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ブックマーク / umeten.hatenablog.com (6)

  • なにこのアクセス原理主義 - umeten's blog

    萌え理論Blog - もうまとめしかない どういう心境なのかわらからンが、確かに「便利屋」になるってのもひとつの手だし、2ch系ブログなんかはその「便利屋」なわけだけど、大見得切って(?)「理論」と名の付いたブログでこんなことが言われたので、ちょっと意外だったので100字を超えて、そして刻を越えて言及。 あー理由はこれか。 >やはりこの手の記事が一番効率が良いので、はてブ狙いの記事はまとめを残して撤退します。 回転数のベースアップを図るためってンなら、まあ妥当か。 そういうの必要かなあ……*1 お手軽に人を集めるんなら、まとめよりも「転載」して炎上した方が早いような気もするけど、ね!! それなんて焼畑農業? *1:ウチに

    なにこのアクセス原理主義 - umeten's blog
  • 新興宗教オモシロ教 - umeten's blog

    教団名=はてなダイアリー 洗礼名=id 教義=はてな記法 作法・礼法=はてなブックマーク 呪文・経文=はてなキーワード・ブックマークタグ 聖地=渋谷(京都より聖遷) 偶像=しなもん 開祖=id:jkondo 教祖=id:naoya 教学=id:amiyoshida、id:finalvent 布教=梅田望夫 広報=id:kanose 原理主義集団=モヒカン族 武装集団=断片部 スパイ(二重スパイ)=id:catfrog 旧喜び組=id:rir6(脱北) 新喜び組=id:churchill 雑役=非モテ <インスパイヤ・フロム> ブロシキ - 限りなく宗教に近いブルー

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    webmugi
    webmugi 2006/03/27
     どうなっても知らね
  • ネット文法三原則 - umeten's blog

    ベタに走ればうっとおしい。 ネタに走ればこざかしい。 メタに走ればねたましい。

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    webmugi
    webmugi 2006/03/19
     濃縮
  • 「エレガントな支配」への堂々たる宣言 - umeten's blog

    グーグル村上社長「2009年には“人類の知”がすべて検索可能に」 最後に村上氏は、3年後の具体的なGoogle像を展望。「2009年にはおそらく、“人類の知”と呼ばれる分野のデータはすべて検索可能になるだろう」と予想した。そして「透明性の高い(検索結果の)パーソナライズを実現するために、ユーザー自身のことを教えてもらいたい。そして、何かを聞かれたらGoogleが即答する環境を作りたい」と具体案を示し、講演をまとめた。 インフラを支配することが世界を支配すること。 昔鉄道、今ITという、超帝国の系譜がここに。 こういう事態を状況として、自然として受け入れたら、「終わり」だと思うんだが。 もちろん、自分自身もこの技術から恩恵を受けもし、つまり同時に依存してもいるわけだが。 だが、それにしても、こうまで肥大化した「技術」に対しては、鈴をつけようとする動機すらも失われがちになろうというところを、絶

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  • 素直さの強制は批判の抑制 - umeten's blog

    「年下が批判するなどおこがましい!黙って従え愚か者!それが「社会」だ!」 ――老人の決まり文句だ。 何が「社会」だ。お定まりの奇麗事の上っ面の上澄みを取り上げて何が「社会」だ。 時系列的に先行することが最善かつ最良であるとするこの思考は、つまるところ、遅れたものは全て劣ったものである、間違ったものであるという結論に落ち着く。 だが、それがどういう世界観を生むものかはまったく意図的に無視されている。 つまり、時系列的に先行することのみが善なるものだとするのなら、今より未来の世界は悪くなるしかないということである。 成長だの発展だのというのは、地獄への転落を生ぬるく言い換えたものにしかならないことになる。 この世界観を持つものにとって、生まれ来る子供は全て悪の因子なのだ。 年若い者は、それだけで邪悪な存在なのだ。 この世界観を持つものにとって、オヤジども老人どもにとって、未来などハナから存在し

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  • 「マイノリティ」バッシング - umeten's blog

    こっちは、あきらかにバックラッシュ的。 :煩悩是道場 - 自分たちの事を「マイノリティ」なんて言うのヤメなさいよッ! そして、それに萎縮し沈黙させられるマイノリティ精神。 むぎむぎ - ほんとうにマイノリティなのか マイノリティのみが、こうやってその政治性を「暴き立てられる」様は、それこそマイノリティの存在とその現状の苦しさを浮き彫りにするものではあるが、 一方、マジョリティの側は、可視化された政治性を持つだけに、「暴き立てられる」という「形式的非難」を免れ、逆に「普通」「当然」「常識」「当たり前」といった「自然的文脈」でもってのみ言及される。 そこにあるのは、「悪とは潜在するものである」という無邪気な信仰なのか。 「大きすぎて見えない」ものは、その「大きさ」という点に性善説的なイメージを読み込まれるのか。 あるいは、それぞれに「逆らう」ときに予想される「被害」の大小が、その反応を違えさせ

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