目 次 序 章 活字の論理 —— 日本語活字印刷史への視角 1 アコスタの世界認識の方法 2 印刷出版による階層化 3 REDUCIR の論理 4 木版印刷という選択 5 日本イエズス会版の位置 6 朝鮮の鋳造活字 —— 活字の東と西 7 本書の構成 第Ⅰ部 古活字版のタイポグラフィ —— 活字・組版・異版 導論 漢字仮名交り文の古活字版を論じる理由 第1章 嵯峨本『伊勢物語』の活字と組版 1 資料と分析方法 2 仮想組版の試み 3 木活字について 4 慶長13年初刊本の異版問題と部分異植字 5 慶長13年再刊本の活字と組版 6 異版の制作方針 7 まとめ 第2章 古活字版の仮名書体 1 仮名を活字に載せるということ 2 キリシタン版と古活字版の連続活字 3 漢字仮名交り文古活字版の活字規格と組版 —— その諸相 4 嵯峨本『伊勢物語』のタイポグラフィ 5 変容する印刷書体 小括 古活字版
近年,各方面で話題となっているとおり,デジタル技術の飛躍的な発展によって,印刷の文化にも劇的な変化がおこっています。これまで,活字や版画によって文字や図像を複製し,書籍や作品として広く頒布・配付してきた印刷や出版などの仕事にとって,従来と同じかたちでの成果をおさめることは,難しくなってきたかにみえます。そうした激動のなかにあって,その方向や意味を正確にとらえ,新たな姿勢を整えるためにも,印刷の歴史やその現在における展開を,改めて全体として見とおすことが,必要となっています。ここでは,それを簡潔に展望したうえで,そこでの重要な問題点にも論じ及びたいと思います。 印刷とは,もとの文字や図像を,正確かつほとんど無限回にわたり,複製することを意味します。そのためには,複製するための仲立ちとしての版,それを写像として表現させるためのインク,そしてそれを実現させるための資材,たとえば紙などが必要です。
真性活字中毒者読本 : 版面考證/活字書体史遊覧 / 小宮山博史, 府川充男, 小池和夫著. -- 柏書房 2001.9 和様ひらかな活字 / 板倉雅宣著. -- 朗文堂 2002.5 ヴィネット : Typography journal 03 日本語のデザイン / 永原康史著美術出版社 2002.4 新デザインガイド 活字東へ : 長崎の活字のゆくえ / 板倉雅宣著朗文堂 2002.12 ヴィネット : Typography journal 07 大日本印刷株式会社史 : 七十五年の歩み / [大日本印刷編]ゆまに書房 2003.10 社史で見る日本のモノづくり 8. -- 1952刊の復刻 欧文書体百花事典 / 組版工学研究会編朗文堂 2003.7 かごしま印刷史 / 高胗毅著鹿児島県印刷工業組合 2003.1 日本の近代活字 : 本木昌造とその周辺 / 『日本の近代活字本木昌造とその
『大日本印刷130年史』608頁に「樹脂版の導入」という項目がある。全文を引用してみよう。ちなみに書かれている年の区切りは「昭和」である。 四五年ごろ、活版印刷における鉛版工程では、鉛を使う作業環境の改善、および将来に向けての文字組版、写真植字化への対応、作業工程の合理化等の視点から、樹脂版化の検討が進められた。当初、プラスチックで実験が行なわれ、その後、帝人㈱のデビスタ、旭化成工業㈱(現、旭化成㈱)のAPR(Asahi Photo Resin)の樹脂版で実験が繰り返された。しかし、耐刷力の不足、樹脂版作成工程の複雑さ、印刷機への装着方法の不安定さ、材料費の高騰など数多くの課題があった。 五〇年代に入ると、工場や技術部のスタッフを中心に検討チームをつくり改善を進めた結果、実稼働の見通しが立ったので、五五年にAPR樹脂版を使用する自動刷版機SRI-Xを導入し、五七年八月からAPR樹脂版に完全
先日の記事に記した近代デジタルライブラリー観察資料のうち、宮城県立図書館が現物をもっているものを、眺めてきた。 まず、明治二十八年に春陽堂から出た『惟任日向守』。これは、実寸4.77mmの号数制四号活字を四分アキで組んだものと思われた。 その国文社が刷った、明治二十二年に吉岡書籍店から出た「新著百種」シリーズの第一号『二人比丘尼色懺悔』を計ると、奇妙な結果が出た。仮名は明らかに、築地体前期五号仮名ベースであるところの国文社の五号仮名(を楷書活字のサイズに鋳込んだもの)と思われるのだが、漢字活字を基準に計っていくと、どうも実寸4.63mmの活字を四分アキで組んであるように思われる。 また、田口高朗が刷った第二号『掘出し物』をも計ってみると、やはり本文は実寸4.63mm活字を四分アキで、また前号の評の頁はベタで組んだもののように見える。 この実寸4.63mmというのは、片塩二朗「弘道軒清朝活字
