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歴史に関するyosi0605のブックマーク (82)

  • 『日本国紀』監修者・久野潤氏の問いかけに答える

    『日国紀』問題で久野潤氏から再反論があった。 『日国紀』論争、久野潤「呉座氏は私の問いに真摯に答えよ」(iRONNA) 真摯に答えよとのことなので、私の考えを述べておく。泥仕合にしたくないので、なるべく簡潔に答えようと思う。 匿名の批判をどう考えるか 久野氏の反論は多岐にわたるが、主要な柱の1つは「ネット上での匿名の批判を相手にしない」という自身のスタンスの正当性を改めて唱えた点だろう。ネット時代においては、著名人に多数の匿名の批判が殺到するので、全ての批判にいちいち対応できないというのは、私も痛感するところである。 しかし、久野氏の勤務先である大阪観光大学を揶揄するといった中傷を除くのは当然として、議論する価値のある主な批判を選んで反論することはできるのではないだろうか。久野氏は匿名の批判者は揚げ足取りや人格攻撃ばかりしているかのように語るが、実際には『日国紀』の内容を真剣に検討し

    『日本国紀』監修者・久野潤氏の問いかけに答える
  • エピソード - 時論公論

    小林製薬の「紅麹サプリメント」をめぐる健康被害をきっかけに機能性表示品制度の見直しが求められています。制度の課題などについて欧米の制度と比較しながら考えます。

    エピソード - 時論公論
  • 「軍隊は決して民間人の命を守らない」元沖縄県知事・大田昌秀さんが遺してくれた、平和への思い(動画)

    この動画は2015年7月、保坂展人・世田谷区長のハフポスト日版のインタビューに大田昌秀さんが答えたときの動画だ。「軍隊は決して民間人の命を守らない」として、若者たちに戦争について学び、その悲惨さを追体験するように訴えた。

    「軍隊は決して民間人の命を守らない」元沖縄県知事・大田昌秀さんが遺してくれた、平和への思い(動画)
  • 「戦後70年の価値観が揺らいでいる」歴史家の加藤陽子氏、太平洋戦争からTPPとトランプ現象を紐解く

    2016年は太平洋戦争開戦から75年、日国憲法公布から70年と、戦後日にとって節目の年だ。1年を振り返れば、7月には参院選の結果、憲法改正が現実味を増し、8月には天皇陛下が譲位の希望を示されるなど、戦後の枠組みが大きく変化する予兆を感じさせる年となった。 戦後生まれが総人口の8割を超え、私たちがこれまで経験したことのない大きな時代のうねりを前に、歴史からなにが学べるのだろうか。近著『戦争まで』で日が太平洋戦争へと至る過程を論じた歴史家の加藤陽子・東京大学教授は、「戦前と比べ、安価な中等教育の機会を等しく付与した戦後社会は立派なもの」と評価する一方、TPP協定を例に、「国際舞台において、日は賢明な狡猾さも身につけてよいのでは」と語る。その真意とは…。

    「戦後70年の価値観が揺らいでいる」歴史家の加藤陽子氏、太平洋戦争からTPPとトランプ現象を紐解く
  • 重慶爆撃と私の歴史の見方 - 黒色中国BLOG

    【鳩山由紀夫氏が重慶爆撃を謝罪】『中国人も「さすが宇宙人」』最近は中国が主導し、日は参加しないとしているアジアインフラ投資銀行(AIIB)の顧問となる「国際諮問委員会」の委員に就任するなど親中ぶりに拍車がかかっている https://t.co/EzjZQbbTLU pic.twitter.com/JMN4cymDwB— 黒色中国 (@bci_) 2016年11月24日 この数日、鳩山由紀夫元首相が重慶爆撃について謝罪したニュースをきっかけに、つぶやいたツイートが予想外にたくさんRTされた。 ほとんど誰も関心がない話と思っていたのだが、皆さん色々と思う所があったようだ。 南京事件であれば、日中共に関心が高いし、双方熱い議論になるわけだが、 重慶爆撃については日中では「温度差」が大きいのではないか…と以前から私は感じていた。 ツイートではそれらの所感を書いたのだが、こちらに収録し、幾つか補足

