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政治思想に関するushiwatatのブックマーク (64)

  • エピソード - 視点・論点

    人口が減少する社会への対策の一つとして、あと5年、働き手にまわることが可能な「プラス5歳活躍社会」を実現することができないか。そのために必要な課題を考えます。

    エピソード - 視点・論点
  • ルイ14世のバレエ、そしてmental-floss 廃刊 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    ぼくは無精なんで、なかなか電子媒体になじめない面がある。会社では、経費削減のため今世紀に入ってから一貫してどんどん資料を処分させられていて、昔は棚1もらえていたのが、半減、さらに半減とどんどん減らされ、いまやロッカー一つ。その分資料電子化すればいい、という方針なんだけど、棚の資料はたまになんかのはずみで見るけど、電子化した資料ってよほどピンポイントで自分の求めるものがわかってないと、そもそもファイルを開くこと自体がない。PDFのOCR機能が進歩して少しはよくなったけど…… 多くの人はの自炊とかを自慢したがるけれど、自炊したことに満足してそれを当に使ってるのかな、とときどき思う。もちろん、ある特定分野だけにしぼった専門性を持っている人は、それですむどころか、かえって便利になる面もあるんだろう。ほとんどのトピックではある決まった資料群のペーパートレイルみたいなもんがあるのかもしれない

    ルイ14世のバレエ、そしてmental-floss 廃刊 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
    ushiwatat
    ushiwatat 2016/11/19
    |かれは絶対君主としての自分の権力が、自分のすばらしい肉体から発するのであるという思想も持っていた。バレエ脚はそのシンボルだった|
  • オリンピックの熱狂と「転向」する文学者たち 2020年われわれは冷静でいられるか - ジセダイ総研 | ジセダイ

    文学者たちのあっけない「転向」 1964年10月の東京オリンピックは、「筆のオリンピック」とも呼ばれた。小説家や評論家など物書きの多くが、まるで競うようにオリンピックのことで筆を執ったからである。 当時はまだテレビタレントがいなかった時代。文学者は文化人の代表格であり、その観戦記は、今日のテレビ番組のレポートやコメントのように広く消費された。こうした文学者たちの文章は、同年12月刊行の『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』(講談社、2014年同学芸文庫で復刊)にまとめられている。 今日改めてこのを読むと、われわれは失笑を禁じえないだろう。というのも、名だたる文学者たちが、あまりにもあっけなく次々に「転向」してしまうからである。 文学者たちは、もともとオリンピック開催に対して批判的ないしは無関心だった。その辛辣な言葉の数々を少し引いてみよう。 「私もかなり批判的だった。たかがスポーツ

    オリンピックの熱狂と「転向」する文学者たち 2020年われわれは冷静でいられるか - ジセダイ総研 | ジセダイ
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • 「誰も政治を教えてくれなかった」人たちへ(出口治明)|ポリタス 参院選・都知事選 2016――何のために投票するのか

    この記事はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際ライセンスの下に提供されています。 このテキストの印刷用PDFはこちらからダウンロードできます。 自分のアタマで考えよう 最近の日お金がある人とない人の格差が大きくなり、若者や子どもの貧困が問題になっています。現在貧困に近い生活を送っている人は、どうやってそこから抜け出せばいいのでしょうか。 私が代表を務めるライフネット生命には、高校を中退して働いていたものの、通信制の高校に通い単位を取得、その後、一念発起して大学試験を受けて大学に入り、入社した社員がいます。 しかし、身も蓋もない言い方ですが「受けた教育のレベルが低いと、いい仕事につける確率はぐんと低くなる」というデータがあるのも事実(労働政策研究・研究機構「ユースフル労働統計2015」)。中卒と大卒とでは、生涯賃金に1億円近い差があるのです。 この国には小学校にも行けていない子ど

    「誰も政治を教えてくれなかった」人たちへ(出口治明)|ポリタス 参院選・都知事選 2016――何のために投票するのか
  • 今こそ読もう!「中空構造日本の深層」 - アンカテ

