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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (8)

  • 「無主地先占論」をめぐって - heuristic ways

    宮崎正勝『黄金の島 ジパング伝説』と佐々木史郎『北方から来た交易民』に、それぞれ無主地の先占をめぐる記述が出てくるので、メモをとっておくことにする。宮崎氏のによると、オランダ東インド会社が蝦夷地のある北方海域での「金銀島」探索を行なったのは、1639年と43年の二度に及ぶ。これは時あたかも、徳川日が1633年の第一次鎖国令から39年の第五次鎖国令(ポルトガルとの断交)によって鎖国体制を急速に整えていく時期に当たり、オランダ東インド会社にとって「先が読めない時期」だったと宮崎氏はいう。この時期は、川勝平太氏の『日文明と近代西洋』によると、「イギリスとオランダの覇権争い」が世界をまたにかけて行なわれた時期でもあり、アメリカではイギリスに有利、アジアではオランダに有利に展開した。「アジアのイギリス勢力は一六二三年のアンボイナ事件によって大打撃を受け、一六八二年にはついにバンタムからも追われ

  • 語れないことと書けないこと - heuristic ways

    5月2日と3日にNHKの「ハートをつなごう」という番組で、「性同一性障害」の特集があった。2日の分は見逃したが、新聞のテレビ欄を見て気づいたので、3日の放送は録画してチェックした。この番組では、昨年度から断続的に「性同一性障害(GID)」の問題を取り上げて放送しているらしく、過去の放送に対して、「特に当事者からの反響が大きく、番組宛に多くのメールが送られて」きたという。今回は、「メールを送ってきてくれた当事者を訪ね、番組に参加して」もらうという企画。前半では、山岡純さんというGID当事者のメールをまず紹介し、人やその周りの人々(母親、パートナーなど)に対する取材の様子を放送。後半では、すでに社会的にカミングアウトしているGID当事者たち(虎井まさ衛、大迫真実、森村さやか、杉山文野、村松康さん)と、精神科医の針間克巳氏、作家の石田衣良氏、女優・歌手のソニンを迎え、さらに山岡さんも加わって、

    yugui
    yugui 2007/05/12
    芝居を通じた役者によるGIDへの理解の試みとか。
  • 上川あやさんの本 - heuristic ways

    前にシンガー・ソング・ライターの中村中さんが「性同一性障害」の当事者であることを知って驚いたことがあるが、私はそういう人たちのことをよく知りもしないし、ふだん考えることもない。ただ、中村中さんの曲が好きで、彼女が出演した『私が私であるために』というドラマにも何か強く訴えかけられるものがあったという、その程度の「理解」にすぎない。しかし、そういう「想定外」の人が目の前に現れたとき、どうしてわれわれはパニックを感じたり、時には異質の存在として排除しようとしたりするのか。あるいは逆に、なぜそういう人々の存在に力や勇気を与えられるのか。その「われわれ」の問題については、深く考えざるをえない。昨日、書店で上川あや『変えてゆく勇気――「性同一性障害」の私から』(岩波新書)というが新刊コーナーに並んでいるのを見かけ、ちょっと興味が動いてパラパラとめくってみた。上川さんの写真も載っているが、ロングヘアー

    yugui
    yugui 2007/03/08
  • 「自己本位」というポジション(heuristic ways)

    先日、図書館で柴田勝二『漱石のなかの〈帝国〉 「国民作家」と近代日』(2006年)というを見つけ、借りて読み始めたところ、冒頭に漱石の「個人主義と国家主義」の問題について書かれているくだりがあった。そこでは、漱石を『文学論』の構想・執筆へと向かわせた「自己位」の姿勢とはどういうものであったかということが、「私の個人主義」(1914年)などの講演を参照しつつ論じられている。 もともと漱石が任じようとする「個人主義」の起点をなすものは、漢文学への親炙のなかに育ちながら、青年期にそれらとは距離のある英文学を研究分野に選ぶことで、文学の包括的な像を見失った際に、価値判断の基準として浮上してきた自己の内在的な感覚としての「自己位」である。 この一節に何か心揺さぶられるものを感じて、少し考え込んでしまった。たとえば私がフリーターになったのは、学校教育や消費社会への親炙のなかに育ちながら、青年期

    yugui
    yugui 2007/02/20
    "「自己本位」にみえるのは、彼らが社会の正規メンバー(成員)として位置づけられるべき「自己」をもたない結果であって、原因ではない"
  • 自己形成の謎 - heuristic ways

