなあ。ミス・お尻コンテストってないかなあ、もしあったら絶対にこの子優勝するよ」 「ほんと、ほんと、絶対に優勝するわ。ねえ、吉行先生もそう言ってるでしょ」 私は答えた。 「別に……」 安部氏が大きな声で言った。 「あっ、気がついていないのかなあ。もし気がついていないとしたら、宝の持ちぐされってわけだよ。もったいないなあ」 私は吉行にその話を報告した。 「何言ってるんだ。わかっているに決まっているじゃないか。あんなヤツにそんな言われ方をされたくないな」 吉行はそう言

    美しい尻? - mmpoloの日記
  • 「夜の文壇博物誌」に書かれた作家たちのゴシップ - mmpoloの日記

    大塚英子「夜の文壇博物誌」(出版研)は銀座のホステスの目から見た作家たちのゴシップ集だ。大塚英子は吉行淳之介の愛人だった人で、吉行亡き後、「吉行淳之介との28年間にわたる衝撃的な愛の日々を綴った」『「暗室」のなかで−−吉行淳之介と私が隠れた深い穴』を書いて、吉行淳之介の代表作たる『暗室』のモデルだったことを公表した女性。 彼女は吉行に囲われるまで銀座の「ゴードン」ほかのクラブでホステスをしていた。その時に知り合った作家たちのことを書いている。 安部公房はゴードンのママと大塚との3人プレイを強く望んでいた。ママの話。 「アベコウボウはね、あれ気が小さいんだよ。わたしが(自宅に)電話するとね、いつも声を押し殺してさ、なんかものすごくビクビクした感じで返事するの。書斎に女房が張りついているとは思えないんだけどさ、あれ、なんなんだろう。外ではあんなに威張っているのに」 大江健三郎に対してはたいへん

    「夜の文壇博物誌」に書かれた作家たちのゴシップ - mmpoloの日記
  • ジョゼフ・コーネルの箱の作品の意味するもの - mmpoloの日記

    ジョゼフ・コーネルは箱を作品としている美術家だ。川村記念美術館にも作品が収蔵してあり、そのホームページでコーネルについて読むことができる。 アメリカ生まれのジョゼフ・コーネル(1903-1972)は、「箱のアーティスト」として知られています。1931年にエルンストやダリなどのシュルレアリスム芸術に感化され、自らコラージュなどを制作したあと、彼が生涯を通じて作り続けたのは、両手で抱えられるほどの大きさの手作りの箱にお気に入りの品々をしまい込んだ作品でした。それらはコーネル自身にとっての宝箱であると同時に、彼独自の世界観を披露するショーケースであったといえます。 ・ 専門店で見つけた蝶や虫の標が図鑑から切り抜かれた仲間たちと戯れ、その様子を二羽のオウムが隣でじっと眺める《無題(オウムと蝶の住まい)》は、博物館の陳列棚のように整然として見えます。しかし見方を変えれば金網で仕切られ、捕虫網が壁に

    ジョゼフ・コーネルの箱の作品の意味するもの - mmpoloの日記
  • 「紙の上の競宴−−寺田コレクションより」をぜひ - mmpoloの日記

    東京オペラシティアートギャラリーの収蔵品展「紙の上の競宴−−寺田コレクションより」をお薦めする(12月26日まで)。 「紙の上の競宴」では、版画技法別にこれまで紹介することのできなかった作品を中心に取り上げた。ゆえに加納光於、菅井汲、松谷武判など日の戦後版画界において重要な作家の作品が今回の収蔵品展では紹介しきれなかったことを注記せねばならない。 とは言うものの見事に幅広い作品群だ。それらは、青木野枝、榎倉康二、舟越桂、伊庭靖子、池田良二、磯見輝夫、柄澤齋、木村希八、北川健次、小林敬生、棟方志功、小野木学、小野忠重、斎藤千明、清宮質文、重野克明、タピエス、土屋公雄、若林奮、山中現、艾沢詳子等々と現代の主要な版画家たちを網羅している。展示されている作品はまだまだある。 さらに作品数が少なくなかなか見る機会のない夭折の版画家菊池伶司の作品も2点展示されている! 寺田コレクション、さすがに侮れ