    重慶爆撃と私の歴史の見方 - 黒色中国BLOG
  • 日本人としての内省~三笠宮文書を読み直す(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    三笠宮崇仁さまが亡くなられた。昭和天皇の末弟で、お年は100歳。新聞各紙の評伝には、陸軍将校として支那派遣軍総司令部に勤務されていた戦時中、戦争や軍部を批判し、平和を願い続けていたことが書かれている。 いったいどのような批判をされていたのか。それを軍部はどう受け止めたのか。あるいは、戦後、ご自身の過去はどう振り返られていたのか……。これを機に、三笠宮さま自身が書かれたり語られたりした資料を読んでみた。(以下敬称は略す) 若杉参謀による講義録まずは、各紙が紹介している「支那事変に対する日人としての内省」と題する文書。付属資料も含めて40ページあまりで、「若杉参謀」の名前で書かれている。三笠宮は「お印」が若杉であることから、このコードネームで呼ばれていた。 月刊誌「THIS IS 読売」1994年8月号掲載のインタビューで、三笠宮はこの文書は付録の資料も含めて「確かに私が書きました」と述べ、

    日本人としての内省~三笠宮文書を読み直す(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 国家の攻撃対象は憲法原理である|加藤陽子☓長谷部恭男 記念対談「憲法と歴史の交差点」|webちくま

    描かれない戦争歴史 加藤  私は近代の歴史を研究しながら、軍部や軍の佐官級・課長級の事務当局者が何を考えて、そのような政策決定をしたのか、それをある程度わかりやすく説明してきたという自負があります。これまでも多くの研究者が、これについて精密に議論してきたと思いますが、それを「説得の論理」という形でわかりやすく説いたのは初めてかもしれません。 軍と徴兵制は、国家にとって最も大事な憲法原理である社会秩序を書き換える際の、力と権力の源泉を形成します。総力戦の一つの定義は、動員しうる兵士の数と壮年男子の数がイコールになる時代ですが、そのような時代に、日政治制度の中で、軍は国家や国民にどのようなことを説明して、予算獲得や徴兵制度の改変を行ってきたのか。このようなことに興味があました。 また、太平洋戦争歴史でいえば、当の激戦地では兵士が根こそぎ戦没します。アメリカ軍の第一線部隊と太平洋の

    国家の攻撃対象は憲法原理である|加藤陽子☓長谷部恭男 記念対談「憲法と歴史の交差点」|webちくま
  • なぜ歴史を学ぶのか|加藤陽子☓長谷部恭男 記念対談「憲法と歴史の交差点」|webちくま

    を相対化してみるために 長谷部  今度は加藤先生の選書についてうかがいたいと思います。選書にあたってどういうお考えがあったのか、あるいはどういうご苦労があったのか。それについてお話しいただけますか。 加藤  はい。先生が選ばれた中には、カズオ・イシグロの『日の名残り』(土屋政雄訳、中央公論社、1990年)がありますね。カズオ・イシグロは私も大好きです。彼の小説には、滅びゆく大英帝国とアメリカとの相克が描かれている。私の選書中には、吉野作造や三谷太一郎、ドイツのヒトラーについて書かれたものなどいろいろあります。私がこの選書で志したのは、日というものを相対化するということです。その場合、歴史的にも地理的にも地政学的にも相対化する必要があると思います。 たとえば、村井章介さんの『中世日の内と外 増補』(ちくま学芸文庫、2013年)。村井さんは、当に広い視野から、世界史の中に日中世

    なぜ歴史を学ぶのか|加藤陽子☓長谷部恭男 記念対談「憲法と歴史の交差点」|webちくま
  • 大日本帝国憲法はどこから来たのか|加藤陽子☓長谷部恭男 記念対談「憲法と歴史の交差点」|webちくま

    大日帝国憲法は、究極の押しつけ憲法? 加藤  先生は『論究ジュリスト』(有斐閣)2016年春号に掲載されている「大日帝国憲法の制定――君主制原理の生成と展開」で、明治憲法の制定の時点から書き始めておられる。憲法の理論一般ではなく、明治憲法についてのご論文なのでいささか驚きました。これは歴史家的な勘ぐりなんですが、今年の5月2日、憲政記念館で改憲を目指す人々による集会が開かれまして、そこには来賓として渡部昇一さんが出席され、報道によれば、「明治憲法に返れ」というようなご主張を展開されたといいます。長谷部先生は、このご論文のなかで、改憲派も護憲派も、大日帝国憲法について考えるのであれば、君主制原理を認めなかった美濃部の国家法人理論について、改めてちゃんと検討してみましょうと書かれていますが、これは単に学説的に面白いからではなく、改憲論者に対して、有効な学問的な反論を完璧に書いてしまおう、

