タグ

ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (75)

  • 岡本太郎の「矛盾」 - ハックルベリーに会いに行く

    矛盾をクリップ岡太郎の「強く生きる言葉」というに、矛盾について書かれている。矛盾社会内の個。純粋であればあるほど人生というものは悲劇だ。人間はすべて矛盾のなかに生きている。だから矛盾に絶望してしまったら負け、落ちこむのだ。それよりも、矛盾のなかで面白く生きようと、発想を転換することはできないだろうか。 岡太郎の「強く生きる言葉」は面白い。ここにあるのは「言葉の芸術」のようなもので、一つ一つが詩のように美しい。またそれだけではなく、言葉の持つさまざまな意味や役割や可能性を、その中に持っているし、果たしているし、孕んでいる。とても多義的だ。ところで、彼のこの矛盾に対する言葉には、ちょっと物足りなさを覚える。ぼくは、「矛盾のなかで面白く生きようと」するだけではなく、自らが積極的に矛盾を生み出すことこそが、当に面白いことだと思っている。そうすれば、人生に勝てる。

  • せつない片想いあなたは気づかない - ハックルベリーに会いに行く

    この世に一人の女の子がいるわけよ。どう考えてもバカで、か細くて、ひ弱で。その上悩みを抱えているわけよ、これがまた。人生を上手くコントロールできない。世知にも長けていない。無鉄砲で無茶。後先考えない。そのくせ好奇心だけは旺盛。無謀な勇気だけは持ち合わせている。そして愛がある。愛があって誇りがある。だから彼女は夢を抱いているわけだ。何かしら自分の愛を誰かに届けたいと。そうして自分の行いを誇りたいと。まあそんな夢だ。 女の子は何にも知らない。驚くほど無知。愛と勇気だけが友だち。だから突き進む。これまで無茶に突き進んできた。途中、あっちゃこあっちゃにぶつかりながら。傷つきながら。挫けながら。倒れながら。それでも諦めないわけだ。色々な理由があるけど、一番は負けず嫌いだからだ。証明したいのさ。私は今ここに生きているということを。私の人生はけっして踏みにじられていないということを。私は人生が、生きるのが

    takashit666
    takashit666 2008/12/20
    ハックルさんの斜陽(太宰治の「斜陽」ではありません。私の中でなんとなく浮かんだ景色。)
  • ブクマを呼ぶ男 - ハックルベリーに会いに行く

    おいらはアルファやくざなアルファおいらがおこれば ブクマを呼ぶぜ喧嘩代りに SF書けばはてなのブクマも 100超すぜ 『この野郎、かかって来い!最初は女子マネだ…ホラアムウェイ…おっと宮システム…畜生、disりやがったな、倍にして返すぜダンスだ、小室だ、英語だ、マンガだええい面倒だ この辺でプレゼンテーションだ」 おいらはアルファ浮気なアルファおいらがほれたら ブクマを呼ぶぜ女子アナ芸妓の ネタでも書けば1000はいかねえ 700さ おいらはアルファやくざなアルファおいらが叩けば ブクマを呼ぶぜ年がら年中 はてなを叩けばネガコメブクマも 寄って来る

    takashit666
    takashit666 2008/12/17
    www
  • 普遍的な美というものを考える - ハックルベリーに会いに行く

    id:y_arimさんから以下のようなコメントを頂きました。y_arim id:aureliano ちょっと言葉が足りませんでした。普遍的な美的感覚というものは存在しうるとお考えなのか、美的感覚というものをどの程度まで個人的あるいは相対的なものとお考えなのか、というあたりをお聞きしたいですhttp://b.hatena.ne.jp/y_arim/20081215#bookmark-11307294 ですので、普遍的な美について、ぼくの考えるところ書きます。 まず「美」というものも、他のあらゆる概念の同じように「矛盾した存在」である。なぜなら「醜いまでの美しさ」「美しいまでの醜さ」というのもまた存在するからだ。そうして真の美しさの中には、これも他のどの概念とも同じように、適度な醜さというものが含まれていて、それが隠し味になっている。両者は極めて不可分性が高く、メビウスの輪のような循環構造にな

    takashit666
    takashit666 2008/12/17
    もう1回読み直してみます。
  • たまには自分語りなどしよう! - ハックルベリーに会いに行く

