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民俗学と松岡正剛に関するvopinkpunkのブックマーク (4)

  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 1142 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    人は種的同一性のことばかり考えると言われているが、そんなことを話題にするようになったのは開国と不平等条約のなか西洋列強と伍そうとしてからのことで、それがイギリス人やイタリア人やスペイン人より濃いのかというと、そういうこともない。 むしろ中江兆民が日人の「恐外病」ないしは「侮外病」を警告したように、ガイコクやガイジンを気にしすぎるといったほうが当たっている。しかし、日人が自分の自画像をまるでラカンの鏡像過程のように気にしているのはまちがいなく、自分で自画像を描くよりも、外から自分がどう見えたかを気にする。 では、日人自身はちゃんと自画像を描いたのか。どのように描いてきたのか。それはどこにあるのかというのが書のテーマになっている。書が検討する自画像は荻生徂徠・居宣長・福澤諭吉・柳田国男・江上波夫・小林秀雄・吉隆明らによって描かれた自画像である。何を書が検討したのか、かなりと

    1142 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1135 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    あの人はどういうスジの人かね、という言い方がある。筋金入りとかスジ者という言い方もある。大半の学問はこんなスジを追わない。 明治の日が富国強兵と殖産興業にあけくれていた時期、日の村落社会は最悪の時期を通過しつつあった。赤松啓介はそのい散らかされた残骸列島になお息吹いている「常民」ならぬ「非常民」の動向を追って、調査研究活動と社会運動の大半を東播地域に向けた。兵庫県の旧播磨の東部の加古川流域である。そこが赤松の故郷であって、非常民の原郷だったのだ。 柳田國男は「常民」を民俗学の対象にした。その柳田の目が届かなかったか、あえて軽視した日がある。それが非常民の日である。そこにはさまざまのスジが交差していた。赤松がそのような非常民の日を重視するのは、「常」には「貴」も「賎」も含まれないのだから、そこに「非常」がなさすぎるというのだ。もし常民が非常を含むなら、あえて常民といわずに「平民」

    1135 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1526夜 『かさねの作法』 藤原成一 − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    1526夜 『かさねの作法』 藤原成一 − 松岡正剛の千夜千冊
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