先日から、活版時代の行頭禁則を確認してみようと思っていたので、丸善『学鐙』の行頭・行末を眺めてみた。 昭和十七年十二月頃だと、外来音の小書き拗促音と長音符が行頭許容になっている。 戦後も同様で、ここには昭和二十六年二月、二十七年三月、三十年二月の例を掲げておくけれど、外来音の拗促音と長音符が行頭許容。実は日本語の拗促音は小書きされていない。 日本語の拗促音が小書きされるようになるのは、実に昭和三十七年七月号からだ。 以前己はこのブログを「訛った旧仮名遣ひ」の口語文で綴ってみてたんだども、その際も促音は小書きしてゐだった。実はこの時期白州正子が促音小書きを受け入れてゐただけでなく「一しょ」なんていう表記もアリだったと知って驚いた己だ。 以後、日本語・外来語、共に小書き拗促音と長音符が行頭許容である。例として昭和三十八年二月、四十一年八月、五十九年二月を挙げる。 昭和六十三年の一月号からは活字