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あとで読むと戦争に関するyosi0605のブックマーク (18)

  • 戦争を描くのが怖かった私に、水木しげる先生が教えてくれたこと 漫画家・今日マチ子が「戦争」を描く理由 | 文春オンライン

    戦後72年。かの戦争体験の声が次第に聞けなくなっている今、証言者たちの“孫世代”の中に、声を拾い、研究を深め、表現をする人たちがいる。 戦争から遠く離れて、今なぜ戦争を書くのか――。 インタビューシリーズ第3回は漫画家の今日マチ子さん。2004年から始めたブログ「センネン画報」で注目されて活躍する中で、沖縄ひめゆり学徒隊から想を得て描き、「マームとジプシー」によって舞台化もされた『cocoon』や、『いちご戦争』『アノネ、』『ぱらいそ』と、少女たちの戦争を描き続けている。繊細なタッチそのままに、なぜ戦争を描くのか、理由を伺った。 ◆ ――デビュー作の『センネン画報』をはじめ、今日さんの作品は淡く儚げな少女たちの日常をテーマにしているものも多いと思います。一方で、それとは全く違う「戦争」という非日常を描きはじめたのはどうしてなんですか? 今日 私が初めて戦争をテーマにしたのは、ひめゆりの女の

    戦争を描くのが怖かった私に、水木しげる先生が教えてくれたこと 漫画家・今日マチ子が「戦争」を描く理由 | 文春オンライン
  • 中曽根康弘元首相、アジアとの戦争は「侵略だった」

    中曽根康弘元首相が、7日発売の月刊誌「文藝春秋」に寄稿し、先の大戦について「アジアの国々に対しては、侵略戦争だったと言われても仕方ないものがあったといえる」と明言した。 Former Japanese Prime Minister Yasuhiro Nakasone delivers a speech during the annual meeting on Japan's constitution reform in Tokyo Friday, May 1, 2015. Japan's conservative ruling party, led by Prime Minister Shinzo Abe, is gearing up for a new push to achieve its long-sought goal of revising the country's U.S.-

    中曽根康弘元首相、アジアとの戦争は「侵略だった」
  • 加藤春江 1945年8月6日

    加藤春江 1945年 夏 私は挺身隊の一員として被服廠に通っていた。 それも女学校4年生の終り、突然、多賀谷先生がコヨリの先に青や赤や黄色を先にぬり、 色とりどりのコヨリを束ねて、手に持ち、両手で上手によじった。 そして生徒皆んなの席に順番に来ては1づつ引かせた。 皆んなは赤や青のコヨリを手に持った。 先生は真剣な面持でチョークを持ち黒板に書きつづっていった。 赤―被服廠 青―兵器廠 黄―糧秣廠(りょうまつしょう)……… 皆んなは、赤は赤、青は青、と、ひとかたまりになり、わあーわあーきゃあーきゃあーさわいだ。 (皆んな静かにしなさい。皆んな仲良し同吋で行きたいでしょうが、それでは困る人があるんで 公平にする為めに、くじにしたのです) と云った。 私はいやだった。 被服廠10人と云われた時、仲良しは1人もいなかった。 でも決まった事だから我まんした。べるものがない時だったので母は喜んだ。

  • 『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』著者・伊勢崎賢治さんインタビュー|通販生活®

    権力の暴走を止めるための 「護憲的」改憲案を。 僕はこれまで、憲法9条を変える必要はないという立場でした。変えるのであれば、平和や国防をどう考えるのか、しっかりと議論をする必要があるけれど、「中国の脅威」を煽るばかりの現政権のもとでは、そんなことはとても望めそうにない。だから、いつかは変えなくてはならないとしても、それは今ではないと思っていたんです。 しかし、解釈改憲で集団的自衛権の行使が容認され、安全保障関連法(安保法)が成立した今の状況にあっては、そうも言っていられなくなりました。ただ「憲法を守れ」と言っているのではダメで、政府の暴走を防ぐための改憲案を、「護憲派」の側こそが示すべきではないか。そう考えるようになったのです。 なにしろ、今回の安保法だって、あまりにもめちゃくちゃな法律です。改正PKO法一つとっても、安倍首相は「PKO5原則」を振りかざして、「停戦合意が破られたら撤退する

    『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』著者・伊勢崎賢治さんインタビュー|通販生活®
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  • ストーリー:ハンセン病と生きた70年(その1) 「犬死にするな」胸に - 毎日新聞

