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ブックマーク / elmikamino.hatenablog.jp (5)

  • 信仰との距離 - 記憶の彼方へ

    島尾伸三は家族四人で数年過ごした茅ヶ崎の「東海岸」を20年ぶりに訪れたとき、自然と足が茅ヶ崎カトリック教会に向いたという。そこで彼は奄美大島の名瀬マリア教会での母親の振舞いなども想起しながら、特に父親が大切にしていた信仰と己の「無神論的な現実主義」との間の乖離、葛藤を赤裸々に記している。 父はどうしてあれほどまでに謙虚に神の前に跪いたのか、いつまでも傲慢さの消えない私には不思議です。私の無神論的な現実主義は、どこまでも醒めた現実的な世界に生きる母の影響なのかもしれません。父の文学仲間の年長者が御自身を「観念の人」と評してしたけれど、父もそうだったのかもしれません。だから、「神」という観念について、抽象性に富んだカトリック教会の精神に理解が及んだのではないでしょうか。 カトリック小辞典には、「他人が言っていることが理解できると思い、相手が真実を忠実に伝えていると信頼して、他人のことばを受け入

    信仰との距離 - 記憶の彼方へ
  • 勇気が根を下ろす場所 - 記憶の彼方へ

    中山さんが「勇気」を奮っている。 告:『シュンポシオン横浜』、12月開催です Emmausさんが「勇気」をめぐって書いている。ちょっと難しいけど。 「風に靡かせながら」(2008-05-18) 小野さんが中山さんの「勇気」が根を下ろす「場所」をめぐっていいことを書いている。その「場所」をいっしょに護ろうとする自発的なネットワークにも触れている。 「1213のシュンポシオン横浜」(2008-05-19) その「場所」のことを小野さんはこう書いている。 微妙に話はそれますが、最近思うのは、「見晴らしの良い場所」というのは、決して磐石な足場に立てる状況のことではなく、とても不安定でちょっとした加減でグラッと落ちてしまう様な危険な場所ではないかということ。つまり、目立つし(変人が目立つように)、ちょっとした批判や強固な慣習に晒されやすく、目には見えない手で引っ張られてしまうような場所。 小野さんの

    勇気が根を下ろす場所 - 記憶の彼方へ
    topo-gigio
    topo-gigio 2008/05/22
    確かに。「志向性」のベクトルを共有しているというよりも、強度を共有しているのだろうか
  • 会社はなんのためにあるか、作るか - 記憶の彼方へ

    情報文化論受講生の皆さん、こんにちは。 今回の主要テーマは「宗教と国家の起源:神の情報文化史」です。ヒトが群れ、部族、民族、さらには国家、帝国と結束力を強めながら拡大していくメカニズム、あるいは分裂するメカニズムのあたりを中心にお話しする予定ですが、それに関連して、そして毎回触れている「大学生としての最も深い自覚」に到達する方法にも関連して、現代の私たちの結束の実態についても注意を向けたいと考えています。要するに、どうやって「仲間」を作るか、増やすか、あるいは「孤立」を選ぶか、といったあたりです。その際、当然「会社」も視野に入ってきます。そこで、会社とはそもそも何か、について非常に参考になることをsimpleAという変わった名前の会社を作った金城さんという方(私は付き合いが長いのでなれなれしく金ちゃんと呼んでいますが、皆さんは丁重に金城さんと呼びましょう)が書いています。講義中も参照します

    会社はなんのためにあるか、作るか - 記憶の彼方へ
    topo-gigio
    topo-gigio 2008/05/22
    明らかに読者(ここで言えば学生たち)もこの場の参加者として意識されている状況がすごく特殊というかおもしろい、そして気持ちいい。こんな授業楽しいだろうなー
  • 血まみれの妖精:近くて遠いハングル - 記憶の彼方へ

    詩人の吉増剛造は「妖精」と書いて「ハングル」とルビを振った(『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』(集英社、1998年、14頁))。「ひらがな」とはルビを振らなかったのは何故なのかとずっとどこかで考えていた。 #GungSeo #PCMyungio 最近、パソコンのOSに搭載されているハングルのフォントを眺めては「狂おしく美しい」と感じるようになった。以前はハングルはただ人工的で味気ない文字だなと感じていた。ハングルは朝鮮王朝の第四代国王である世宗によって、1446年に『訓民正音』(「百姓に与える正しい言葉」という意)として制定された国字である。色んな事情が重なって、私は今までハングルの素性をちゃんと知ろうとしなかった。 杉浦康平編著『アジアの・文字・デザイン』に、ハングルの「アンサンス体」(下図)を設計したことでも知られる韓国人のグラフィック・デザイナー兼タイポグラファーのアン・サン

  • グーグルによるパラダイム転換に関する覚え書き - 記憶の彼方へ

    梅田さんが「グーグルの二つ目の顔」という文脈において取り上げている(『ウェブ進化論』でも取り上げていた)「ネットワーク・コンピュータ」のビジョンは確かに魅力的だ。 http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070217/p1 この「The network is the computer.」とは、サン・マイクロシステムズが一九八二年創業時から標榜していた、じつに画期的なビジョンなのである。 http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u125.html この文脈からは外れるが、私は個人的には、インターネットが登場する以前にコンピュータには興味がなかった。触れる機会もほとんどなかった。世代的にも大学生の頃には、コンピュータは大型計算機センターにあるもので、縁がないものだと思っていたほどだった。私のパソコン歴はほ

    グーグルによるパラダイム転換に関する覚え書き - 記憶の彼方へ
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