    「紙の上の競宴−−寺田コレクションより」をぜひ - mmpoloの日記
  • 「江戸絵画の不都合な真実」が素晴らしい! - mmpoloの日記

    狩野博幸「江戸絵画の不都合な真実」(筑摩選書)が素晴らしい! 書は江戸時代の8人の画家を取り上げて簡潔に紹介している。岩佐又兵衛、英一蝶、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、岸駒、葛飾北斎、東洲斎写楽であるが、初めて知って驚いたことがいくつもあった。著者の文章は歯切れがよく読みやすい。 岩佐又兵衛は謀反を起こして信長に逐われた荒木村重の遺児だったが、母を斬首された。「だが、又兵衛は絵を描くことによって、そのPTSDを克服する。」 牛若の母・常盤御前が山中宿で盗賊に襲われ惨殺される場面が、執拗に描かれることで今日有名なこの絵巻(「山中常盤物語絵巻」)こそが、又兵衛がPTSDを克服した事を逆に証明している。母の非業の死というトラウマを、描き尽くすことで乗り超えたのである。 * 英一蝶は2度三宅島に島流しの刑にあっている。特に2度めの流罪は一蝶が法華宗の不受不施派に属していたからではないかと著者は推

    「江戸絵画の不都合な真実」が素晴らしい! - mmpoloの日記
  • 雑誌「本」の表紙に取り上げられた浅見貴子 - mmpoloの日記

    講談社のPR誌「」は毎月現代美術の作家を選んで表紙に取り上げている。2011年1月号は浅見貴子が採用された。選んでいるのは高階秀爾、現代最も権威のある美術評論家だ。まずなぜ高階が現代美術の作家に詳しいかといえば、長くVOCA展の選定委員長を務めているからだ。VOCA展は40歳以下の平面の作家を全国数十人の学芸員や評論家が推薦し、それを選定委員会が選定するというシステムになっている。その委員長である高階は居ながらにして、旬の現代美術作家を見ることができるのだ。そして高階は優れた美術評論の書き手だ。 浅見は1964年埼玉県生まれ、多摩美術大学日画専攻を卒業している。あちこちの画廊で個展を繰り返しているが、今年大原美術館で滞在制作をし、そこで個展も行われた。そのすぐ後で銀座の藍画廊で話したことがあった。今の私って良いと思われているんでしょうね、でもちっともそんなことないんですよ。何を言われる

    雑誌「本」の表紙に取り上げられた浅見貴子 - mmpoloの日記
  • カトリーヌ・アルレーのミステリ「理想的な容疑者」がすばらしい - mmpoloの日記

    カトリーヌ・アルレー「理想的な容疑者」(創元推理文庫)がすばらしい。ミステリとしてとても優れている。ネタバレを避けるため、これ以上触れることは止そう。ただ、著者が女性であるため、男に対する女の立場からの非難の台詞が強く実感を伴っている。男の作家にはこういう台詞は書けないのではないだろうか。登場人物セリアの言葉。 人間は誰にも従属してはいないの。自分自身を与えるのよ。貸すなんてことでは絶対ないの、まして抵当貸しなんてものではないのよ! わたしの考えでは、貞節というのは、習慣的な言葉を大文字にするだけのことよ。そう、それだけよ。でも、どうして女のほうが男より貞節になるのかしら? 言って上げましょうか。それはね、女が男よりずっと大人だからよ。宝物を探すのに男よりも先に飽きてしまうからなのよ。3、4回経験すると、人の好い男は入れ替わり立ち替わり現れるかもしれないけれど、問題は変わらないってことを、

    カトリーヌ・アルレーのミステリ「理想的な容疑者」がすばらしい - mmpoloの日記
  • とんぼの本『「戦争」が生んだ絵、奪った絵』を読む - mmpoloの日記

    新潮社の「とんぼの」のシリーズ最新刊がこの『「戦争」が生んだ絵、奪った絵』だ。著者名として、野見山暁治、橋秀文、窪島誠一郎の名前が並んでいる。実際は野見山が香月泰男について22ページ書き、橋が浜田知明について11ページ書いている。ついで編集部の名前で15ページにわたって、高山良策、山下菊二、靉光のことが紹介される。ここまでが第一部「戦争」が生んだ絵、と題された章。 第二部は「戦争」が奪った絵、として第一章が「戦没画学生と遺作を守った遺族たち」、第二章が「戦没画学生列伝」となっている。この第二部で戦没画学生がその作品と共に30人紹介されている。こちらには75ページが充てられていて、すべて編集部が書いたことになっている。 最後の第三部が窪島で、「無言館」の13年、眠れる「絵の骨」のことと題されている。これが15ページ。 表紙に野見山・橋・窪島の3人の名前が表記されているが、3人合わせて1/3