    大日本帝国憲法はどこから来たのか|加藤陽子☓長谷部恭男 記念対談「憲法と歴史の交差点」|webちくま
  • 輸入された君主制原理|加藤陽子☓長谷部恭男 記念対談「憲法と歴史の交差点」|webちくま

    山田風太郎の描いた幸徳秋水 長谷部  日は加藤先生にお付き合いいただきまして、当にありがたいです。私と加藤先生はかつて、東京大学で総長補佐という職を同期で務めていました。加藤先生は文学部から、私は法学部からということで。総長補佐というのは、「雑巾がけをしてこい」ということで部に出かけて、雑用をやる。そこで初めて、加藤先生にお目にかかりました。私は今回、自分で選書したコーナーを設けさせていただいたんですが、加藤先生も先月まで「加藤陽子書店」というのをやっておられましたよね。 加藤  昨年10月17日から4月23日まで、約半年営業していたことになります。 長谷部  実は、私もそこを訪れまして(笑)。見て回って、何冊か購入したことがあります。そこで気が付いたんですが、先生は山田風太郎がお好きなんですね。 加藤  はい。どれを最初に読んだのかもう憶えていないくらいです。たぶん全部読んで

    輸入された君主制原理|加藤陽子☓長谷部恭男 記念対談「憲法と歴史の交差点」|webちくま
  • 「土人」発言は何が問題なのか 大阪で沖縄女性らが見せ物にされた人類館事件 | 沖縄タイムス+プラス

    大阪府警の機動隊員による「土人」発言が批判にさらされている。土側の沖縄蔑視、差別はこれまでもたびたび繰り返されてきた。1903年には大阪で開かれた博覧会で、沖縄女性2人を「展示」した「人類館事件」があり、沖縄戦では日兵による住民虐殺や「集団自決」(強制集団死)があった。戦後71年たった現在でも、在日米軍専用施設面積の約74%が集中する。識者は「差別する側の意識が変わらないと問題は解決しない」と指摘している。 1903年、大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会の会場で「7種の土人」として、朝鮮人や台湾先住民、沖縄県民らが見せ物として「展示」される「人類館事件」が起きた。当時の沖縄では「沖縄人差別」として激しい非難と抗議が起きた。 事件から100年後の2003年に大阪で、事件をテーマにした戯曲「人類館」の公演を手掛けた、関西沖縄文庫主宰の金城馨さん=大阪府=(63)は「土人発言」について「特別

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  • 70年ぶりに蘇ったヒトラーに共感!? 劣化する日本に通じる「不気味な恐ろしさ」の正体(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

    文/辻田真佐憲(近現代史研究者) 「ヒトラーと一緒に笑う」恐ろしさ 映画『帰ってきたヒトラー』が、6月17日より日で公開される。1945年に自殺したはずのヒトラーが、2014年のベルリンにタイムワープし、その卓越した話術を活かしてテレビ番組のスターになるという内容だ。 原作であるティムール・ヴェルメシュの同題小説は、2012年にドイツで発売され、同国内で250万部を超えるベストセラーとなった。映画のパンフレットによれば、現在、日を含む世界41カ国で翻訳されているという。 かくも売れている以上、人畜無害なエンタメ作品か……といえば、さにあらず。なにせ、テレビ番組のスターになったといっても、ヒトラーはまったく「改心」していないからだ。 ヒトラーはその偏狭なイデオロギーを堅持し、世界制覇の野望を語り、ユダヤ人を憎悪している。ただ、その振る舞いがモノマネ芸人のブラックジョークと勘違いされ、民衆

    70年ぶりに蘇ったヒトラーに共感!? 劣化する日本に通じる「不気味な恐ろしさ」の正体(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
  • 発掘の散歩術(67) -ベルリン動物園 子供たちの笑顔の向こうに- | ベルリン中央駅

