他人に作曲してもらった交響曲を、自分が作曲したと偽り発表していた人のことが話題をよんでいる。 その人が、作曲者に渡していたという「交響曲の指示書」というものの画像(参照)が様々なところで紹介されており、一躍「交響曲の指示書」が赤丸急上昇することとなった。 この指示書、時系列順に曲の盛り上がりなどを説明したわかりやすいものだったので、ぼくもそれっぽいものをまねして書いてみた。
他人に作曲してもらった交響曲を、自分が作曲したと偽り発表していた人のことが話題をよんでいる。 その人が、作曲者に渡していたという「交響曲の指示書」というものの画像(参照)が様々なところで紹介されており、一躍「交響曲の指示書」が赤丸急上昇することとなった。 この指示書、時系列順に曲の盛り上がりなどを説明したわかりやすいものだったので、ぼくもそれっぽいものをまねして書いてみた。
上の景色、どうですか!すごいよねえ。 今回は、以前書いた記事を読んだ方から教えてもらった場所へ赴いた顛末をお送りしよう。脱線に次ぐ脱線。どうして知らない街はこんなに楽しいのか。無事目的地にたどり着けるか?
すっかり有名になった軍艦島だが、一応ザッと説明すると、長崎の南端に浮かぶ無人島。正式名称は端島(はしま)。明治時代から炭鉱の島として開発が進められ、幅160m、長さ480mという狭い島内に5000人もの人が住み、世界一の人口密度を誇った。昭和49年に炭鉱が閉山。まもなく無人島となり、現在のような廃墟の島となった。
高校時代、何かに熱中して過ごした人は多いだろう。 野球で甲子園に出場してテレビに映る人もいれば、僕のように弱小軟式テニス部でうだつの上がらない毎日を過ごした人もいる。うだつは上がらずともそれなりに楽しかったけど。 そして、中にはかっこいい橋の模型を作ることに熱中する高校生たちもいた。そんな彼らの作品発表会があると知って、見に行ってきた。
なにがまぼろしなのか その理由はおもに以下の通り。 ・場所がわかりにくい ・どう見ても民家 ・いきなり休むことがある 訪問した人のサイトを見ても、とにかく場所がわからない、地元の人に聞いたほうがいいと書いてある。しかも、営業時間が昼と夕方だけなのだ。秩父の先の小鹿野町というところにあるので、うちから約3時間かかる。 日曜日、朝6時に起きて池袋から西武線に乗った。 池袋から1時間40分 電車のなかには初老のグループが乗っていた。山登りだろうか。なぜかテレビ番組「なんでも探偵団」の話をしていた。 「あの番組、最近やってないね」 「あれ日曜日の昼にやってるのよ」 いや、違うって。それ、再放送だから。つっこみたい気持ちをおさえて外を眺めていた。
「都心にダムがあったって知ってる?」 知り合いが興奮した口調で教えてくれた。もちろん知らなかった。 ダムと言えば山奥にあると思い込んでいたけど、調べてみたらなんと東京の中心にもあったのだ。青い鳥はすぐそばにいた、犯人はヤスだった、などと同じくらいびっくりの話である。 ダム好きとして迂闊だった。 というわけで、さっそく都心のダムめぐりに行ってきた。
髪型が決まらない。 美容院で渡されるヘア雑誌を見てもどれも同じに見える。なんてこった、あの毛先もこの毛先も遊んでいるじゃないか……こんなこと思うのはおっさんになった証拠だ。 せっかくおっさんになったのだから、ここらでひとつ昔の髪型にしてみるのはどうだろう。 それも古い床屋で「昔の髪型にしてください」と言ってみよう。
電車に乗って外の景色を眺めていると、線路の上にふだん見慣れない特殊な車両が停まっているのを見ることがある。線路の工事、つまり保線で使う車両を留め置く、保線基地だ。 一般の乗客には関係ないけど、レールの上では、乗客を運ぶ電車、貨物を運ぶ貨物列車と並ぶ、第3の勢力と言えるだろう。 意識しないと見過ごしてしまうので、敢えて見に行ってみた。
北海道の地図を眺めていたら、見慣れない文字が目に入った。 小樽市の西隣、余市町というところに「北後志離着陸場」と書かれている場所があったのだ。調べてみると、正式名称は「北後志農道離着陸場」というらしい。農道なのに、飛行機が飛び立ったり着陸したりできる場所なのだろうか。 気になったので、どんなところか見に行ってみた。
アフロヘア、それは誰もが知っているけど実際やることはめったにない髪型。その髪型はどういうきっかけで変えようと思い、日々どういうケアをしているのか?アフロヘアの人に(ほぼ)一日密着して疑問質問を投げかけてみました!これで君もアフロ博士!
石川県出身。以前は普通の会社員。現在は透明樹脂を用いたアクセサリーを作る人。好きな色は青。好きな石はサファイア。好きな犬はウェルシュ・コーギー。 前の記事:革の職人・箔の職人~ものづくりの街を歩いた二日間 > 個人サイト capria 先日、「あの四角い揚げパンを再現する」という記事を書いた。私の出身小学校では給食の揚げパン=食パンでした、という内容だ。 これがまあ見事に、誰にも賛同が得られなかった。「嘘なんじゃないの?」「何かの間違いなんじゃないの?」とまで言われた。 記事として広くお披露目することにより、改めて世の揚げパン文化と自分の認識との乖離を思い知った格好である。 地動説を唱えたガリレオ・ガリレイはこんな気持ちだったろうか。私も世が世なら宗教裁判にかけられ、揚げパン教の異端信者として糾弾され、二度と食パンを揚げたりしないと誓わされ、項垂れながらこう呟くのだ。 それでも揚げパンは角
東京の道には、むかしの街道がもとになった道がいくつかある。 たいていは今ではでっかい国道なのだが、調べてみるとたまに旧街道がわき道として顔をのぞかせている箇所があって、なるほどあの道が!と思うことがある。 旧街道を発見しにいってみた。
南国の離島というものは、なんとも魅力的なものである。 サンゴが砕けた白い砂、様々な色彩織り成すクリアな海、突き抜けるような青空に、目を焼くような強い日差し。のんびりとした空気がゆるゆると流れる、喧騒とは無縁の世界。 先日、日本の南西端に位置する八重山諸島に行く機会があった。そこに散らばる島々は、まさにそのようなイメージ通り。いや、それだけではない。それぞれの島ごとに違った個性があり、独特の風情を醸していたのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:東京でも学校建築を見るべきだ > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twi
すてきに工場を鑑賞できるところをめぐってきたぼくだが、このポイントは知らなかった。一生勉強である。 当初はジャンクション鑑賞の旅だったのだが ところで、今回の旅はひょんなことからエルドラドめぐりになった。当初はジャンクションを見てまわる旅の予定だったのだ。どっちもどっちだが。まあ、そういうな。 これまでDPZでジャンクションについてしつこいぐらい記事にしてきたぼく。ジャンクションの写真集なんてものも出してしまったぼくだが、まだまだ未見の作品がたくさんある。さっきもいったが、一生勉強だ。 今回は、そんな未踏のジャンクション、広島の仁保ジャンクションと、北九州の大谷ジャンクションの2つが目当てだった。 本記事とは関係ないが、そのすてきさをごらんいただきたい。まあまあ、だまされたと思って見てごらんよ。後悔はさせない。
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