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Interviewと哲学に関するtxmx5のブックマーク (12)

  • 東浩紀さん、大ヒット著書「訂正する力」の源は…「僕は本が読めれば、それで十分、幸せなんです」 - スポーツ報知

    新書「訂正する力」(朝日新聞出版)が好調だ。1万部売れたらヒットの今の出版界で昨年10月末の発売以降、6万部突破という驚異的な売れ行きを見せている。著者は批評家・東浩紀さん(52)で、哲学の専門家でもある。討論番組などでも知られた論客だが、聞いてみると、30年間活動していてスポーツ新聞のロングインタビューは「初めて」とのこと。難解な話は抜きにして一体どんな素顔の持ち主なのでしょうか。「時の人」に会いに行ってきました。(内野 小百美) 優しい目をした人だ。映像で時折見せる舌鋒(ぜっぽう)鋭いやり取り。普段から“ピリピリの人”だったらどうしよう…。こちらから取材を申し込んでおきながら一抹の不安。しかし心配は杞憂(きゆう)で、どこか「くまのプーさん」を思わせるほんわかした印象。受け答えも柔和そのもの。「スポーツ紙の取材は今までなかったので珍しいなと思って」。話題の「訂正する力」が、これまでの読者

    東浩紀さん、大ヒット著書「訂正する力」の源は…「僕は本が読めれば、それで十分、幸せなんです」 - スポーツ報知
  • 東浩紀「これからの知識人は"もの書き"より"話し手"に変わっていく」 なぜ「動画配信」に力を入れるのか

    人は「文章に」ではなく「人に」お金を払いたかった 【東】これまでも人はコンテンツではなく、人間にお金を払ってきたんだと思うんです。ライター、言論人、なんでもいいんですが、みんな自分たちを「もの書き」だと思ってきた。なぜならば、いままでは文章を書くしか方法がなかったから。でも、人がお金を払いたかったのは「文章に」ではなく「人に」なんですよ。その意味で、しゃべるとか、動画っていうのはすごく向いてるんですよね。 文章の役割がなくなったということではけっしてないんだけど、すごい昔に戻れば、知識人だって街頭でしゃべる人間であって、文筆を生業としているわけではなかった。近代、新聞とか雑誌のシステムが普及していくなかで知識人は文章を書く人になった。そう考えると元の状態に戻ってるんじゃないかとも思うんですよね。こいつおもしろいぞっていう部分をいかに効率よく世界に届けていくか。 そのベースで集めたお金で取材

    東浩紀「これからの知識人は"もの書き"より"話し手"に変わっていく」 なぜ「動画配信」に力を入れるのか
  • 「プロレスとは、それぞれの自己表現の対決」――■対談 飯伏幸太×千葉雅也【プロレス×哲学】 | ダ・ヴィンチWeb

    磨き抜かれた美しい肉体と高い身体能力を生かした激しい技で業界内外から熱い視線を送られる、新日プロレスの飯伏幸太選手。哲学者の千葉雅也さんにとっては、プロレスに興味を持つきっかけとなる人物であり、プロレス論〈力の放課後〉執筆にも影響を与えた人物だという。千葉さんからの哲学的な投げかけを飯伏選手が“受け”、独特の表現で“返す”、哲学対談。 (左)いぶし・こうた●1982年、鹿児島県生まれ。2004年、DDTプロレスリングでデビュー。13年~16年、新日プロレスとDDTプロレスの2団体所属選手に。約3年のフリー(飯伏プロレス研究所)生活を経て、19年より新日プロレス所属に。得意技はカミゴェ、フェニックス・スプラッシュなど。181cm 93kg @ibushi_kota (右)ちば・まさや●1978年、栃木県生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。東京大学大学院博士課程では表象文化

    「プロレスとは、それぞれの自己表現の対決」――■対談 飯伏幸太×千葉雅也【プロレス×哲学】 | ダ・ヴィンチWeb
  • ニュータウンとプロレスからひもとく、町と身体と物語 | M.E.A.R.L.

    町には様々な語り口がある。歴史的な文脈から、地政学的な見地から、あるいは当事者への聞き取りから。近年では観光立国としての日のあり方をベースに、インバウンド対策や、それに応じたまちづくりのあり方なども積極的に議論されている。ここで時間を90年代に巻き戻そう。当時多くの社会学者や評論家によって、さかんに語られていた町としていわゆるニュータウンがあった。 それまでの土地の持つ歴史性から離れ、造成された土地の上に利便性や快適性をベースとしてつくられたニュータウン。1960年代から日各地でつくられたそんな「町」は、高度経済成長期の終わりとともに影を帯び始め、90年代には歴史の終焉というアングルでもって現代日を論じる上でのモチーフとしても盛んに活用されていた。 それから20年。居住者の高齢化、設備の老朽化など、ニュータウンが新たな問題を抱える中、ニュータウン出身の現代美術家・中島晴矢の個展「バー

    ニュータウンとプロレスからひもとく、町と身体と物語 | M.E.A.R.L.
  • 思想・哲学をビジネスにするにあたって「ゲンロンがしないこと」は何だったか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【前編】|FINDERS