    史上で有力者が誰も朝廷を潰そうとしなかったのって不気味じゃない?:哲学ニュースnwk これって、天皇=部長、将軍=次長と考えると、サラリーマンならピンと来る話じゃないでしょうか。 つまり、部長がおかざりで、NO2の次長とか部長代理が実権を持って仕切ってる部って、意外と仕事がしやすいということです。もちろん条件はいくつかあって、 部長は大幅に次長に権限移譲している 次長は叩きあげで、現場の細かいことまでよく知っている 部長の「出自」がいい (親会社や銀行からの出向組とか) これだと、部長と次長が仲良くなくて違うこと言ってても、下の者は迷うことが少ないんです。 部長が、朝礼で何かトンチンカンな方針を言うと、すぐに次長が「あの人は現場のことがわからないから、適当に合わせておいて、今まで通りやればいいんだよ」とかフォローしてくれる。 逆に、部下が失敗して次長から厳しく叱責された時には、部長がフ

    今こそ読もう!「中空構造日本の深層」 - アンカテ
  • 反知性主義2:森本『反知性主義』:ホフスタッターの当事者意識や切実さはないが概説書としてはOK - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    おちゃらけ (承前) まずは少しおちゃらけから。 前回の反知性主義話を書いた直後に、斉藤環が次のようなツイートをした。 あ〜また誤解する人が出てきたので注釈しときますとですね、僕が「反知性主義」と呼んでいるのは「バカ」の上品な言い換えとかじゃなくて、「地アタマだけは良い連中の実学志向&人文知軽視」のことですんで誤解なきよう。— 斎藤環 3.15発売「まんが やってみたくなるオープンダイアローグ 」 (医学書院) (@pentaxxx) August 21, 2015 さて、8月21日にこのツイートが出てきて、しかもその中で「僕が「反知性主義」と呼んでいるのは「バカ」の上品な言い換えとかじゃなく」と述べているのは、おそらくぼくの前回 (8月20日)の記述を意識したものだと思う。そうであるにせよないにせよ、ぼくはこういう参照先を明記しないでほのめかしで済ませるやり方は、とても低級な知的堕落だと

    反知性主義2:森本『反知性主義』:ホフスタッターの当事者意識や切実さはないが概説書としてはOK - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 反知性主義1: ホフスタッター『アメリカの反知性主義』 知識人とは何かを切実に考えた名著 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    はじめに 反知性主義をめぐるを3冊読んだので、その話をちょっと書こう。なぜそんなものを読もうと思ったかというと、『現代思想』の「反知性主義特集」に対するアマゾンのレビューがぼくのツイッターでちょっと話題になっていたからだ。 「彼らは反知性主義だ」と規定する知性は知性主義的なのか? ぼくはこの特集を読んでいないし、読むつもりもない。が、このレビューの主張はよくわかると同時に、この特集のスタンスについて疑問が湧いてきた。 というのも、このレビューを信じるなら、この特集での「反知性主義」というのは、「自分とちがう考え」のことらしく(たとえば原発推進とか安部政権評価とか)、そしてそれを「反知性主義」と呼ぶのは、要するに「バーカ」というのをご立派に言い換えているだけらしいからだ。 さて、まずぼくはこの手の言い換えが嫌いだ。ぼくはしばしば、バカをバカとはっきり言うので、性格が悪いとか下品とか言われる

    反知性主義1: ホフスタッター『アメリカの反知性主義』 知識人とは何かを切実に考えた名著 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
    ushiwatat
    ushiwatat 2015/08/27
    |一般の人々にだって、いやかれらのほうがずっと知恵を持っている、という考え方だ。/これはもちろん、フリーソフトの発想であり、インターネットの発想|
  • 自由主義者の「イスラーム国」論・再び~異なる規範を持った他者を理解するとはどういうことか - 中東・イスラーム学の風姿花伝

