あの人はどういうスジの人かね、という言い方がある。筋金入りとかスジ者という言い方もある。大半の学問はこんなスジを追わない。 明治の日本が富国強兵と殖産興業にあけくれていた時期、日本の村落社会は最悪の時期を通過しつつあった。赤松啓介はその食い散らかされた残骸列島になお息吹いている「常民」ならぬ「非常民」の動向を追って、調査研究活動と社会運動の大半を東播地域に向けた。兵庫県の旧播磨の東部の加古川流域である。そこが赤松の故郷であって、非常民の原郷だったのだ。 柳田國男は「常民」を民俗学の対象にした。その柳田の目が届かなかったか、あえて軽視した日本がある。それが非常民の日本である。そこにはさまざまのスジが交差していた。赤松がそのような非常民の日本を重視するのは、「常」には「貴」も「賎」も含まれないのだから、そこに「非常」がなさすぎるというのだ。もし常民が非常を含むなら、あえて常民といわずに「平民」
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