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ブックマーク / bunshun.jp (6)

  • 三浦瑠麗氏インタビュー「日本学術会議はちぐはぐな組織。それでも、パンはパン屋の言うとおりに作らせておくのが『保守の知恵』です」 | 文春オンライン

    学術会議法では、同会議を「独立」した存在と規定し、会員は「内閣総理大臣が任命する」としているが、政府は1983年に当時の中曽根総理大臣が国会で、「政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っている」と答弁。あくまでも形式的な任命制であって総理に任命の拒否権はないという解釈を維持してきた。しかし、今回の問題が起きる前の2018年に、その解釈を変更し、拒否権があるという新解釈に改めたというのだ。そして、その解釈に基づき今回、宇野重規東京大教授、加藤陽子東京大教授ら6名の任命を拒否した。

    三浦瑠麗氏インタビュー「日本学術会議はちぐはぐな組織。それでも、パンはパン屋の言うとおりに作らせておくのが『保守の知恵』です」 | 文春オンライン
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    x4090x 2020/10/09
    「餅は餅屋」じゃだめなのか?
  • 特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン

    パイロットが搭乗したまま航空機を敵艦に突っ込ませる特攻隊の「体当たり作戦」は、「私には、100パーセント死ぬ命令をだすことはできない」と語った海軍航空部隊の隊長がいたというほど、生還の望みをもてないものだった。 作家・保阪正康さんの著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日人』(角川新書)より、特攻の始まり、そして特攻隊員たちの知られざる音について一部を抜粋する。 ◆ ◆ ◆ 特攻の始まり 初めて戦術としての組織的な特攻隊の出撃は、昭和19年10月25日。海軍の神風特攻隊である。 この年、各地の守備隊が次々玉砕するなど、戦況は著しく日に不利となった。軍事指導者たちの無能ぶりからなんら打開策が見いだせないまま、戦争はズルズルと泥沼に陥り、犠牲者をいたずらに増やしていた。その中から出てきたのが「体当たり攻撃」作戦だった。 まず海軍が、人間魚雷「回天」を開発した。もっとも初

    特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン
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    x4090x 2020/08/07
    志願を英語では「ボランティア」というので、特攻はボランティアってことになる
  • 東海道新幹線「のぞみ」の“ナゾの通過駅”「三河安城駅」には何がある? | 文春オンライン

    東京から新大阪を目指して東海道新幹線の「のぞみ」に乗っていると、風の速さで過ぎてしまう通過駅の存在を意識することはほとんどない。だいいち、「のぞみ」が停まらないとはいえ、やはり新幹線。静岡なり浜松なり小田原なり、それなりに知名度の高い駅が多い。だから、東海道新幹線にナゾの通過駅などないのだ……と思っていた。ところが、ひとつあった。三河安城駅である。 三河安城駅と聞けば、ピンとくる人も多いだろう。「のぞみ」が名古屋駅に近づいてくると流れる車内放送――「この電車は三河安城駅を定刻通りに通過しました。次の名古屋駅にはおよそ9分で到着します……」というアレだ。名古屋で降りるときはこの車内放送を聞いて、「ああ、そろそろだな」とリクライニングをもとに戻して荷物をまとめて降りる準備をする。だから三河安城駅は「のぞみ」ユーザーからの知名度がかなり高い。

    東海道新幹線「のぞみ」の“ナゾの通過駅”「三河安城駅」には何がある? | 文春オンライン
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    x4090x 2020/07/20
    のぞみ301号の「ただいま名古屋駅を時刻通りに通過しております」という動画は何度か見た
  • 運動会の大福餅を食べて死者44人……あの「七三一部隊」トップも駆けつけた“未曾有の大事件”とは | 文春オンライン