    10月10日夜、日テレビ系で特別企画のドラマ『私が私であるために』が放送された。中村 中さんが出るというので見たのだが、中村さんは「主演」ではなくて重要な脇役――ストリートミュージシャンで、やがてメジャーデビューすることになる――といった役どころだった。主役の“女子大生”ひかる役を演じていたのは相沢咲姫楽さん。姉のいぶき役に浅見れいなさん、母親役に竹下景子さん、父親役が橋爪功さんという豪華な配役。ドラマでは、ひかるの「前史」は断片的に語られる程度で、高校までは男子の学生服を着て、なんとか身体と精神の性の不一致を押し隠そうとしてきたが、大学に入って一人暮らしをするようになってからは女性の身なりをして女性として振舞ってきたという設定になっている。ただ、ひかるは親しい友人たちにも自分が「男」(学生証の性別はそうなっている)だということを話していない。ひかるは姉とは時々会っているが、家にはもう2

    yugui
    yugui 2006/10/17
  • 公共的想像力・判断力 - heuristic ways

    先日、書店の店頭で平台に積まれているのを見かけ、そのタイトルに惹かれて手に取ってみると、「新図書隊員」とか「関東図書基地」といった見慣れぬ言葉が目に入ってきた。 関東圏の新図書隊員の練成教育を引き受ける関東図書基地は、今年三百名の新隊員を迎えた。図書館員として配属される者でも戦闘訓練は免れないので、五十名ずつ六班で編成された教育隊の全員が一律しごかれている。(p10) こういう妙な設定の話にはなぜか指が動く。なぜに図書館員が戦闘訓練? 面白そうじゃないですか。*1即購入して読み始めてみると、設定の妙も然ることながら、「月9連ドラ風」(作者「あとがき」)のキャラクターやストーリー展開もなかなかはちゃけていて、結構私好み。最近のドラマでいえば、『アテンション・プリーズ』とかそのあたり。ラブコメ+新人の成長物語といったところか。作者へのインタビューにストーリーの紹介が載っているので、以下引用。

  • スチュアート・タノック『使い捨てられる若者たち』 - heuristic ways

    こういうを待っていたのだ、私たちは! 思わずそう快哉を上げたくなる。このは私たちの職場で何が起きているか、私たちがそこで何を経験しているかを観察し、調査し、聞き取り、書き留め、分析し、理論化した素敵なだ。「私たち」とは、主に飲業や販売業などのサービス労働、一時的で不安定ないわゆる「腰かけ仕事」をしている若者や労働者の総称である。20代の頃から現在に至るまで、喫茶店・電器店・飲店・コンビニ等で働いてきた私には、こので取材・インタビューされている若者や労働者たちがまるで自分の同僚のように身近に感じられる。彼らのことが体験的によくわかる。たとえば、こんな声。人がひっきりなしにやってきて、何ごとも終わらないし、はじまらない、いつもサービスを提供している、しかも同じサービスを何度も何度も。客が当に意地悪だったり、意地悪な感じで話したりしてきたら、こっちも意地悪な感じで話し、嫌味ったらし

  • heuristic ways - 断想 怠惰な人間/「非人間化」のイデオロギー的前提条件

    ■スチューデント・アパシー 斎藤環氏の『社会的ひきこもり』(1998年)を読んでいたら、「一九六一年にスチューデント・アパシーを初めて記載したP・A・ウォルターズ」という記述があって、「!」と思った。ベティ・フリーダンが報告していた「大学を退学したある青年」の事例は、年代的に言っても「スチューデント・アパシー」に近いケースだったのではないかと。ウォルターズはハーバード大学保健センターの精神科医であり、1961年にアパシー学生の4症例を報告しているらしい。私が注目したのは、この「スチューデント・アパシー」が、「男らしさ」の問題と「競争の回避」に関わっているということ。 スチューデント・アパシーは男性にしばしばみられ、テストなどの競争的場面を避ける傾向があります。このため男性としてのアイデンティティが発達しにくくなり、これが主な原因となってアパシー状態が続きます。また、「競争の回避」は一種の攻

    yugui
    yugui 2006/04/11
    野宿者襲撃
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