    先日、人通りの少ない冬の動物園の中を歩いていたら、ライオンの家の近くに動物園の歴代の園長の胸像が並んでいるのに気付いた。その中のルッツ・ヘック園長(在1932~45)の像の前に、真新しい金色のプレートが置かれ、そこにこのようなことが書かれていた。 「ルッツ・ヘックは、自らとベルリン動物園を進んで国家社会主義に適合させた。彼の在職期間、外国人の労働者が動物園で搾取され、1945年、彼は逮捕を逃れて逃亡した。この胸像はヘックが1984年に亡くなった翌年に設置された」 かつてベルリン動物園はブルジョワジーの社交の場でもあったという。動物園の株を所有していると、社会の中で名声を得られ、入場も無料となった。しかし、1933年以降、ユダヤ人の株主は監査役から押し出され、やがて1938年にはヘック園長のもと、ユダヤ人の入場自体が禁止されるに至る。これはナチスが国として命令を下す1年前のことであった。 ド

    発掘の散歩術(67) -ベルリン動物園 子供たちの笑顔の向こうに- | ベルリン中央駅
  • 陛下の前で涙を流した彼らは何者か~放置され続けたフィリピン「無国籍邦人」という問題(北島 純) @gendai_biz

    に見放されてきた慟哭の歴史 1月28日、国交正常化60周年を記念してフィリピンを御訪問中の天皇、皇后両陛下が、フィリピンに在留している邦人と御接見された。その中に、両陛下を前に万感胸に迫る人々がいた。「フィリピン残留日人」と称されている日系人連合会の関係者である。ある者は思わず、両陛下の姿を見て号泣したという。 その涙の背景に、戦後70年間も日に見放されて来た慟哭の歴史があることをご存知だろうか。「フィリピン残留日人」とは、戦前にフィリピンに移民として渡った日人や旧日軍の関係者がフィリピンで現地の女性と結婚してもうけた子供たち(2世)だ。 日人の移民は、アジアだけでなく、ブラジルやペルーといった南米も含めて世界中にいると言っても過言ではないし、旧日軍関係者の残した子供たちは、フィリピンに限らず中国やインドネシア等、アジア各地に存在する。しかし、フィリピンが他の地域と異なる

    陛下の前で涙を流した彼らは何者か~放置され続けたフィリピン「無国籍邦人」という問題(北島 純) @gendai_biz
  • sinojapanesewar1894.com | カイゼン視点から見る日清戦争

    このサイトのテーマと目的 サイトのテーマは日清戦争 このウェブサイトは、近代の日が最初に行った対外戦争である「日清戦争」がテーマです。 日清戦争とはどういう戦争だったのか、事実を確認し、現代の我々世代が、歴史から何かを学ぶことを課題としています。歴史から学ぶにあたっては、カイゼン視点から考察するように心がけています。 一次資料を自ら研究したものではなく、公刊戦史や研究書などに基づいて、当ウェブ・サイト制作者(以下「筆者」)が再整理を行っただけのものです。いわば一般的な大学生の卒業論文程度のものに過ぎません。 カイゼン視点から歴史を見る その程度のレベルのものを、あえてインターネットのウェブサイトとして出す理由は、日清戦争を同様にカイゼン視点から評価・記述している研究書はほぼ存在していない、と思われるためです。「カイゼン」という、通常なら企業活動の中でしか使われない用語をキーワードとして歴

  • 米 強制収容の違法性訴えた日系人に最高位勲章 NHKニュース

    太平洋戦争中の日系アメリカ人に対する強制収容の違法性を訴え続けた日系人のミノル・ヤスイ氏に、アメリカ政府から一般市民としては最高位となる勲章が贈られ、オバマ大統領からヤスイ氏の家族に直接、手渡されました。 24日にホワイトハウスで行われた授賞式で、オバマ大統領は「平等と正義のために闘い続けた。ヤスイ氏の遺産は、アメリカの良心に訴える、かつてなく重要なものとなっている」とその功績を称え、ヤスイ氏の娘、ローリエさんに勲章を手渡しました。 アメリカ政府は、1988年に強制収容が人権侵害だったと公式に認め、戦後70年のことし、アメリカで強制収容された経験をもつ日系アメリカ人が差別に苦しめられた体験を次の世代に語り継いでいこうとする行事なども開かれています。