    小春日和の師走7日。水戸市近郊の湖沼を望む高台で、藤田三四郎さん(89)は両親と兄妹が眠る墓に手を合わせた。ハンセン病と診断されたのは戦闘機の整備兵だった1945年春。罹患(りかん)を理由に除隊させられ、「非国民」呼ばわりされて強制収容された。以来70年間を群馬県草津町の国立療養所「栗生楽泉園(くりうらくせんえん)」で暮らす。偏見の目から親族を守るため、今も名を伏せて「藤田三四郎」で生きている。 治安維持法制定の翌26年2月、半農半漁の10人兄妹の次男に生まれた。「勉強が嫌いで通信簿は乙ばかり。春は白魚捕り、夏は柿の木に組んだやぐらで夕涼みをした。筑波山麓(さんろく)に沈む秋の夕日は素晴らしく、冬は氷を割ってコイを手づかみした」。往時をしのび、思い出話は尽きなかった。 この記事は有料記事です。 残り516文字(全文856文字)

    ストーリー:ハンセン病と生きた70年(その1) 「犬死にするな」胸に - 毎日新聞
  • 元日本兵が伝える戦場の現実 「命の限り、語り続ける」:朝日新聞デジタル

    安全保障関連法の成立から1カ月。国会に法案を出した政権側も質問に立った野党議員も、ほとんどが戦後生まれだ。「戦争を知らない」世代の論議にもどかしさを感じた元日兵は、「戦場の現実」を語り続ける思いを新たにしている。 中国戦線「通ったあとは焼け野原」 「戦争の危険性が多分にある法律だ。もう少し体力があったら、国会前に行って戦場の実態を話したかった」。兵庫県芦屋市の藤田博さん(89)は語る。 徴兵され、19歳だった1944年11月、中国の山西省に送られた。陸軍第一軍独立歩兵第14旅団第243大隊に属する中隊で、上官の命令で大砲の照準をあわせる任務を担った。味方の陣地が襲撃されると、周辺の集落に「腹いせのよう」に砲撃を浴びせた。 新たな支配地域を広げる作戦では、ひと月の予定でも1週間分しか糧を準備せずに出発。行軍中、「現地調達」の名で農家に押し入っては糧を奪い、家畜を肉にした。「抵抗する住民

    元日本兵が伝える戦場の現実 「命の限り、語り続ける」:朝日新聞デジタル
  • 「積極的平和主義」は概念の盗用 提唱者ガルトゥング博士が緊急来日

    戦後70年という節目に、日は平和国家のままでいられるか瀬戸際です。ほとんどの憲法学者が「違憲」「憲法9条に反する」と判断している安保法案が成立すれば、集団的自衛権の行使が可能となり、自衛隊が武力行使できるようになります。そうなれば、もう世界に誇る平和国家ではなくなってしまいます。それでいいのでしょうか? 思い起こせば積極的平和主義という言葉がよく聞こえるようになったのは中東で日人人質事件があってからのこと。ジャーナリスト後藤健二さんがIS(またはISIL、イスラム国)に拘束されているころ、安倍総理は中東を歴訪し、積極的平和主義の理念にもとづきテロとの戦い、ISIL対策として2億ドルの支援を約束。その後、後藤さんが無惨にも殺害されてしまったことは記憶に新しい出来事です。テロとの戦いを積極的に行うことが積極的平和主義とでも言うのでしょうか?テロと戦うとはどういうことなのか?紛争とはどういう

    「積極的平和主義」は概念の盗用 提唱者ガルトゥング博士が緊急来日
  • 検証・戦争責任:読売新聞

    満州事変から太平洋戦争にかけての、政治家や軍事指導者たちの責任について、読売新聞社が検証した。中央公論新社から書籍化した『検証 戦争責任』を、改めて公開する。

    検証・戦争責任:読売新聞
  • 韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題――戦争の記憶と和解/伊藤正子 - SYNODOS

    かつて韓国軍はベトナム戦争に参戦した。精鋭部隊のべ31万人以上を派兵し、5000人前後の死者を出した。この間に生じた民間人虐殺は、最近の「嫌韓」ブームのなかでしばしば取り上げられている。しかしそれは、従軍慰安婦問題などに対する日の責任を問う声への反撃材料として利用することに終始した、生産性のないものである。 ここで論じたいのは、韓国とベトナム双方での虐殺の語られ方である。そして韓国軍による民間人虐殺に関して韓国世論が二分された背景をさぐり、自国の負の歴史を直視することの困難さに触れたい。 さらに負の歴史を記憶し未来の平和に役立てようとする韓国NGOの活動がベトナムで果たした役割について考えたい。 一方ベトナムでは、戦争に関する歴史認識が公定記憶に強く支配されているため、公定記憶になりえない記憶がこぼれ落ち、国際関係に影響を与えない範囲でしか歴史を語れない状況にあることを指摘する。 韓国

    韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題――戦争の記憶と和解/伊藤正子 - SYNODOS
  • A級戦犯 ラジオ番組で語る 57年前の音源発見 「敗戦 我々の責任でない」 - 高知新聞

    旧日陸軍の荒木貞夫大将ら4人のA級戦犯(いずれも故人)が自らの戦争責任などについて語ったラジオ番組の音源が、このほど見つかった。番組の中で4人は「敗戦はわれわれの責任ではない」「戦争中にあったことをいつまでもグズグズ言うのは間違いだ」などと述べている。番組のプロデューサーだった水野繁さん(92)=奈良市=は高知新聞の取材に「憲法改正を望むなど4人の姿勢は、今の安倍(晋三)内閣に相通じる点がある。国民の置かれていた状況が戦前と同じになっていないか、危惧している」と語った。 【写真】ラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」のプロデューサーを務めた水野繁さん。「民主主義にとって大切なものは何か考えてほしかった」(大阪市北区) 番組は「マイクの広場 A級戦犯」で、約30分間。関東地方をエリアとするラジオ局・文化放送(東京)が1955年に録音し、56年4月に放送した。音源は最近、水野さんが知人から託さ

  • 中国・韓国を擁護せざるを得ない米国の“犯罪意識” すべては原爆投下・無差別爆撃のホロコーストを正当化するために | JBpress (ジェイビープレス)

    最近の衆参の予算委員会を聞いていて、一味も二味も違っているなあと唸らせるのは石原慎太郎議員の質疑である。日国家の在り様、生き様に関わる認識から問題を抉り出そうとしているからであろう。 「一部の白痴的売国的メディアがどこかの国の意向を借りてキャンキャン言っているが・・・」「日を牛耳っている売国的売名的バカ新聞・・・」など厳しい物言いで、誹謗中傷や差別語ではないかと思われる用語も使った語り口で総理に問い、かつ語りかける姿勢が、他の議員では出来ない重みを感じさせる。 「A級」戦犯は存在しない 質問と言うよりも歴史と時勢を踏まえながらの自説開陳は、国家の名誉をいかにして守るかを訴えてやまない。ペーパーは手元に置かれているがほとんど見ずに語り続ける熱意に、委員会は寂として声なしである。 内容的には横田基地の管制と日米共用の提案や東京裁判史観批判、さらには首相の靖国参拝肯定など繰り返しも多いが、そ

    中国・韓国を擁護せざるを得ない米国の“犯罪意識” すべては原爆投下・無差別爆撃のホロコーストを正当化するために | JBpress (ジェイビープレス)
  • 東京大空襲 凄惨な現場を写し、GHQから守りぬいた男

    3月10日、太平洋戦争中の1945年にアメリカ軍から大規模な爆撃を受けた、いわゆる東京大空襲から69年を迎える。東京は複数回、爆撃を受けているが、3月10日は一晩で死者が10万人以上を数えている。 故石川光陽氏は当時警視庁に所属し、東京大空襲の惨状を現場で撮影した。当時、一般人の写真の撮影は禁じられており、石川氏の写真は、現場を今に伝える貴重な資料となった。戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、石川氏にネガの提出を求めるが石川氏は拒否。ネガの代わりにプリントを提出することで追求を逃れる一方、ネガを自宅の庭に埋めて守り抜いた。

    東京大空襲 凄惨な現場を写し、GHQから守りぬいた男
  • 東京新聞:はだしのゲン 都内で撤去請願 教委・議会に14件:社会(TOKYO Web)

    原爆投下後の広島を描いた漫画「はだしのゲン」を教育現場から撤去するよう求める請願や陳情が昨年九月以降、東京都と都内の区市の教育委員会・議会に計十四件提出されたことが、東京新聞の調査で分かった。松江市の小中学校で閲覧制限問題が発覚して以降、作品を子どもたちから遠ざけようという動きが浮かび上がる。全国の道府県教委も調べたところ、都以外では請願は出されていない。東京での議論が全国の平和教育のありように影響を与える可能性もある。 (飯田孝幸、樋口薫、大平樹) 一月から二月にかけ都と島しょ部を除く都内五十三市区町村を調査した。十四件の内訳は都教委が三件、練馬区が三件、千代田区が二件、港、新宿、大田、中野、足立区と西東京市が一件。 請願は「旧日軍の残虐行為を捏造(ねつぞう)している」「天皇に対する侮辱や国歌の否定が含まれる」として、学校図書館などからの撤去を求めている。練馬区教委などに請願を出した「

