サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。
サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。
さて、昨年12月に放送されたBBC「QI」で、日本の二重被爆者をとりあげてクイズにしたやりとりから、彼らの会話を聞き取り・訳出してみました。できれば映像と合わせて見てみて下さい(24日追記 ←で貼ったリンク、今日になって映像が削除。BBCサイトでは見られますが、これもいつまでかは不明)。 まずそもそもの話ですが、この番組は司会者のスティーブン・フライが、「こういう人がいるんですが、こういうことがあるんですが、何だと思いますか? どう思います?」とお題を振って、回答者たちがみんなで考えて答えをあてて、そして感想を言い合うというものです。そして出演者はみんなコメディアンです。繰り返しますが、これはコメディ番組なんです。 司会のStephen Fryのほか、回答者にAlan Davies(髪の毛くるくる)、Bill Bailey(髪の毛落ち武者状態)、Rob Brydon(アゴが長い)、Rich
1949年からイギリス空軍でパイロットたちにレーダーの使い方を指導していた技術者のTony Sale氏(79歳)が、墜落したビッカース ウェリントン(第二次世界大戦初期のイギリス空軍の爆撃機)から金属を回収し、身長約180cmの人型ロボット「ジョージ」を作成したのは戦後間もない1950年のこと。 ジョージはリモコン操作で二足歩行(足の裏にタイヤ有り)したり座ったり、腕や首を動かすこともでき、愛きょうのあるルックスも相まって一時は国民的な人気者となりました。しかし、当時ジョージの体内に収まるようなサイズのコンピュータはまだなく、知能面での改良の余地がなかったため、ブームが去るとジョージはSale氏のガレージで忘れ去られることとなります。 自宅のガレージに眠っていたジョージを45年ぶりに発見したSale氏は、ジョージに再び命を吹き込み博物館で第二の人生を送らせることにしたそうです。 詳細は以下
『うしろの正面だあれ』の美術監督にははじめ違う方が予定されていたのだけど、本番では小林七郎さんに代わった。 はじめに予定されていた方はファンタジックでふわふわした世界をもっておられる人で、1枚だけ夕方の本所の風景のボードを描いてきたのだが、 「どう思う?」 と有原さんに聞かれて、正直、この方向じゃないのでは、と答えてしまった。キャスティングというのはいつも難しい問題だが、この人のよい面と作品の目指すものが一致しないように思えてしまったのだ。 有原さんは「うーん」といっていたが、それからまた別のベテランの方のところへ有原さんとふたりでスイカをぶらさげてお願いに赴いたりし、さらにまただいぶ経ってから、「美監は小林さんにお願いすることになった」と聞かされた。 「小林さん、って、七郎さんですか」 「うん」 おっかないことになったな、と思った。 小林七郎さんは、『MIGHTY ORBOTS』でもお世
映画監督 山中貞雄 作者:加藤 泰キネマ旬報社Amazon『映画監督 山中貞雄』(加藤泰 著、(株)キネマ旬報社、1985)を読み終えた。 山中貞雄の甥でやはり映画監督であった著者が、膨大な資料収集と関係者へのインタビューを経て、8年がかりで書き上げた労作である。山中貞雄論の中でも、映画に入れ込んだ一人の若者としての山中貞雄と、彼を取り巻く1920〜30年代の「カツドウ屋」たちの熱気に満ちた交友関係を、ここまで生き生きと描いたものはおそらく他にはないだろう。*1 山中貞雄が映画人として生きた時代は、恐慌と戦争の時代だった。 1928(昭和3)年に治安維持法の改悪で思想言論の自由が制限され始め、企業の倒産や首切りが相次いで昭和恐慌が厳しさを増す中、1929(昭和4)年10月のニューヨーク株式市場暴落をきっかけに世界的大恐慌時代に突入する。小津安二郎の『大学は出たけれど』が公開されたのはこの頃