    とんぼの本『「戦争」が生んだ絵、奪った絵』を読む - mmpoloの日記
  • 文京アートの吉仲太造展は見逃したくない - mmpoloの日記

    地下鉄八丁堀駅近くの文京アートで吉仲太造展「大いなる遺産」が始まった(12月25日まで)。吉仲太造は1928年京都市生まれ、1985年56歳で亡くなる。今年が没後25年の年。 ちょうど10年前に渋谷区立松濤美術館で個展が行われた。すばらしい回顧展だった。しかし最近の美術家たちは吉仲の名前を知らない者もいる。吉仲はタコの絵のシリーズからキャンバスに釘を貼り込んだり、新聞の株式欄をコラージュしたり、ポストを描いたり、シルクスクリーンの作品を作ったり、緑一色に塗り込んだ作品を作ったりと様々に変貌した。そして最後は珠玉の美しい作品、白い絵を描くに至る。 今回の文京アートの個展では、その様々な時代の作品が網羅されている。最後の白い絵の時代を除いて。吉仲太造をぜひ見てほしい。もっともっと吉仲は評価されなければいけない作家なのだ。 文京アートは京橋の天井の低いビルから移転してすばらしい空間を得た。広く天

    文京アートの吉仲太造展は見逃したくない - mmpoloの日記
  • 「安閑園の食卓」という名エッセイ - mmpoloの日記

    辛永清「安閑園の卓」(集英社文庫)を読む。著者は台湾出身の料理研究家。NHKの「きょうの料理」の講師も務めたという。12編のエッセイとそこに取り上げた料理レシピが1つずつ紹介されている。 エッセイは台湾で育った彼女の家庭での思い出を料理にからめて語っている。それがとてもいい。彼女は1933年台南市に生まれている。お父さんが戦時中は台湾総督府の要職にあり、戦後は実業界で成功していたので、使用人を大勢抱える大邸宅だった。彼女は家庭でのみ料理を学んだが、中国お金持ちの家庭料理は半端なものではない。豚の脳みその料理や、子豚の丸焼きのレシピまで付いている。 料理を語りながら、使用人のこと、伝統行事の思い出、失恋や父親の突然の他界など、情感豊かに語られる。優れたエッセイだ。 他の人に話しても信じてもらえるかどうかわからないことだが、私になにかたった一つ、人と違う能力があるとすれば、こと料理に関す

    「安閑園の食卓」という名エッセイ - mmpoloの日記
  • ドナルド・キーン「日本の作家」は優れた作家論だ - mmpoloの日記

    ドナルド・キーン「日の作家」(中央公論社)を読む。作家論で、取り上げられているのは、森鴎外、正岡子規、石川啄木、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎などだ。1959年から1971年にかけて雑誌や文学全集などの解説等に書かれたものを集めている。特に三島由紀夫、太宰治、谷崎潤一郎についての作家論が充実していてすばらしい。 太宰の作品構成にはみごとな技巧の冴えがみられる。現代の日小説の中で、「人間失格」ほど印象的な書き出しと結末を持っているものはないと思う。(中略)「はしがき」は、むだな言葉を一切使わず、詩的な構成で完全に小説の情調をかもし出す。(後略) だが、この小説の「あとがき」はさらにもっとすばらしいと言ってもさしつかえない。最後の2、3行まで、「人間失格」の全体の意味が表れて来ないといってもいい。(中略) こんな具合にして、太宰は最後の仕上げで自分の小説

    ドナルド・キーン「日本の作家」は優れた作家論だ - mmpoloの日記
  • ギャラリー現の井上修策展「多様性の柱」は見る者を欲求不満にさせる - mmpoloの日記