    こんなブックマークコメントがあったので思わず笑ってしまった。anigoka わかってる人多数で少し、いやほんの少しだけど安心したhttp://b.hatena.ne.jp/anigoka/20081215#bookmark-11298930 この際だから言っておこう! おまえらは全然分かってないと!だいたいこれだけ情報を開示して、これでもかって言うくらいテキストを書き連ねて、もはや人格や性癖を隠し切れないくらいさらけ出しているのに、これだけ理解してもらえないとはうはははと笑う以外ないわ。ここではっきり言おう。おれのことを理解してるのは、おれにコミットしてくれる人以外は、id:harutabeだけだ!彼はおれにとってのネガティブブックマーカーだが、書いてることが一々鋭い! ああ今見たらもう消しちゃったみたいだけど、もったいない。数日前に、おまえおれの仕事場見てたんか! っていう見事なブックマ

  • 「当たり前」という考え方が最も危険だ - ハックルベリーに会いに行く

    マネジメントの話。二人のボスがいたとする。 ボスAは、部下が仕事の報告をするのは「当たり前」だと思っている。だから、それを報告する時の部下の気持ちは考えない。そのため、もしそこで部下が成功を報告すれば、喜ぶし誉める。逆に、部下が失敗を報告したとしたら、遠慮なく叱責する。Aは、それが公正な態度だと思っている。それを部下のためだと思っている。部下を育てるためにそうやっていると思っている。彼としては善意のつもりなのだ。しかし、部下にしたら、誉められる時は良いが、叱責されたらやはり面白くない。彼はもちろん、そのボスの考える「善意」などというものは受け取らず、ただ、嬉しかったとか面白くなかったとか、そういう気持ちだけが残る。そうして、もうあまり面白くない思いは味わわないようにしたいと思う。するとどうなるか? 良いことは報告するが、悪いことは隠すようになるのである。上司がいくら「それを報告するのは当た

  • ぼくも始終ネガティブコメントをもらっているよ、という話 - ハックルベリーに会いに行く

    トラックバックを頂いた記事の中に、興味深い一節がありました。 かんなぎ騒動で思い出したけど、池田理代子も「漫画を描くのを止めろ」という脅迫の手紙を受け取ったことがあるよ、と言う話(1979年、講談社Be-Loveより) - 情報中毒者、あるいは活字中毒 なんでも、池田理代子さんは昔のマニア――いわゆるオタク受けがすごく悪かったそうなんですが、かくいうぼくも、じつはオタクと呼ばれる連中には相当ブログの受けがよくないのです。なにしろ、彼らはまず大衆受けするという、そのことだけで、ブログ価値が低いと決めつけてしまうのですから……。たぶん彼らにはなにかしらチンケなエリート意識みたいなものがあって、“大衆”というものを軽蔑しているようなところがあるのでしょう。彼らに共通してるのは、例外なく、自分の感覚や美意識をぜったいだと思いこんで、そこから一歩も出ようとしない点です。好みや主観だけが、ものごとの価

  • なぜ女の子は「何食べる?」と聞くと「何でも良い」と言うくせに、いざ具体的に提案すると「それはイヤだ」と言うのか - ハックルベリーに会いに行く

    プレゼンテーションをしていて時々気付くのは、相手がプレゼンの内容にはあんまり注目してなかったりすることだ。むしろ、プレゼンするぼく自身を見ていたりする。そもそも、相手に対して何かをプレゼンする時には、向こうが思いつかないようなアイデアをこちらがプレゼンするわけだ。向こうは、ぼくが思いつくようなアイデアを思いつけないから、ぼくにアイデア出しを頼むわけである。但し、クライアントは向こうだから、最終的に選ぶのは向こうなのだけれども、内容が専門的だったりすると、相手にはもう、それが良いか悪いか分からなかったりする。彼らには、それが判断できなかったりするのだ。そうした時に、相手はどうするかというと、そのプレゼンする人を見るのである。内容ではなく、そのプレゼンの仕方を見るのだ。彼の熱意であったりとか、ちょっとした仕草とか、眼差しとか、声のトーンとか、汗の書き方とか、そういうところを見るのである。そして