こういうスレがν速板に立っていました。 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news/1281860589/ (キャッシュ)http://www.logsoku.com/r/news/1281860589/ >【ウヨ憤死】元特攻隊員「特攻を公然と賛美する奴らに腹が立つ」 >1 : zip乞食(静岡県):2010/08/15(日) 17:23:09.07 ID:xCgBvPUX0 ?PLT(12001) ポイント特典 >死を直感 嫌と言えず…立命館大名誉教授 岩井忠熊さん >人間は弱いもので、何千人もがワーッと動く時、一人だけそこにとどまることはできない」 >立命館大の岩井忠熊名誉教授(87)は軍隊に違和感を持ちながら、大勢に流された自分の心を振り返る。 > >京都大から学徒出陣、横須賀第2海兵団に入った。 >「入隊して初めて日本の劣勢を知った。ミッドウェ
(09/03)第124回 VIDEO ACT! 上映会 ~精神障害当事者と演劇~ 上映作品『わたしを演じる私たち』 (07/15)【報告文】第123回ビデオアクト上映会~子どもたちの目から見た戦争~ (07/11)第123回 VIDEO ACT! 上映会 ~子どもたちの目から見た戦争~ 上映作品『ぼくたちは見た ーガザ・サムニ家の子どもたちー』 (05/16)【報告文】第122回 VIDEO ACT! 上映会 ~仮設住宅で見つめる自己~ (05/07)第122回 VIDEO ACT! 上映会 ~仮設住宅で見つめる自己~ 上映作品『風に立つ愛子さん』 (03/25)【報告文】第121回 VIDEO ACT! 上映会 ~『ミサイル基地がやってきた 島で生きる』完成記念上映会~ (03/24)ウェブショップ新規登録作品のご案内 (03/21)第121回 VIDEO ACT! 上映会 ~『ミサイル
平和プラザ2011 平和をねがう中央区民の戦争展~平和を願う中央区民の戦争展2011 プレ企画~ 中央区平和プラザ「平和をねがう中央区民の戦争展」は,2000年9月に,八丁堀にあった東京都立勤労福祉会館で第1回を開催しました.「平和の取り組みは夏だけでいいのか」「過去の戦争はどのように記憶されているのか.この街の歴史から探りたい」「ヒロシマ,ナガサキ,東京大空襲といった被害だけでなく,アジアへの加害のことも学びたい」というのが始めた動機でした.翌年2001年,2回目のときに,私たちに衝撃を与える出来事がありました.ニューヨークで9月11日に起きた同時テロです.その後,アフガニスタンへの報復戦争,世界的な反戦運動の高まりの中で強行されたイラク戦争,自衛隊の海外派兵...「戦争は過去のものではない」と,私たちはより深く考えるようになりました.それからは,必ず現代の戦争にかかわるイベントを行うよ
Wearing PROPAGANDA展 第2次世界大戦当時、身にまとうプロパガンダとしてデザインされたテキスタイルを展示するWearing PROPAGANDA(ウエアリング・プロパガンダ)展が、11月18日〜2006年2月5日まで、The Bard Graduate CenterのGallery(18 West 86丁目 NY市)で開催されています。 日本、英国、米国から集められた、1931年から1945年の間にプロパガンダとしての役割を果たした衣服、スカーフ、アクセサリー130点が展示されています。 その頃の染色技術を駆使し、時代を反映したモチーフで、克明に描写されています。絽(ろ)の着物から織物まで、絹、木綿、ウール、麻などの素材になされた印刷は、シルク・スクリーンなのか写真プリントの手法も進んでいたようです。よく探し出したものだと思われる展示作品が多く見られました。 特
This cartoon (along with other "Hook" cartoons) was found by accident in the garage of a former soldier who had saved them, thinking they were "Private Snafu" shorts. The cartoon was finally discovered in the mid-1990s when an A&E documentary on war cartoons began production. It turned out that Warners made these shorts for the US Navy and because they wanted to keep this a secret, all original ne
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く