    東京新聞:はだしのゲン 都内で撤去請願 教委・議会に14件:社会(TOKYO Web)
  • 幻想の英雄・全文公開

    津田信は、1974年5月から7月の3ヶ月間、28年ぶりに帰還した元日兵小野田寛郎と共同生活をし、その手記「戦った、生きた」を『週刊現代』に連載しました。これは、のちに『わがルパング島の三十年戦争』と改題されて、講談社から出版されました。 しかし、この手記は、真実を歪めて書いたもので、その罪の意識から、津田信は、3年後の1977年6月に、手記代筆の真相を暴露した書下ろしノンフィクション『幻想の英雄-小野田少尉との三ヵ月』を図書出版社から刊行しました。 *全文公開は、2014年8月いっぱいで停止しました。 *なお、書は電子書籍化(有料)しましたので、そちらで 読んでいただけるとありがたいです。 小野田少佐との三ヵ月「幻想の英雄」 津田信 (2014/8/4) - Kindle

  • 戦争の証拠隠滅 - 季節の変化

    戦争の書類は焼却して、 戦争の証拠隠滅をしろ。 昭和20年(1945年)8月15日の終戦の前日、1945年8月14日に、 「国や自治体の機密文書の廃棄」を閣議決定した。 軍・政府は、戦争に関する一切の資料を焼却して、 戦争はなかったものにしよう、 戦争歴史から消し去ろうとした。 占領軍GHQの調査が始まるまえに、機密文書の焼却を急いだ。 そして、軍関係、町村役場、学校、地域では、 数日をかけて機密書類を焼却、廃棄した。 軍と政府による戦争の証拠隠滅である。 犯罪者は証拠隠滅をする。 戦争の証拠隠滅が、当にあったのだろうか? 「機密重要書類」を焼却せよ、という通達が見つかった。 長野県から各市町村長に宛てた通達、 「機密重要書類焼却の件」である。松市文書館で。 「機密重要書類焼却の件」は、 昭和20年8月18日の発行である。 昭和20年8月15日の終戦の3日後で、 昭和20年9月2日の

    戦争の証拠隠滅 - 季節の変化
  • 日本の「国のかたち」、戦前戦後の変化を認める立場とは?

    今年も二回の原爆忌に続いて、8月15日がやってきます。この「敗戦の意味」を考える上で重要なのが、戦前と戦後で日の「国のかたち」は変わったのかという問題です。実は、この問題に関しては明確な合意ができていません。 1つの考え方は、日という言語や文化を持った文化圏(エスニシティー)は不変だが、統治機構という意味での国家(ソブリン)は変化したという見解です。日国政府は明らかにそのように行動していますし、国際社会からもそのように認知を受けていると思います。 例えば、現在の国際連合は大戦中の「連合国」の正統性を継承しており、「枢軸国」は「旧敵国」だという規定が国連憲章には入っています。いわゆる「敵国条項」ですが、日政府は統一後のドイツと共同で公式にこの「敵国条項の廃止」を要求し、総会決議にも漕ぎ着けています。(各国の批准を促進する努力はしていませんが。) それは、国際社会が「現在の日は敵国で

  • 「侵略の定義はない」は事実でない。2010年に日本も参加して「侵略」に関する国際合意が成立している。(伊藤和子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    橋下発言が圧倒的なので、比較的目立たないが、忘れてはならない問題な発言がある。 安倍首相は4月23日の参院予算委員会で「侵略の定義は定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかで違う」と答弁したそうだ。 これには驚いた。国連等において、侵略の定義は明らかに決まっていて、日もその決定過程に参加し、賛成してきたからだ。 まず、1974年の国連総会では、日も参加・賛成して侵略の定義に関する国連総会決議が採択され、侵略が明確に規定されている。 決議3314という有名な決議だ。和訳については外務省定訳がないようであるが、ウィキペディアは以下のように訳している。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E7%95%A5%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B1

    「侵略の定義はない」は事実でない。2010年に日本も参加して「侵略」に関する国際合意が成立している。(伊藤和子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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