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*Artと哲学に関するtxmx5のブックマーク (9)

  • どの活動がなにゆえ「芸術」なのか? - obakeweb

    芸術哲学の(根幹とまでは言わずとも、)代表的なトピックのひとつは芸術の定義である。芸術とはなにか。どこのどれがなにゆえ芸術作品であり、その他のアイテムはなぜ芸術作品ではないのか。 分析美学における芸術の定義史は教科書[1][2]やStanford Encyclopedia of Philosophyのエントリーを読んでいただければ結構なので、ここでは新しめの話を紹介する。*1 芸術の定義とバックパス 芸術の定議論では、制度説や歴史説といったそれなりにもっともらしい立場が現れて以降、おおきなブレイクスルーはなかった。流れを変えたのはドミニク・ロペス[Dominic Lopes]である。2008年の、その名も「芸術の理論なんて誰もいらない」という論文で、ロペスは次のように提起する。 私たちが必要としているのは、芸術[art]の理論じゃなくて、諸芸術形式[the arts]の理論である。気になる

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  • アートとラップ、アート・ラップの再検討(Earl Sweatshirtとbilly woodsを例に)|久世

    アートとラップ、アート・ラップの再検討(Earl Sweatshirtとbilly woodsを例に) はじめに私たちの生きる現代が獲得したものは、言うことの疚しさだった。 現代という「最新」の時代は、全ての時代にまして物質的な可能性が開かれるのと同時に、「最も経験した時代」として概念的な不可能性が現出する時代でもあった。 例えば思考と存在の統一の崩壊、動物倫理という破壊的な論理的正当性、自由意志が存在しないという事実の確認―そういった不可能さ、不条理が押し上げられ、現前されていくだけの時代。 しかしそれでも突き動かされなければならず、大きな物語を失いながら退屈と繰り返しという平和の暴力性と処世上の苦悩に悩まされ、より正義らしいものを選択するしかない時代。 つまり"自分の限界を避けることができず、さりとてそこに留まることもできない不可能性"をまざまざと見せつけられる時代。 そんな大きな苦悩

    アートとラップ、アート・ラップの再検討(Earl Sweatshirtとbilly woodsを例に)|久世
  • ニュータウンとプロレスからひもとく、町と身体と物語 | M.E.A.R.L.

    町には様々な語り口がある。歴史的な文脈から、地政学的な見地から、あるいは当事者への聞き取りから。近年では観光立国としての日のあり方をベースに、インバウンド対策や、それに応じたまちづくりのあり方なども積極的に議論されている。ここで時間を90年代に巻き戻そう。当時多くの社会学者や評論家によって、さかんに語られていた町としていわゆるニュータウンがあった。 それまでの土地の持つ歴史性から離れ、造成された土地の上に利便性や快適性をベースとしてつくられたニュータウン。1960年代から日各地でつくられたそんな「町」は、高度経済成長期の終わりとともに影を帯び始め、90年代には歴史の終焉というアングルでもって現代日を論じる上でのモチーフとしても盛んに活用されていた。 それから20年。居住者の高齢化、設備の老朽化など、ニュータウンが新たな問題を抱える中、ニュータウン出身の現代美術家・中島晴矢の個展「バー

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  • ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

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  • 先制第一撃批判――新芸術校成果展講評の余白に - REALKYOTO

    2016年2月26日に開催された「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」の第一期成果展「先制第一撃」の講評会に審査員として参加したのだが(他の審査員は岩渕貞哉と夏野剛、そして主任講師の黒瀬陽平とゲンロン主催者の東浩紀)、講評会という性格と時間の制約のため複雑な問題もかなり乱暴な形で語るほかなかった。講評会は公開され、ニコニコ動画でも中継されたので、誤解の余地を少なくしておいたほうがいいと考え、以下に私の発言の一部に補足を加えたものをあらためて公開する。 * 新芸術校の主任講師である黒瀬陽平さんは、どこかで授業を聞いて、ぼくは良い教師ではないと判断したらしい。それで、ぼくは新芸術校の授業に呼ばれたことがない。「そもそも良い教師・良い学校などという幻想を抱くべきではなく、すべての教師は反面教師でありすべての学校は廃墟であると考えるべきだ」という持論のせいかもしれませんが、確かにぼくは人にものを

  • 佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(承前)(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press

    近代美学の誕生 ―専門とされている美学とは、どのような分野ですか。 学問領域を指すのではない、一般的な用語としても「美学」は使われています。例えば「三島由紀夫の美学」と言うとき、その当人もどういった意味で使用しているか厳密には分からないけども、美に関係するこだわりのようなものを美学と言うと思います。だから美学という学問が存在すると聞いて驚く人は時々いますね。 学問としての美学は訳語で、明治時代に中江兆民の『維氏美学』に初めて現れます。彼はフランス語のl’esthetique (英語ではaesthetics)を美学と訳し、それが定着し今に至ります。その原書の中にl’esthetiqueとは何かということが書いてあり、そこにl’esthetiqueは美についての学問と考えていいだろうと書いてあります。それに従って彼は「美学」と訳しましたが、ただ原著者が考えていたフランス語のl’esthetiq

    佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(承前)(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
  • 佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press

    現代アートの作品を見たときの、あれやこれの疑問と混乱。どこか納得しないまま展覧会を後にした経験が一度はあるだろう。現代アートとどう接すればよいのか、社会の中における芸術の現在位置はどこか。著作『美学への招待』(中公新書)で平易な文章で美学を紹介する、佐々木健一・日大学文理学部教授まで話を伺った。(鴨) ささき・けんいち 1971年、東京大学大学院人文科学研究科美学藝術学博士課程を修了。76年から埼玉大学助教授。その後東京大学文学部助教授をへて、89年に同大学教授。2004年に定年退職し、現在は日大学文理学哲学科教授。東京大学名誉教授。著書に『美学辞典』(95年、東京大学出版会)、『フランスを中心とする18世紀美学史の研究―ウァトーからモーツァルトへ』(99年、岩波書店)、『美学への招待』(04年、中央公論新社)ほか多数。 芸術に対する素朴な疑問 ―現代アートが分かりません。 それは現代

    佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
  • アーネスト・フェノロサ - Wikipedia

    アーネスト・フェノロサ アーネスト・フランシスコ・フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa、1853年2月18日 - 1908年9月21日)は、アメリカ合衆国の東洋美術史家、哲学者で明治時代に来日したお雇い外国人。日美術を評価し、紹介に努めたことで知られる。 フェノロサが育ったとされるセイラムの家 フェノロサの墓(法明院) マサチューセッツ州セイラム生まれ。父親のManuel Francisco Ciriaco Fenollosaはスペインのマラガ生まれの音楽家(晩年自殺している)。兄とともにフリゲート艦の船上ピアニストとして渡米し、Mary Silsbeeと結婚し、アーネストをもうける。アーネスト・フェノロサは地元の高校を卒業後、ハーバード大学で哲学、政治経済を学ぶ。先に来日していた動物学者エドワード・シルヴェスター・モースの紹介で1878年(明治11年、当時2

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