    近代民主制の自由社会において基中の基の部分について、よく整理された考察だと思い、大変興味深く読ませて頂きました。 また日では、それが批判的な文脈にせよ、そうでないにせよ、イスラーム思想や中田考の主張に対する誤解は非常に多いです。そんな中で、それらに対する理解・考察も可能な限り正確な点も貴重だと思います。 決定的に異なる他者をどう理解し、自由主義社会内では、その存在について、具体的に何を尊重して、何を批判しても許され、何を守らせなくてはいけないのか、そしてそれが自由主義国家圏の外と関係してきた場合どうすべきか、これから私達日人は考え、よく分かっておく必要があるでしょう。

  • ホッブズ『リヴァイアサン』を3分間で説明する

    ホッブズは『リヴァイアサン』というの中で、国家(やその権力や社会秩序)がどこから生まれるかという謎にひとつの答えを出した。 それも「神様のような人間以上のものがうまく設計したのだ」というご都合主義ではないやり方でだ。 原子論が「自然は運動する原子の集まりだ」と考えるように、ホッブスは社会を人間のあつまりだと考えた。 そして人間の性質からはじめて、人間の集まりで何が起こるか、人間と人間が関わりあうことから何が生まれるかを考えた。 どんな人間にもあてはまる性質は、「死にたくない」という欲望と、「おれが、おれの方が」という欲望を持っていることだ。 「おれが、おれの方が」という欲望は、死ぬまで無くならない。 だから、このままだと、いろんなものを取り合って、人間は死ぬまで争い、どんどん死んでいくことになるだろう。 だが人間には「死にたくない」という欲もあり、そして多少はものがわかる能力もある。 こ

    ホッブズ『リヴァイアサン』を3分間で説明する
  • 専門家に聞く 年代別の老後資金作り  :日本経済新聞

    キャリア、転職、人材育成のヒントを提供してきた「リスキリング」チャンネルは新生「NIKKEIリスキリング」としてスタート。 ビジネスパーソンのためのファッション情報を集めた「Men’s Fashion」チャンネルは「THE NIKKEI MAGAZINE」デジタル版に進化しました。 その他のチャンネルはお休みし、公開コンテンツのほとんどは「日経電子版」ならびに課題解決型サイト「日経BizGate」で引き続きご覧いただけます。

    専門家に聞く 年代別の老後資金作り  :日本経済新聞
    ushiwatat
    ushiwatat 2010/09/02
    現代の政治・経済とコミュニタリアン、とか。|市場は生産的活動を組織するには有益な道具ですが、社会の共通善、公共善を追求するための一義的な手段と考えるべきではありません|
  • 日本は「維新主義」から脱却できるか - 赤の女王とお茶を

    太陽がお隠れになったり議会が解散したり宮崎の人がいなくなったり、いろいろと動きがあって面白な日々ですね。 政治の季節っぽいので宮台センセの 日の難点 (幻冬舎新書) 作者: 宮台真司出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2009/04/01メディア: 新書購入: 28人 クリック: 233回この商品を含むブログ (227件) を見るも読んでみたり、今日は日政治潮流について少々。 少なくとも民主党の躍進はあると思われる今回の衆議院選挙。政権交代自体は結構だと思いますし、しがらみが断ち切れることで新しい声が政治に入りやすくなるのは悪いことではないでしょう。 でもちょっと気になるのは、明らかに意識しているであろう「平成維新」。 イメージ戦略上定石なんでしょうけど、日政治改革というと、常に「維新」と称されます。 単なる言葉のアヤならいいんですが、どうも明治維新以来、昭和維新と呼ばれた226