  • 外務省が生長の家系トンデモ極右学者のいいなりに! 南京大虐殺否定に続き東京裁判見直しを世界に発信? - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    これを“恥さらし”と言わずして何と言おうか。──南京事件が世界記憶遺産に登録されたことに抗議する日政府は、9月末、ユネスコに反論のための意見書を提出したが、いま、その意見書をめぐって、日歴史観に世界が呆れかえっているのだ。 先日6日の毎日新聞はこの問題を取り上げ、〈専門家意見書に南京事件否定派とみられている学者の著書が引用されるなどしたため、かえって日の印象を悪くして逆効果になった恐れがある〉と報道。意見書では、「南京大虐殺はなかった」と主張する東中野修道・亜細亜大学教授のなどを引用し、「虐殺は物理的に不可能」と結論付けているという。 東中野氏といえば、著書で南京大虐殺の証拠資料や生き残った女性の証言を捏造と断定したことが名誉毀損裁判となり、東京地裁は「東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」として敗訴を言い渡してい

    外務省が生長の家系トンデモ極右学者のいいなりに! 南京大虐殺否定に続き東京裁判見直しを世界に発信? - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
  • 日韓が対立する歴史「認識」問題って何? 木村幹・神戸大教授に聞く

    そもそも日韓の歴史「認識」問題とは何なのか。両国の認識の違いが表面化した背景には何があり、今後、隣国との関係はどうなっていくのか。 South Korean President Park Geun-hye and Japanese Prime Minister Shinzo Abe arrive for a trilateral meeting with the US presidentat the US ambassador's residence in The Hague on March 25, 2014 after they attended the Nuclear Security Summit (NSS). US President Barack Obama hosted the much-anticipated first meeting between the Asian

    日韓が対立する歴史「認識」問題って何? 木村幹・神戸大教授に聞く
  • 戦前の日本軍や昭和後期のリンチ私的制裁

    じぇーでぃーさん@がんばらない @j_doby 「昔は日もマナー悪かった」系の話と「今の老人がマナー悪い」系の話を合体させると、「マナー悪かった人間が引き続きマナー悪い」というだけの話になりそうである メーメル @memel_ko1 祖母が満州にいた時の話を時々するのだが、当時の日人は当に偉そうだったらしく、満州に来ても中国語を少しでも喋ろうという日人はほとんどいなかったそう。 皆「なぜ俺たちが中国語なんか喋らなきゃいけないんだ。意思疎通取りたきゃ中国人が日語を喋ればいいだろ。」って態度だったからだ。 メーメル @memel_ko1 あと日人は平気で中国人のこと殴ってたらしい。まあ当時は普通の日人も憲兵に殴られてたし、外国人差別というわけではないのだが、外国人に対しても平気でお構いなしで殴ってたというのが恐ろしい。 東南アジアでも現地人のこと殴ってるし、恨みを買わないはずがな

    戦前の日本軍や昭和後期のリンチ私的制裁
  • 戦没者230万人:兵士を「駒」扱い 愚劣な軍事指導者たち 半藤一利さんインタビュー | 毎日新聞

    はんどう・かずとし 1930年、東京生まれ。東京大文学部卒。「文芸春秋」編集長などを経て作家に。「昭和史」で毎日出版文化賞特別賞。近著は「日露戦争史」1〜3巻 「戦没者230万人」という数字を、私たちはどのように読み解けばいいのだろうか。昭和史の著作が多い「歴史探偵」こと作家の半藤一利さん(84)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】 ◇ 戦前の日は近代国家の体をなしていなかった。「戦没者230万人」という数字はそのことを端的に示していると思います。国民を戦地に送り込むならば、国家は責任を負わなければなりません。いつ、どこで、どのように戦没したのか。確実に把握していなければならない。ところが、「戦没者230万人」という大枠のみが残り、具体的なデータは部分的にしか残っていません。厚生省(当時)は戦後、戦域別で戦没者数を算出しましたが、そこまで。死因までは分類できていない。23

    戦没者230万人:兵士を「駒」扱い 愚劣な軍事指導者たち 半藤一利さんインタビュー | 毎日新聞