岩田母型製造所の弘道軒清朝四号には、「聲」も「声」もある。「声」は当用漢字表にも略字で載っているから、戦前からあったには違いない。 それにしても「聲」の字がどうも弘道軒らしくないように感じる。手持ちの『東京日日新聞』のコピーから「聲」を探してみた。 荒い画像だが、まるで違うことはわかると思う。新聞の(五号)ほうは、「声」の左払いが綺麗に伸びているし、「耳」の形も異なっている。 こちらが本来の弘道軒清朝だ。それでは岩田母型製造所の「聲」活字はなにものなのか。 おそらくは戦後に岩田で新刻したものということになるだろう。清朝四号の清刷を見る限り、弘道軒が健在なうちには必要とされなかった筈の新字体活字が散見されること、また明治に弘道軒で彫られた活字とは明らかに線質の異なるものが存在することなどから、新刻活字があることは確かであるが、岩田の社史には弘道軒清朝に関して、新刻の記録がないのである。 凸版
ゴシック体とかサンセリフ体とか呼ばれる系統の書体をば、敢て「リニア書体」と称して、以下のメモ群を記す。 先日http://d.hatena.ne.jp/uakira/20070607さ記した理屈で《Alternate Gothicゴシック起源説》を否定するだけの内容を綴る準備は、実は『ヘルベチカの本』発売の直後には済んでゐたんだども、《Alternate Gothicゴシック起源説》の起源ば調べてみっぺと思ってしまったために発表の時期を逸してしまってゐた。満足がいくまで調べ終えたわけでは無ぇんだども、追加調査が出来そうにないので、昨秋までに眺めてゐた状況ばメモに残しておくことにする。 さて、欧文組版に関しての邦文に欧州の基準が持ち込まれて、リニア書体をゴシックではなくサンセリフと記しはじめるのはいつ頃のことだらうか。――さういふ思ひから行き当たったのが、次の三点。 二葉商会『欧文活字』*1
ある有名Serifenlose書体をテーマにした本(4844358308)や、同じ出版社から最近出された文字遣い入門書(484435907X)など、21世紀になって何年も経つのに、相も変はらず「日本でSerifenlose書体のことをゴシックと呼ぶのはAlternate Gothicを略してゴシックと呼ぶようになったから」といふ説明をするデザイン書があるってことに驚きを隠せねぇ己だ。 明治初年に米国産Gothic活字(単に「Gothic」といふ名で呼ばれてゐた活字)が日本の印刷所に購入されてゐるのだし、和文「ゴシック体」活字がGothicを名乗った最初の印刷物は明治二十七年(一八九四年)の野村宗十郎『座右之友』(東京築地活版製造所)の「五号ゴチック形」(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/755589/47)と目されてゐる。American Typ
第 1 回 文と字と──六書の形成 1 漢字誕生 [甲骨文] 甲骨文は、亀の甲や牛の骨に刻んだ文字です。商時代の人々は、日常の全ての行為と現象に対してまず占いをおこなったのです。そこにあらわれた「ひび割れの形」で神の返答を判断したそうです。その甲や骨には「いつ誰がどのようなことを占ったのか」を文字で刻みました。さらに王がそのひびを見て判断した吉凶の予測、結果として起こった出来事などを記したようです。東京・書道博物館所蔵の『甲骨大版』(商時代)は、日本国内で所蔵されている甲骨の中では最大のものだそうです。このように原形をとどめている大きなものは、たいへん少数だそうです。刀で掘った文字なので、筆画が直線的になっています。 [金文] 金文は、銅器に鋳こまれた銘文のことです。その銅器を製作した氏族の名や祖先神の名を表した簡単な銘文から、その銅器のいわれを述べた長文のものまであります。文字は、粘っこ
アンチゴチLOVEな己、最初期和文アンチック体活字について調べてたのと平行して、当然和文ゴシック体活字についても重大な関心を持ち続けてゐだった。 2005/10/28: 鉄道小説『鳴神組』の時刻表を刷った活字 - 日本語練習中 2006/12/19: 板倉雅宣『活版印刷発達史』のことなど - 日本語練習中 2007/06/07: Alternate Gothicがゴシックの源といふデマについて - 日本語練習中 2007/06/16: Alternate Gothicゴシック起源説の起源 - 日本語練習中 2007/07/07: 明治24年のAlternate Gothic - 日本語練習中 昨年暮れに小宮山博史「和文活字書体史研究の現状と問題点」(『デザイン学研究』二〇一〇)を読むためにciniiの購読を登録した後、科研費による「和文ゴシック体創出の研究」が行はれてたのを同誌バックナンバ