    日本は「維新主義」から脱却できるか - 赤の女王とお茶を
  • 恥をかかない為の政治? - アンカテ

    先日、クローズアップ現代で「若者の投票率低下」をテーマにしていて、きちんと全部は見れなかったけど、なかなか面白かった。 印象的だったのは、投票者の平均年齢を取ると、何年か前までは37,8才だったものが今は52才ということだ。数字は記憶違いがあるかもしれないが、とにかく、その平均の年齢が自分の年齢を通り過ぎていたことをよく覚えている。40代後半の人間が政治について何か発言すると、昔だったら長老のはしくれだったのが、今では若造の一人ということになってしまう。 ただ、「何故これがよくないのか」ということを分析しないまま、いきなり対策の話、どうしたら投票率を上げられるかという話になっていて、そこには違和感があった。 「若者の投票率低下」がまずいのは何故だ。 そもそも誰にとって、それがまずいのか。 今、政治的課題となってるものの多くに関して、若者と高齢者の利害は対立している。高齢者にとっては、若者が

    恥をかかない為の政治? - アンカテ
  • thought.ne.jp#よい子の社会主義:よい子の史的唯物論1

    ――名探偵ゲーデル先生のところに、今日も助手のカンパネルラ君がやってきました。 ゲーデル やあ、カンパネルラ君。あいかわらず金利生活者みたいなナリして。今日はいったいどうしたんだい? カンパネルラ 先生を真のプロレタリアートと見込んで聞きたいことがあるんです。 ゲーデル ハラショー! おだやかじゃないね。また誰かにいじめられたのかい? カンパネルラ ぐすん。どうしてそう思うんですか? ゲーデル だって君の上着の裏ポケットから、涙でくちゃくちゃになった「帝国主義論」がのぞいているじゃないか。 カンパネルラ 先生こそ、そのスリッパ、マオ・カラーですよ。それでぼくが聞きたいのは「史的唯物論」のことなんです。 ゲーデル 「史的唯物論」というのはね、社会学のことなんだよ。 カンパネルラ この大うそつき! なんだって、そんなデマを。 ゲーデル 当だよ。ロシアの革命家ブハーリンが「

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/12/07
    くるぶし氏(「読書猿」運営者)によるコンテンツ。cf. http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/ よい子の分析哲学 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1356/kuru/analysisPHILO.html なども。
  • 希望はテラ豚丼 - たいしゅううんどう

    吉野家、「テラ豚丼」動画騒動で謝罪 - ITmedia Newsこういう騒動をみていて思うのは、「ああ、そうか、みんな吉野家とか松屋を利用していて、そして信頼をよせているんだな」ということだった。そして、よく判らないのは、「あれ?安いものをべるってことはそういうことじゃなかったのか?」ということでもある。まさか、あなた吉野家にいってゴキブリが這いまわっていたり入っていたり蝿が入っていたり蝿は入っていないけれども虫とか入っていたり、あるいはオナニーしたあとの手で器とか触っていたりとかしてないと思っているの?とか俺は思ってしまう。そして、俺は貧しいということは、そういう「不潔だ!」とか言われてもそういうのと付き合わざるをえないことだと思っている。そして、そういう貧しいことが「不潔だ!」とか「汚い!」ということと付き合うということの悲惨さがあるからこそ、女性は貧しいのは嫌とか言うのではないでし

  • 国民のマジョリティーは新自由主義でも社民主義でもない - Munchener Brucke

    新自由主義か社民主義かという議論は、正直空振りにあることが多い。なんやかんや、日で常に支持されているベタな考えは「税金の無駄遣いをやめて、その分で社会保障を充実」という思想だからだ。これは55年体制時代から、現在まで何ら変わっていないということをこの頃痛感する。 55年体制というのは、公共事業型「大きな政府」の自民党と、社会福祉型「大きな政府」の社会党という対立構造であった。社会党は既に大きな政府である現状で更に大きな政府にするための「増税」を謳うことはなく、基的に「税金の使い道を変える」ことを主張し、政府の増税策に対しては常に反対する立場を取ってきた。これについては共産党の同様の立場であった。 80年代末に、保守政治家の中から「税金の無駄遣いを止める」というような税金の使い道を変える議論が盛んに為されるようになった。その中で起きたのが自民党の分裂と新生党、新党さきがけ、日新党の誕生

