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ブックマーク / bobdeema.hatenablog.com (10)

  • ニッポンのポリティカルラップ - 韻踏み夫による日本語ラップブログ

    I'm out for presidents to represent me (Say what?) あるときふと、日のポリティカルラップについてどれほどのことが論じられてきただろうかと、疑問が浮かんだ。もちろんその政治性一般についてならば、多くのことが言われている。というかそれを避けて語られることなどほぼないといっていいくらいだ。ただそうではなくて、直接的なポリティカルラップに限り、どんなラッパーがどんな政治的主張を歌ってきたのかという、ある種一番ベタなことは実は行われてこなかったのではないかと思い至った。そこで、まだまだ抜けは多いだろうが拾える範囲で、日のポリティカルラップの歴史と言うと大袈裟だが、概略のようなものを書いてみることにした。その意図はいくつかあるが、一つだけ言っておけば、安倍批判の歌が出たら拙速かつ一時的に騒いでみせるだけの末期的な状況から抜け出るために、少なくともま

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  • ヒップホップと「ミソジニー」について - 韻踏み夫による日本語ラップブログ

    ヒップホップの「ミソジニー」について、椿の『フリースタイルダンジョン』での告発を主なきっかけとして、日でもここ最近特に取り沙汰されるようになった。これについては、私もヒップホップファンの一人として無責任なことではない(というよりも紙媒体にヒップホップについて複数書いてきたのだからより責任は重いだろう)。しかし、そのとき「またそこからですか」(RHYMESTER「ガラパゴス」)の感を抱かないわけでもない。ミソジニー批判を聞き飽きたというのでは決してなく、ミソジニーについての議論がいまだきわめて初歩的な段階にとどまっているからである。批判者を責めているのでもない。それほどに日のヒップホップシーン及びそれを取り巻く批評的言説が遅れているのだと解釈されるべきことである。私も問題を放置してきた一人であることは認めた通りだ。敬意をはらうべき告発が注目を集めているからこそ、これからより深い議論が行わ

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  • SALU「Sweet and GoodMemories」についての雑感 - 韻踏み夫による日本語ラップブログ

    SALUのミックステープシリーズ『BIS』(Before I Singed)の第三弾『BIS3』が10月13日に公開された。そもそもSALUは日でフリーダウンロードのミックステープを上手く利用して成り上がるという手法をいち早く取り入れたラッパーの一人だった。一作目のミクステ『Before I Singed』は2011年の末に公開された。周知の通りSALUと並走したのがAKLOで、般若が2013年に「時代はやっぱりSALUとかAKLO」(「はいしんだ feat. SAMI-T」)と歌ったのは有名である。ミクステに関して言えば、2009年に『DJ.UWAY Presents A DAY ON THE WAY』を出しているAKLOの方が早いのだが。SALUとAKLOが並べて語られるのは、それぞれのデビューアルバム『IN MY SHOES』、『THE PACKAGE』を、日屈指のビートメイカー

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  • SEEDAについて誰もが知っている二、三の事柄 あるいは語り草の束 - 韻踏み夫による日本語ラップブログ

    ※この文章は「SEEDA入門」といったものとしても、ましてや「SEEDA論」としても、「SEEDAを通して見る日語ラップの歴史」としても、「日語ラップ入門」としても読まれることを望まない。また、このような文章の書き手が私である必然性が皆無であり、むしろ日語ラップにまったく日語ラップに詳しくない私よりも、ただ日語ラップに詳しいだけの多くの人たちにこそ書いてほしい文章であった。なぜなら、この手の文章は一切考えることを必要としないものであるから。したがって、日語ラップに詳しいだけの人には、この文章の補足や、誤りの訂正をお願いしたい。来の書き手となるべきはあなたたちであったはずだから。また、この文章の読み手は来存在してはならない。なぜなら、題にあるようにこの文章に書いてあることは「誰もが知っている事柄」を記しただけであるから、常に(ということはむろん、既に)、誰もが知っていなければ

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  • 絶対的にHIPHOPであるために - 韻踏み夫による日本語ラップブログ

    2016 - 12 - 01 絶対的にHIPHOPであるために ここ最近、 TWITTER 上で限りなく暴言に近い批判を繰り返してきた。反省している。文字数の制限があり、伝えるべきことを十分に書くことができないと感じたので、ここに書く。 11月16日放送の『フリースタイル ダン ジョン』、じょう VS T-PABLOW戦について、じょうがバトルに勝利したことに不満を漏らしているツイートをいくつか見た。しかし、個々人の好き嫌いは別として、勝敗についてプレイヤーには責任は一切ないことをまず押さえておかねばならない。言うまでもなく、ラッパーは何を言ってもよいし、どんなラップをしてもよい。客に媚びてもよいし、バトルはエンターテイメントだと割り切って嘘八百を並べたり、事実と異なるディスをしても、何をしてもよい。重要なのは、観客及び審査員の評価基準である。バトルにおいてプレイヤーは丸腰であり、その身と