    CULTURE | 2019/04/01 思想・哲学をビジネスにするにあたって「ゲンロンがしないこと」は何だったか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【前編】 批評家・思想家・作家として、そして出版社「ゲンロン」の代表(インタビューののち退任)として日で類を見ない独自のポジショ... 批評家・思想家・作家として、そして出版社「ゲンロン」の代表(インタビューののち退任)として日で類を見ない独自のポジションを築き上げてきた東浩紀氏。同社の事業の核として発行してきた批評誌『ゲンロン』が、東氏の単著『ゲンロン0』を含め3年間で全10冊を刊行し、第一期が終了となった。 このタイミングで東氏にインタビューを敢行し、『ゲンロン』3年間の振り返りおよび、今後の事業展開、そして作家としての東氏がどんなものを書いていくのかということをうかがった。 思想を外へ外へ開いていこうという東氏の試みは、ますます硬

    思想・哲学をビジネスにするにあたって「ゲンロンがしないこと」は何だったか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【前編】|FINDERS
  • 千葉雅也×山口真由「なんで勉強するの?」――勉強を極めたふたりの白熱対談 | 文春オンライン

    千葉雅也×山口真由「なんで勉強するの?」――勉強を極めたふたりの白熱対談 「勉強の哲学」vs.「7回読み勉強法」 勉強する「心」を持ち続けるには、どうすればいいのか? 『勉強の哲学』(文藝春秋)で「変身」するための勉強法を伝授する千葉雅也さんと「7回読み勉強法」(PHP)で東京大学法学部、司法試験、国家公務員I種を突破してきた山口真由さんが、その秘訣を語る。 ◆ ◆ ◆ 勉強は手段か、目的か 山口 千葉さんの『勉強の哲学』では、すること自体に目的があるような勉強、それを通じて、自分が「変身」するような勉強が勧められていて、非常に新鮮に感じました。試験のための勉強というのは、「合格」という明確な目的に特化したものだったからです。司法試験なんて、受かればいいんです。逆に、受からなければ、どれだけ苦しい勉強も報われない。最短距離を、最速で行ける勉強が最も合理的ではないかと。 千葉 だからこそ、必

    千葉雅也×山口真由「なんで勉強するの?」――勉強を極めたふたりの白熱対談 | 文春オンライン
  • 東浩紀がついに打ち立てた「希望の哲学」 いま読むべき3冊の思想書:中編

    斎藤哲也さんの連載「補助線としての哲学」。前回から3回連続で番外編「いま読むべき3冊の思想書」をお届けしています。斎藤さんはこの3冊について「愚かさを増しつつあるこの世界に抵抗するための“希望の書”」といいます。その理由とは――。第2回は東浩紀さんの新著『ゲンロン0 観光客の哲学』を取り上げます。 世界でも国内でも分断は拡大している 前回に引き続き、今回も番外編として必読の哲学・思想書を紹介したい。 東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』は、世界史的なスケールで、新たな連帯のあり方を構想した哲学書だ。 そのキー概念が、タイトルにもある「観光客」である。はて、「観光客」とは何なのか。書冒頭では、前著『弱いつながり』を要約して次のように説明されている。 <ぼくは2014年に『弱いつながり』という小さなを刊行した。そこではぼくは、村人、旅人、観光客という三分法を提案している。人間が豊かに生きてい

    東浩紀がついに打ち立てた「希望の哲学」 いま読むべき3冊の思想書:中編
  • トップページ | 読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

  • 佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(承前)(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press

    近代美学の誕生 ―専門とされている美学とは、どのような分野ですか。 学問領域を指すのではない、一般的な用語としても「美学」は使われています。例えば「三島由紀夫の美学」と言うとき、その当人もどういった意味で使用しているか厳密には分からないけども、美に関係するこだわりのようなものを美学と言うと思います。だから美学という学問が存在すると聞いて驚く人は時々いますね。 学問としての美学は訳語で、明治時代に中江兆民の『維氏美学』に初めて現れます。彼はフランス語のl’esthetique (英語ではaesthetics)を美学と訳し、それが定着し今に至ります。その原書の中にl’esthetiqueとは何かということが書いてあり、そこにl’esthetiqueは美についての学問と考えていいだろうと書いてあります。それに従って彼は「美学」と訳しましたが、ただ原著者が考えていたフランス語のl’esthetiq

    佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(承前)(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
  • 佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press

    現代アートの作品を見たときの、あれやこれの疑問と混乱。どこか納得しないまま展覧会を後にした経験が一度はあるだろう。現代アートとどう接すればよいのか、社会の中における芸術の現在位置はどこか。著作『美学への招待』(中公新書)で平易な文章で美学を紹介する、佐々木健一・日大学文理学部教授まで話を伺った。(鴨) ささき・けんいち 1971年、東京大学大学院人文科学研究科美学藝術学博士課程を修了。76年から埼玉大学助教授。その後東京大学文学部助教授をへて、89年に同大学教授。2004年に定年退職し、現在は日大学文理学哲学科教授。東京大学名誉教授。著書に『美学辞典』(95年、東京大学出版会)、『フランスを中心とする18世紀美学史の研究―ウァトーからモーツァルトへ』(99年、岩波書店)、『美学への招待』(04年、中央公論新社)ほか多数。 芸術に対する素朴な疑問 ―現代アートが分かりません。 それは現代

    佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
  • http://www.mammo.tv/interview/archives/no086.html

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