  • 人に期待しないようにすれば良いのに - ハックルベリーに会いに行く

    増田にこんなエントリーがあった。 結構重要なイベントを急に休出になったからってドタキャンする奴って何なの。人が先約の予定と仕事を天秤にかけて仕事の方をやりたいのなら仕方がない(それもわがままだと思う)が、単に問答無用で仕事が大事と思い込んでる節はないか?仕事ってそんなに大事か? この気持ち、分かると言えば分かる。仕事を理由にプライベートな約束を反故にする人というのは、今も昔もけっこう多くいる。ぼくも昔はこういうことに腹を立てたりしていた。仕事を理由にプライベートなイベントへの出席をドタキャンされると、「仕事と言えば何でも許されると思う、その考え方がおかしいのではないか」と思っていた。 しかしいつの頃からか、気付いた。仕事を言い訳にするのは、それは文字通り「言い訳」に過ぎないのだと。つまり彼は、当はそのイベントに出たくないのだ。仕事云々は、キャンセルするための方便に過ぎない。もっと正確に

  • 将棋の奥深さについて考える - ハックルベリーに会いに行く

    トラックバック先に「将棋は奥が深い」という話があった。 世界は面白さで満ちている - 未来私考 これはぼくも前からそう思っていたので、良い機会だからそれがどんなふうに奥深いのか、ぼくなりに書いてみたい。 ところで、笑い話に「少ないおかずでどれだけご飯をべられるか競い合う男たち」というものがある。昔は、お米に対しておかずの供給量が極端に少ない時期があったので、少ないおかずでご飯をたくさんべることは、生活を豊かにするための一つのTipsのように語られていた時期があったのだ。 あるところで、二人の男が「少ないおかずでどれだけご飯をべられるか」を競い合っていた。一方は、「おれはめざし一匹でご飯一杯をべられる」と言うと、もう一方は、「おれは梅干し一粒だけでご飯一杯をべられる」と言った。ところが、そこに第三の男がやって来て「おれは梅干しをべないでもご飯一杯べられる」と言った。どういうこ

  • 面白いマンガがあったらぜひ教えてほしい - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくはマンガが好きだった。それは確かなことで、読んでる量でも誰にも負けない時期があった。それは短い期間(約1年)だったけど、その時期にうちの近くの屋で売られていた少女マンガ以外の全てのマンガ雑誌の全作品を立ち読みしていた。毎日だいたい2時間、日によっては4時間近くかかることもあった。今考えたら書店にとっては迷惑な話だったかも知れない。また今みたいに出版点数も多くなかったからできたことだ。しかしとにもかくにもマンガの知識だけではその時期はおそらく誰にも負けなかった。ヒマだからできたというのもあるだろうけど。 そういうぼくが今ではほとんどマンガを読まなくなったのだけれど、だからと言ってテレビを見ているわけでも音楽を聞いているわけでも映画を見ているわけでもゲームをしているわけでもない。何をしているかというと仕事をしているか人と話しているかネットを見ているかブログを書いているかだ。この4つにほぼ

  • 先週の土曜日にルイ・ヴィトン表参道店に行ってきました - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくはルイ・ヴィトンのアートワークが大好きで、特に表参道のルイ・ヴィトンにはよく行く。そのことを前にちょっと書いたことがあったのだけれど、それ以降も何度か行ったりていた。 ルイ・ヴィトン表参道店はただで入れる現代美術館だ そうしたら先週の日曜日、ルイ・ヴィトンの表参道店が店内を改装して、5階を新しくメンズの専用フロアにしてリニューアルオープンするとのことであった。それに先駆けて、金曜日と土曜日にオープンイベントが催されたのだけれど、そこにご招待頂いた。前に買い物をした時に担当してくれたK嬢が誘ってくれたのだ。 その日は朝から快晴の文字通り秋晴れで、とても気持ちの良い日和だった。イベントはお昼過ぎからだったのだけれど、ぼくは早めに原宿に行ってぼくの好きな代々木体育館を散歩していた。それにしても代々木体育館はいつ来ても素晴らしい。この景色がもう40年以上も前からあるなんてと、ここに来る度、ぼく

