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2015年1月13日のブックマーク (4件)

  • あまりに非人道的な生活保護の住宅・冬季加算ダブル削減方針

    提言・オピニオン 1月14日に閣議決定される2015年度予算案で、生活保護費のうち住宅扶助と冬季加算が削減されることが大臣折衝で決まりました。 ※関連記事:【2015年1月13日】 東京新聞:15年度予算案 住宅扶助、冬季加算カット 「命にかかわる」 家賃に相当する住宅扶助は、国費ベースで2015年度に約30億円、2018年度には約190億円の削減を見込んでいると報道されています。 厚生労働省は、有識者で構成される社会保障審議会・生活保護基準部会の報告書を踏まえて引き下げを決めたと説明しているようですが、ライターのみわよしこさんが報告されているように、同部会の報告書は引き下げを容認する内容にはなっていません。 生活保護住宅扶助引き下げを、社保審・生活保護基準部会は決めていません(みわよしこ) 報告書のとりまとめがなされた1月9日の部会を私も傍聴しましたが、民間の委員からは口々に「引き下げ

    あまりに非人道的な生活保護の住宅・冬季加算ダブル削減方針
    yotayotaahiru
    yotayotaahiru 2015/01/13
    もう15年以上前、新宿で生保基準内のアパート探しを手伝った。不動産屋が「ホームレスの追立なんかしても意味ないから行政もこういう人にちゃんと家賃をだしてくれないとねぇ」と小1時間話込んだが物件はなかった。
  • 例えば砂金採り | ほーい! さるやまハゲの助:blog

    あのフランスの事件、なんとも頭の中とかモヤモヤして仕事も手につかないのでなんとなく「表現の自由」について普段思ってることを書きだしてみた。いやー、なんかもうまとまらなくて長くてグズグズでごめんなさい。 表現の自由って言ってみれば何なんだろうなーって考えて、僕の場合頭に浮かぶのは「砂金採り」なのね。おととし静岡の川で砂金採りやってみたんだけど。とにかくめんどくさい。何度すくったって土くればかりで金なんてありゃしない。でも砂金採りの人ってのはそれを辛抱強く何度も何度もやってわずかな金を手に入れようとしてたんだよな。 表現も同じで、指導者の宣言からtwitterでの愚痴までそれはもうピンからキリ玉石混交、とにかく様々な表現が生まれるんだけど、ほとんどは土くれのようなすぐ消えていくようなものばかり。だけどその中に混ざってるわずかな金を手に入れるためには砂金採りをやめるわけにはいかない。土くれと格闘

    yotayotaahiru
    yotayotaahiru 2015/01/13
    本文より抜粋→【「多文化共存の時代になると思うんだよね。そんな未来に向けてどんな文化の人もどんな宗教の人も納得できる普遍的な価値を求めていくこと」「決して暴力をゆるさないということ」】
  • "Je suis Charlie"を「私はシャルリーだ」と(だけ)解釈するのは変(※追記あり) - みやきち日記

    【イスラム・パリ銃乱射】“Je suis charlie”を掲げることは卑怯な行為だ - はてな匿名ダイアリー 以下、上記リンク先から引用。 フランスではJe suis charlie、和訳すると『私たちはシャルリー(・エブド)だ(追記4:私はシャルリー(・エブド)だ、が正しい訳です。Jeは一人称単数です。失礼いたしました。)』というスローガンが、あの凄惨なテロ事件以来掲げられている。 はっきり言って、今回の標語は、黒人に対してレイシストスピーチを行ったKKKがテロを受けたときに私たちはKKKだ、ユダヤ人に対してレイシストスピーチを行ったネオナチ団体がテロを受けたときに私たちはネオナチだ、そして、これも極端な話、在日に対してヘイトスピーチを繰り返し行ってる在特会がテロを受けたときに、私たちは在特会だ、と言ってるも同然な話なのだ。 表現の自由を守るための標語として、特にヨーロッパにおいて、こ

    "Je suis Charlie"を「私はシャルリーだ」と(だけ)解釈するのは変(※追記あり) - みやきち日記
    yotayotaahiru
    yotayotaahiru 2015/01/13
    本文中の「マリ・クレール」引用→【"Je suis Charlie"というのは(中略)出版されたものや描かれたものに同意しないときでさえ、報道の自由に、表現の自由に、不敬をはたらく自由に賛成するということを意味している】
  • これはテロでなく集団殺人事件だ Parisシャルリ・エブド襲撃事件を斬る-藤原敏史・監督 | 日仏共同テレビ局フランス10

    1月7日に襲撃・大量殺人事件が起きたフランスの週刊風刺マンガ紙(日でイメージする「新聞」では必ずしもない)「週刊シャルリ(シャルリ・エブド)」の発行部数は、約3万だという。事件の夜にパリのレピュブリック(共和国)広場に集まった群衆は3万5000。この数字の不均衡と、にも関わらずのおそろいの『Je suis Charlie 私はシャルリ』という黒地に白抜きのプラカードには、なにか不気味さが漂う。 シュルリ・エブドの出発点は週刊「ハラキリ」 「真実を探究したジャーナリストが凶弾に倒れた」というが、この週刊新聞は事実を直接報道するのではなく、掲載するのはそれをネタにした辛口の風刺だ。風刺にはよりシャープな真実を見る目が必要だ、と言われれば話がズレていないかと思いつつも反論はしにくいが、しかし巷間に報道される内容から受けるこの事件のイメージが必ずしも精確とは言えないことだけは確かだ。いやもっと言

    これはテロでなく集団殺人事件だ Parisシャルリ・エブド襲撃事件を斬る-藤原敏史・監督 | 日仏共同テレビ局フランス10
    yotayotaahiru
    yotayotaahiru 2015/01/13
    本文見出し→【「表現の自由」を口にするが、「なにに対する」ないし「誰の、なにからの自由」なのか】今回の件について、風刺と表現の自由と差別について一番共感できるのが藤原監督の論考。