    井上修策展が銀座1丁目のギャラリー現で開かれている(12月11日まで)。 ギャラリーに入ると床に白い柱が1横たえられている。木口に絵が描かれているようだ。作家に聞くと、柱と見えたのは3,500枚のドローイングを重ねたものだという。毎日10枚のドローイングを350日描いた結果なのだ。壁にiPodが掛けられていて、その3,500枚の絵が2秒間隔で映し出されている。その1枚1枚がとても魅力的なのだ。もっと見たいと思っても全部見るのに2時間もかかるらしい。iPodのモニターで見る以外に展示する予定はないと言われた。モニターで見る限り優れたドローイングだ。しかし実際に実物を見たい。これではまるで30メートル先でストリップをしているのを見せられているみたいだ。見る者を欲求不満にする展示だと書いた所以だ。 井上修策は毎年この時期に個展をしている。毎回全く違う展示をするのだが、深いところで通底している。

    ギャラリー現の井上修策展「多様性の柱」は見る者を欲求不満にさせる - mmpoloの日記
  • チェーホフの「かもめ」 - mmpoloの日記

    先日あった読書会でチェーホフの「かもめ」がテキストとして使われたが、おおかたの感想はつまらないとか読みづらいというものだった。最近池袋の劇場で「かもめ」を見たという人が芝居は面白かったと言われた。 私も高校生の時、友人に勧められて清水邦夫の戯曲「狂人なおもて往生をとぐ」を読んだが少しも面白くなかった。同じ作家の一幕劇「署名人」(未来社)も買って読んだが面白さが分からなかった。同じ頃チェーホフの短篇と4大劇も読んだ。「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」どれも面白さが分からなかった。チェーホフは短篇に尽きると思った。 22歳くらいから当時で言うアングラ芝居を見始めた。佐藤信率いる演劇集団68/71、現在の黒テントを追いかけた。それから何年も経ってチェーホフの芝居を舞台でぽつぽつと見た。どれもすばらしかった。 その頃、のちにカミさんとなる女友達と一緒に芝居を見た。彼女は高校時代に

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  • 常用漢字が追加された〜勝目梓 - mmpoloの日記

    29年ぶりに常用漢字表が改定され196字が追加された。「虎」とか「熊」「鹿」「亀」「嵐」「岡」「俺」「柿」「蔑」も追加された。今まで虎の門も岡山も亀戸も熊も使えなかったのか。「尻」が使えるようになって、オカマの恋人同士が「あなたの尻が忘れられない」というメールを書けるようになったし、ゴダールの映画のタイトルも「軽べつ」でなく、ちゃんと「軽蔑」と表記できるようになった。「勃」が使えるようになったので、新聞社も正々堂々と「勃起」という言葉が使えるようになった。エミリ・ブロンテも「あらしが丘」でなく「嵐が丘」とされて喜んでいるだろう。警視庁もこれで堂々と「おれおれ詐欺」でなく「俺々詐欺」と言えるようになったのだ。さて「蜜」が今まで使えなかったとは知らなかった。これでようやく官能小説で「秘蜜」という言葉を使うことができるのだ。「秘密」の間違いじゃないかって? 官能小説では秘蜜に決まっているじゃな

    常用漢字が追加された〜勝目梓 - mmpoloの日記
  • 梶井基次郎「檸檬」を読んで - mmpoloの日記

    世評の高い梶井基次郎「檸檬」(集英社文庫)を読んだ。実は梶井を読むのはこれが初めてだった。この集英社文庫は鈴木貞美のていねいな解説が付いている。 ……梶井基次郎の作品世界はどれも、結核に冒されたひとりの青年の経験を、その具体性のままに書いたにすぎないようなものであり、決して、ひとの耳目を引くような新しさを誇るものではなかった。書かれているのはほんの些細な気持ちの変化ばかりで、大きな社会の動きとはほとんど無縁なものでしかない。小説の魅力のひとつである、読みながら全く別の世界を経験するような感動も得られはしない。 にもかかわらず、その作品は没後次第に評価を高め、戦後の一時期には文学青年たちから崇拝に近い感情を集めることになる。 実際、同世代の作家でいえば、川端康成や横光利一、井伏鱒二らの称賛を集め、批評家でいえば、先にあげた小林秀雄のほかには河上徹太郎がその価値を何度も論じた。少し世代が下がる

    梶井基次郎「檸檬」を読んで - mmpoloの日記