    新型コロナウイルスの感染拡大では、当初一部で「バイオテロでは?」といううわさが流れた。5月5日付日経新聞朝刊には、イギリス・エコノミスト誌の「生物兵器、高まる懸念 防衛後手」という記事が載っている。そこでは、「生物学的な脅威に対して、米経済と世界経済が脆弱なことが明らかになった。このことは、もし生物兵器による攻撃を受けたら、その打撃はとてつもなく大きくなることを示している」というアメリカの研究者の談話を紹介している。 今回はっきりしたのは、感染症の怖さは、病状が悪化して死に至ることもあるだけでなく、社会を不安と恐怖に陥らせ、人々を疑心暗鬼にさせて自粛と萎縮で心身に大きなダメージを与えること。そして、同じようなことが84年前の日で起きていた。 死者は44人 静岡県浜松市で起きた「運動会の大福中毒」 空前の出来事なのに、記録にも人々の記憶にもあまり鮮烈に残っていない。歴史の中にはそんな事件

    運動会の大福餅を食べて死者44人……あの「七三一部隊」トップも駆けつけた“未曾有の大事件”とは | 文春オンライン
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    x4090x 2020/06/08
    2001年炭疽菌入りの郵便物がNBCに送られたとき、NBC兵器になぞらえたのではという憶測が流れた
  • 校門圧死事件から30年――理不尽すぎる「ブラック校則」の闇が深くなっている | 文春オンライン

    遅刻取り締まりで生徒が死亡 1980年代以降、校則は管理教育を象徴するものとして、その過剰で細かい規定事項が厳しい批判の対象とされてきた。とりわけ、神戸市内の高校で起きた女子生徒の校門圧死事件は、子どもを徹底して管理することの是非を、世に問うこととなった。 1990年7月のこと、登校時の遅刻取り締まりのために、校門付近で教師3名が指導をおこなっていた。「○秒前!」とハンドマイクでカウントダウンしながら、午前8時30分のチャイムとともに、1人の教師が鉄製の門扉をスライドさせて閉めようとした。そこに、女子生徒1人が駆け込んでいった。教師は気づかずに門扉を押していったため、女子生徒は頭部を挟まれ、死亡する結果となった。 「教師として当然の義務のように思い込まされてきた」 この事案において、門扉を直接に閉めた男性教諭は、刑事裁判において禁錮1年(執行猶予3年)の判決を受けた。事件から3年後の199

    校門圧死事件から30年――理不尽すぎる「ブラック校則」の闇が深くなっている | 文春オンライン
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    x4090x 2018/10/09
    この手記読んだ。ミルグラム実験と同じだ。アイヒマンの主張と酷似している
  • ご存知ですか? 1月12日は奈良時代の長屋王邸宅跡が判明した日です | 文春オンライン

    いまから30年前のきょう、1988(昭和63)年1月12日、奈良国立文化財研究所(現 奈良文化財研究所)が、平城宮跡の南東隅にあたる地点(奈良市二条大路南)で出土した木簡から、そこが奈良時代初期の皇族政治家・長屋王の邸宅跡であることが判明したと発表した。 長屋王は、天武天皇の子・高市(たけち)皇子の長男で、平城京遷都以来、政界の中心だった右大臣・藤原不比等(ふひと)が720(養老4)年に死ぬと、皇族の代表として主導者となり権勢を誇った。だが、やがて不比等の子である藤原4兄弟と対立し、729(神亀6)年には、謀反の疑いから藤原宇合(うまかい)らに邸宅を包囲され、自害に追いこまれてしまう(長屋王の変)。この変については、聖武天皇の皇位継承をめぐる問題を主な原因として起こったとする説が有力である。 邸宅跡と判明した場所では、1986年より発掘調査が行なわれ、出土した木簡は3万点を超えた。これらは

    ご存知ですか? 1月12日は奈良時代の長屋王邸宅跡が判明した日です | 文春オンライン
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    x4090x 2018/01/12
    木簡に「長屋親王」と書かれていたことが新発見だったはず。天皇の男子が「親王」で、皇太子やその他の皇族の男子は「王」だったので、長屋王が従来考えられていた以上の皇位継承者だったという話ではなかったか?
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