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  • 『空からの力』について 日本語ラップの起源 - 韻踏み夫による日本語ラップブログ

    2016 - 08 - 30 『空からの力』について 日語ラップの起源 『 ユリイカ  * 日語ラップ 特集』に寄稿した文章の中で、 押韻 はラッパーたちにとって「過剰な欲望の対象となった」と書いた。この点についてより深く考えてみたい。そう思ったのは、7月29日におこなわれた「 日語ラップ 批評ナイト」で「78年」生まれの代表として TOKONA-X について話したとき、意図が上手く伝わらなかったことを掴んしたからである(もちろん、話すのが下手くそであったからというのが第一の原因であることは自覚している)。歴史の中で 日語ラップ の核心であり革新をおこなった「78年式」のラッパーたちを語るための前提をはっきりさせておかねばならない。ゆえに以下の文章は、その時話したことから大きく逸脱しているように見えるが、すべて「批評ナイト」のおかげで出来たものであるということを明言しておきたい。

    『空からの力』について 日本語ラップの起源 - 韻踏み夫による日本語ラップブログ
  • 般若論に向けて ZEEBRA「真っ昼間」について - 韻踏み夫による日本語ラップブログ

  • 韻踏み夫による日本語ラップブログ

    ※この記事は、それぞれ全く別の文章である「『POPEYE』7月号取材記事追記」と「Too Green To be Clean~DOTAMAの一件について~」の二立てである(分けた方が読みやすいのかもしれないが、端的に面倒だった)。 ・『POPEYE』7月号取材記事追記 『ポパイ』2019年7月号の映画特集に私の取材記事が載っている。「なぜ『ポパイ』に、しかも映画について?」というのは依頼をもらったときに私自身が思ったことだが(「シティボーイ」などとは縁遠い人間であるし、そもそも映画について語ったこともツイッターですら多分一度もない)、せっかくなので、日語ラップ、ヒップホップと絡めた形でよければ受けると返し、了承を得たので、取材を受ける運びとなった。 特集のテーマは「面白い映画、知らない?」というもので、各人に「どんな映画が好きですか」という質問に答えてもらう形で、私は「ラッパーが好きな

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  • MC漢について - 韻踏み夫による日本語ラップブログ

    2015-09-24 MC漢について 漢 aka GAMIの「ヒップホップ・ドリーム」を再読し、ツイッターを見ていたら、あゆみBOOKS小石川店のアカウントがこのを紹介しているツイートに当たり、思わず膝を打ってしまった。 MC漢の直筆のリリックも掲載!取り消し線や書き直し、筆跡、筆圧、すべてが生々しくて字面から胸を鷲掴みにされる感覚!ラッパーの書き文字の持つ強度!声として身体の中で練られたものが指先で紡がれる鮮烈!「これで何目のボールペン」というMC漢の言葉が頭の中で何度も何度もリピートされる! — あゆみBOOKS小石川店 (@AyumiBooks_Koi) 2015, 6月 26 なぜ、このツイートが、ほかのしっかりとした紹介文、書評などとは比にもならないくらい私の目を引いたかといえば、「何わぬ顔してるならず者」のこの歌詞を引用するセンスというか、感覚に深く共感を覚えるからだ。

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  • ライムタイプ研究への批判  - 韻踏み夫による日本語ラップブログ

    2015-11-13 ライムタイプ研究への批判  ネット上に、ライムタイプという研究についての記事( ライムタイプ—押韻の分類 / the 8 rise | Music Theory Workshop Japan )が上がっており、それがどうやら重宝がられているようだ。だが、押韻するときの母音と子音の一致する音数によってそれぞれパーフェクトライム、ファミリーライムなど五つの分類を行ったこれは率直に言ってほとんど役に立たないことは明らかである。なぜなら、この研究には決定的な欠陥があるからだ。それは、押韻という技術質についての誤解、あるいは認識不足である。 このライムタイプの分類は、押韻が単なる音の類似であることを前提としてなされているが、そこが間違っているのである。押韻は音と意味(ソシュールでいうならばシニフィアンとシニフィエ)の両面に渡る技術なのである。この視点が抜け落ちている限

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