    国民のマジョリティーは新自由主義でも社民主義でもない - Munchener Brucke
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/02/11
    |日本で常に支持されているベタな考えは「税金の無駄遣いをやめて、その分で社会保障を充実」という思想だからだ。これは55年体制時代から、現在まで何ら変わっていないということをこの頃痛感する。|
  • 「消極的支持」の欺瞞こそ全体主義の始まり - モジモジ君のブログ。みたいな。

    【nichijo氏の指摘により、追記を一部修正、末尾】 「消極的支持がない絶対的支持の投票は全体主義の始まり」(@手記)を受けて。 選んだ人が主観的に何を考えているとしても、ある候補者を選ぶことは、その候補者の掲げる政策に対して、全体として、「イエス」と言うことにしかならない。私たちは、ある候補の掲げる政策に対して、全体として「イエス」と言うか、全体として「ノー」と言うか、そのどちらかしかできない。言うまでもなく、私たちは個々の論点について、異なる意見を持つことがある。しかし、私たちが持つ選挙制度においては、それを表現する手段はない。理不尽なまでに縮減された選択肢の中から、選ぶしかないのだ。そういうものである。 私たちが持つ選挙制度が、候補者に対する投票としてなされている以上、これは形式的な意味で真である。これは事実であって、異論の余地はない。それが理不尽であるとしても、理不尽な事実がある

    「消極的支持」の欺瞞こそ全体主義の始まり - モジモジ君のブログ。みたいな。
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/02/11
    |しかし、私たちが持つ選挙制度においては、それを表現する手段はない。理不尽なまでに縮減された選択肢の中から、選ぶしかないのだ。そういうものである。|
  • ララビアータ:ヘーゲル――近代政治哲学の臨界

    ヘーゲル哲学の位置を正確に見積もるためには、補助線として近代政治哲学の諸説を参照することが有益である。一つは功利主義、もう一つは社会契約説。 功利主義にとって、功利とか快苦とは、主観的なものなのか、それとも何か客観的なものであろうか? どんなに医者が「君は痛みを感じるはずがない」と言ったところで、痛い時には痛いと言われるだろう。功利や快苦も、そのように単に主観的なものであって、誤認の余地のないものであろうか? それとも、人にそう思われるだけでは誤認される事も有り得るものなのであろうか? (この点、拙著『魂の美と幸い』で触れたことがある。「魂が自らを幸福だと信じる場合、さながら神経痛が決して我々の神経を裏切らないように、この魂の判断に誤りの可能性はないのか否か?」) しかし功利主義は、例えば財の効用によって、財の交換を説明しようとするだろう。たとえば、私が自分の手持ちのA商品を手放して他人

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/02/09
    ヘーゲルの精神現象学の途を主体の信仰に対峙する知識として見、その難点を挙げる。 |理由と知に基づく近代政治哲学に換えて、決断と信仰に基づく政治哲学が、可能でもあり、必要でもあるのではなかろうか?|
  • なぜボクたちは「ノンポリ」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「ぼくがどうしてこう「ノンポリ」なように見えるのか」 いろいろあって、自分の政治的立場について考えてみた。・・・おそらく、ぼくが採りたいのは、イデオロギーなき革新というか、物語なき進歩主義の立場なのだ。つまり、世の中は変わっていると考え、その変化を基的に肯定するが、しかし特定の物語は信じず、「諸物語の均衡」にこそ支点を見出すという立場だ。 しかし、そんな立場は可能なのか。どうも難しい。そこで考えられたのが、ニヒルな唯物論というか、技術決定主義というか、つまり、革新や進歩は下部構造によって勝手に強いられているのだから、もうあと人間はやることないんじゃないか、みたいな話なんだろう。どうも、ここ数年、ぼくがリバタリアニズムがどうとか、ポストモダンの二層構造がどうとか言っていたことの根源は、そういうことにあるような気がする。 政治来の目的が共通資源のよりよい管理にあるのであれば、その過程が必

    なぜボクたちは「ノンポリ」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 東浩紀の渦状言論: シンポに向けてのメモ2