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考え方とwebに関するtxmx5のブックマーク (2)

  • 信者とか取り巻きとか言う発想 - novtanの日常

    ある種の論争において、当事者とブクマカーがやいのやいのやっているのは微笑ましいわけですが、何かと批判側から擁護側に対する「信者」とか「取り巻き」とかいうレッテルが貼られたりしますね。 でまあ、これは色んな意味で思考停止キーワードで、個々のブクマカーに対して「盲目的であり、何も考えてない」と勝手に考え、馬鹿にしているわけだ。 僕が不思議なのは、僕が「信者」とか思うときって、純粋に「ロジックか事実のどちらかあるいは両方が明確に間違っているのにそのことに完全に目を瞑って(あるいは考えもしないで)擁護する」ようなのをみたときだけで、単に「意見が擦り合わない」ことに対して一方を支持する心性に「信者的なもの」があるとは思えない。もちろん、「取り巻き」という意味ではそりゃ同じような意見を持っている集団は自然と取り巻きに近い形に組成されるだろうけど、それは単にベン図みたいなものじゃない。 だからそういう場

    信者とか取り巻きとか言う発想 - novtanの日常
  • 公平性はウケないし嫌われるんだが、それを認めたくない人はけっこう多い|おおつねまさふみ(otsune)

    若者よりも還暦を超えた爺さん婆さんのほうがクレーマーとして質が悪い人が多いのでは? という雑談じみた話をたまにみかける。 たとえば地方で支店統廃合のために新しくなった銀行窓口で、書類や印鑑などのちょっとした不備で手続きが出来ないという場面があったとして。「じゃあ自宅まで必要な物を取りに帰ってまた来ます」と素直に従うのは若者で。「そんな細かいことを文句つけるな!!」とゴネるのが老人だ……と、いうような展開がテンプレになっている。 話は変わって。囲碁や将棋というゲームがあるのだが。これらゲームは一定のルールのもとにお互いに指す手が決まっていて、どちらのプレイヤーだけが一方的に有利になっていたりはしない。村長さんだから歩が2つ動けるとか、市会議員だから飛車が取られないということは当然無い。(ただし、コマを落としてハンデをつけたり、「待った」で手を戻したりする特別扱いは実際には存在しているけど)

    公平性はウケないし嫌われるんだが、それを認めたくない人はけっこう多い|おおつねまさふみ(otsune)
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