片塩二朗「弘道軒清朝活字の製造法とその盛衰」(『タイポグラフィ学会誌04』二〇一〇)八五頁に、①《三谷の前半生の記録は海軍に徴用されたとする記録をみるばかりで乏しいが、大正時代の初期に、忽然と労働運動の闘士として神戸印刷工業組合(ママ)の機関誌『活叫』に登場する。同時に欧文植字工の特異な職能団体だった「欧友会」の関西支部長としてもさかんに活動をくりひろげた。欧友会にはままアナーキストや体制激烈批判派がいて、なにかと物議をかもす団体でもあった。》と、『活字に憑かれた男たち』(朗文堂、一九九九)に記した話が再掲され、続けて②《その後東京に転じた三谷は、博文館印刷所(共同印刷の前身)に勤務したが、職種はやはり欧文植字工であった。この職種は俗に「おうちょく」と呼ばれ、この時代の活字版印刷工の多くのように、尋常小学校を卒業し、徒弟修行から欧文植字職人としての途を歩むには、相当に強固な意志と、自助努力
トナン・大熊肇の(ほぼ文字についての)覚え書きです。 充分に検証していないこともありますので、眉につばをつけてご覧ください。 連絡先:hajimeアットマークtonan.jp(「アットマーク」を「@」に変えてください) 『文字の骨組み』2刷の間違いとご指摘 『文字の骨組み』初刷の間違いとご指摘 『文字の組み方』訂正箇所 期 日:2011年2月16日 場 所:嘉瑞工房 参加者:高岡重蔵さん、高岡昌生さん、小池和夫さん、上田宙さん、立野竜一さん、大熊肇 1900年(明治33年)、猪塚良太郎生まれる(1901年・明治34年生まれとも)。 猪塚良太郎が経営していた「三友舎社交印刷店」(以後「三友舎」と表記)の前身は「一志舎」という印刷所で、明治時代に創業。弘道軒清朝のオリジナルも所有していたとおもわれる。 「一志舎」の経営者が猪塚良太郎の父から印刷所を担保に借金をし、返済できなかったため「一志舎」
昨年6月に書いた記事に補足したい。 東京日日新聞の本文にサイズの異なる二つの楷書活字が用いられていることは先に書いた。 仮に一方を本文大、他方を本文小とすると、本文大は弘道軒清朝、本文小は築地活版の楷書活字である。 ところが、片塩論文では104ページで、これを「俗説」として切り捨てるような物言いをしている。 おそらく片塩氏は東京日日新聞の紙面を実際にご覧になったことがないのであろう。 一例として、明治21年5月9日付の紙面を見てみよう(小宮山博史氏提供のコピーによる)。 一面は三段組みで、二段目と三段目は清朝五号のベタ組み24字詰めである。一段目にはまず広告があり、二号の明朝と五号の清朝が混植されている。その左は官報で、本文小が使われている。 ベタ組みで30字詰め、天は少し空いている。片塩論文によれば、清朝五号は実測値で4.63mmであるから、一段24字詰めの行長は、4.63×24=111
『タイポグラフィ学会誌04』所収 片塩二朗「弘道軒清朝活字の製造法とその盛衰」は、 弘道軒清朝に興味を持つものには必読の論文である。 20日には、論文発表会も開かれるので、その前に予習をしておこう。 http://www.society-typography.jp/news/ 10章(A4判110ページ余)に及ぶ論文なので、概略をメモしておく。 論文の骨子は、2008年に再発見され、提供を受けた横浜築地活字に保存されていた弘道軒清朝活字の父型・母型・活字のセット(以下「資料」)の検証であり、同時に本木昌造系の明朝活字に比べ、研究の少なかった弘道軒清朝の研究史を概括しつつ、新たな視点を提供するものといえる。 「資料」は、1976年にタイポグラフィ協会が岩田母型から譲り受け、現在では印刷博物館に所蔵されている父型・母型・活字のセットと同等のものであり、1946年に岩田百蔵が弘道軒の継承者から買
@i_mediator 様 ロバート・モリソンの『五車韻府』が、オンラインで参照できてしまうとは、ありがたくも恐ろしい世の中になったものであります。 1820年版: http://books.google.co.jp/books?id=6zkOAAAAIAAJ&ots=c-EQnG9uX-&dq=Morrison%20Chinese%20Dictionary&pg=PP2#v=onepage&q&f=false 1865年版: http://www.archive.org/stream/dictionaryofchin00morr#page/n11/mode/2up さて、Robert Morrison『A Dictionary of the Chinese Language: Chinese and English arranged according to alphabetically
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