  • フォークボールの投げ方 - ハックルベリーに会いに行く

    野球をやっていたという人はそれなりの数いて、草野球でもやろうものなら皆それぞれ昔取った杵柄を披瀝し合ったりするのだけれど、フォークボールを投げられる人というのはそう滅多に会うものではない。野球をやっていて、それこそ甲子園に出たという経歴を持つような人でも、野手だったらまずもってフォークボールは投げられないし、ピッチャー経験者にしたってそう多くはない。 フォークボールというのは不思議な変化球で、その存在は誰もが知っているけれども、高校生で投げるというのはほとんどいない。しかしそれがプロになるととたんにぐっと多くなる。名投手にフォークボールを決め球にしていた人は多くて、だから変化球の中でもどこか神秘的な、特別な地位にあるのがこの球種だ。 ぼくはこのフォークボールを投げられるのだけれど、別に野球をやっていたというわけではない。厳密に言えば小学生の時までは地域の野球少年団に所属していたが、それ以降

    takashit666
    takashit666 2008/12/01
    草野球をしていた頃を思い出した。
  • 現代版「ヴェニスの商人」 - ハックルベリーに会いに行く

    頭の良さをこじらせる人というのがいる。彼らは現代版「ヴェニスの商人」である。知識と論理を振りかざして、どこまでも自分の正当性を主張するけれども、結局はその知識と論理に足下をすくわれ、痛い目を見る。 彼らは知識や論理、そしてその正当性に重きを置き過ぎである。彼らは例えばニュースに過大な期待を寄せる。それが社会の公器であると勝手に位置付け、だから必要以上に正しさを求める。そのため、自然とその粗を探すような見方になる。厳しい目で見る。結果、伝え手の勉強不足や認識間違いなどが目に付くようになり、それにいちいち憤慨したりする。しかし誤りなのは、そもそもニュースに重きを置き過ぎなことである。彼ら以外のほとんどは、ニュースをそれほど気にしていない。テレビでいくら「自殺する若者が増えている」と伝えようとも、たいがいの人にとってそれよりも問題なのは「今日の雨」なのである。 そういうスタンスでいた方が健全に生

  • ある若きテレビプロデューサーのマネジメントの記録 - ハックルベリーに会いに行く

    これは、ぼくがテレビ関係の仕事をしている知人から聞いた、ある若きテレビプロデューサーの、彼のマネジメントした伝説的なテレビ番組の記録である。 あるテレビ局(仮にF局としよう)に若きプロデューサーがいた。彼の名はMだ。彼は新しい番組のプロデュースをすることになった。しかしその番組は曰く付きのものだった。始まる前からいくつもの問題を抱えていた。政治的な思惑が絡み合った、複雑な生い立ちの番組だった。 その頃のF局のバラエティ制作部には、大きく分けて二つの勢力があった。Y班とI班である。両者はお互いに反目し合っていた。良きライバルと言うよりは犬猿の仲だった。お互いがお互いを快く思ってなかった。水と油で、これまで一度も交わったことがなかった。時々、局の全ての番組が一堂に会するような場所ですれ違うことはあったけれど、そういう時でもお互いに目を合わそうとはしなかった。同じ局とはいえ、いや、同じ局だからこ

  • やはり思いやりに欠けると、どんなに努力しても結果は上手くいかない - ハックルベリーに会いに行く

    この前30歳くらいの女性と話す機会があったのだけれど、彼女の言葉で印象に残ったのは、「こっちはそれだけのものをこれまで詰んできたのだから、男性にも最低限それと同じようなものを求める」というようなものだった。まあ何と言うか、彼女はすごい美人というのではなかったが、それでも十分きれいと言って差し支えないルックスをしていた。ファッションもビシッと決まっていたし、お化粧もバッチリで、濃すぎず薄すぎず、自分がどうすれば引き立つかをよく分かっていた。キャリアの方は詳しく聞かなかったけれども、会社でもそれなりの地位にいるのだろう。けっこう自信満々な感じで、自分と自分の努力に大きな自負心を抱いているようだった。さらには、もっと上を目指してやろうという意気込みも強く感じられた。 聞くところによると、彼女は(当か嘘かは分からないけど)彼氏はいないらしい。しかしどうやらつき合う男性には確固たる基準と言うか、理

  • 目標を作り、与えられる人間こそ本当のマネジャーだ - ハックルベリーに会いに行く

    これまで生きてきて思うのは、「目標を作る」というのはそんなに簡単なことではないということだ。むしろ難しい。みんな目標を作れなくて苦労しているんだ。目標が上手く作れなくて、日々の生活が生き生きとしたものになっていないということはままある。 この目標というのは、誰にでも作れるものではない。それは努力とかとも無関係のような気がする。努力したからといって目標を作るのが上手くなるとも限らない。第一、そんな方法は誰も教えてくれない。目標は、やはり作ることの上手い人と下手な人がいるのだ。そして目標を作るのが上手い人というのは、これはもう圧倒的に上手い。彼は自分の目標を作るだけではなく、他人の目標までをも作ることができる。彼はビジョナリーなのだ。彼は他人のビジョンまで見通すことができる。そして他人の目標を作ることができる。他人の目標を作って、それを与えることができるのだ。 目標を作り、与えられる人間こそマ

  • 0024「教えることを教える」 - ハックルベリーに会いに行く

    アイデア1000ノック教えることというのはとても勉強になる。ぼくは教育者ではないが、それでも仕事で何かを教えてたことはある。その時に気づいたのは、誰かに何かを教えようとする時、それは自分にとっても大いに勉強になるということだ。自分にとっても気付きとなる。 例えば子供を見ていると、「こうすればもっと良くなるのになあ」と思うことがある。そうして、それを伝えようとする。その時に、「あ、良いってこういうことだったんだ」と、自分自身気付かされるのだ。「面白いってこういうことなんだ」「良くなるってこういうことなんだ」というのが、教えようとした時に初めて気付かされる。 人を教育するというのは、その人自身にとっても教育になるのだ。だから、例えば高校の部活動などには、誰かに教えることをカリキュラムとして盛り込むと良いのではないか。例えば野球部だったら、近くの中学校や小学校に赴き、年下の子供たちに野球を指導

  • 自分の会社の自慢話をできるか? - ハックルベリーに会いに行く

    先日、機会があってC社という電子機器メーカーの社員の方とお話しさせて頂いたのだが、これがなかなか得難い体験だった。そこで、その方から会社の自慢話を聞かせてもらったのだ。そうして、それが良かった。それは聞いていて気持ちの良い自慢話だったのだ。ぼくはそれに、大いに感銘を受けた。 思えば、自分の会社をへりくだって紹介する人は多いけど、自慢できる人――それも気持ち良くできる人というのは、案外少ないのではないのだろうか。だから、そういう自慢話を聞かせてもらったことがまず新鮮だったのだが、その内容もまた良かった。彼はまず、社長の自慢をしたのである。なんでもC社の社長さんは、もうすぐ80歳という高齢にも関わらず、いまだに現役バリバリで、第一線で働いておられるのだそうだ。特に、C社が開発する新商品に関しては、今でも逐一目を通し、審査に当たられているそうである。C社は大きなメーカーだから、新発売される商品の

  • Nくんのおじいちゃんは二人とも刑務所帰りだった - ハックルベリーに会いに行く

    昨日またふとNくんのことを思い出した。絵がとても上手いNくんのことである。関連個性は当に獲得するものなのか? 前に聞いた話なのだが、Nくんのおじいちゃんは、二人とも刑務所帰りだったのだそうだ。正確に言うと、父方のおじいちゃんは刑務所ではなく拘置所にいた。約9ヶ月くらいいたそうだ。そして母方のおじいちゃんは、こちらは正真正銘の刑務所帰りだった。なんと10年もらっていたのだそうである。 二人がなんで捕まったかというと、まず父方のおじいちゃんは思想的な問題だった。彼は共産主義者だった。Nくんのおじいちゃんは、戦前(第二次世界大戦前)の早稲田大学に通っていた。そして戦前の早稲田大学には、なんでも有名な共産主義者の経済学者の先生がいて、その先生の薫陶を受けた学生はだいたい共産主義者になったのだそうである。おかげでNくんのおじいちゃんも共産主義者になった。 Nくんのおじいちゃんが共産党員だったかど