ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP twitterは、みなで世界を記述する仕組みなのね。意外に人々は自分のことを世の中に書き出しても平気だし、身の回りのことを書く手間をいとわない。しかもそれを楽しいと思うのね。 そして相手にされないとさびしいし、たとえ自分の生活をさらしてもたくさんの人に読んでもらうとうれしいのね。
ロージナ茶会 / 峰盛山 旭霜 @RodinaTP twitterは、みなで世界を記述する仕組みなのね。意外に人々は自分のことを世の中に書き出しても平気だし、身の回りのことを書く手間をいとわない。しかもそれを楽しいと思うのね。 そして相手にされないとさびしいし、たとえ自分の生活をさらしてもたくさんの人に読んでもらうとうれしいのね。
例の毒ギョーザ事件の容疑者が逮捕されたことが報道された際、中国当局の捜査の適正さを疑う声も上がっていたわけだが、日本側の捜査もどうなのよ? というニュース。 TOKYO Web 2010年5月15日 「ギョーザ事件 袋に穴 科警研」 二事件では、千葉市と市川市で二〇〇七年十二月と〇八年一月、ギョーザを食べた七人が農薬「メタミドホス」による中毒を起こした。千葉県警は事件直後ルーペを使った目視や水漏れ検査を実施したが、穴は見つからなかったとしていた。 〇八年一月に同じく被害が発生した兵庫県の事件の袋からは、兵庫県警の鑑定で穴が見つかっていた。千葉県警は、男が身柄拘束された後、科警研に再鑑定を依頼。科警研が顕微鏡を使って調べたところ、穴が判明した。県警の捜査幹部は重要な手掛かりを見落としていたことについて「当時の鑑定が不十分であったと言わざるを得ない」とミスを認めている。 なにかわからない手がか
日記私は「腐女子」のサンプルとして、インタビューを受けたことがあります。その研究の中で、「腐女子」の代表の一人になっていたかな。 そういう意味で、801ちゃんのいう「生きづらさの再生産」に加担した方ですね。 おまえが、代表するなよ!っていう。 私は19歳から26歳くらいまで、毎日やおい(その頃はBLという呼び名でなかったので)ばっかり読んで、引きこもってオナニーしたりしてました。 自分が女であることが嫌で嫌で、男みたいな服装をしたり、人と話すのをやめたり。 そんな自分を引っ張りあげてくれたのは、たぶん、腐女子研究だと思います。 いや、研究もそうだけど、「腐女子」について語る人かな?私はやおいばっかり読んでた時期、そればっかりで、他に言葉を受け付ける準備なんてまるでなかったんですね。 BLを無邪気に好きな人たちは、こうしてBLをフェミニズムとくっつけることを嫌う。「すぐに結びつけないでほしい
中国製冷凍ギョーザ事件で警察庁は14日、千葉県で販売され、農薬成分メタミドホスが検出されたギョーザが入った袋2枚から、注射針であけられたとみられる直径1〜2ミリの穴が見つかったと発表した。千葉県警は当初「袋に穴はあいていない」と発表した。しかし中国で公安当局に逮捕された製造元の元臨時工員・呂月庭容疑者が「注射器で段ボールの外側から針を刺して農薬を入れた」と供述したと中国側から説明を受け、改めて調べた結果、穴が見つかったという。 警察庁と県警によると、2007〜08年に千葉市と市川市の2家族が食べた中国製ギョーザの2袋について、県警から依頼された警察庁科学警察研究所が顕微鏡で鑑定した。袋はギョーザを食べるため切り取られた上部の切れ端と、残りの下部とを調べた。見つかった穴は上部の切れ端部分から見つかり、直径1ミリの穴と同2ミリの穴がそれぞれあいていたという。 被害発生当時、千葉県警科学捜査
愛・蔵太氏が、保坂展人氏の記事に対して疑問を述べておられます。 愛・蔵太氏の記事 http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20100509/jikenjiko 保坂氏の記事 http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/95d8de18a8b1bbe55fa0c0daa805e533 愛・蔵太氏の記事を拝読し、疑問に感じた点を3つ、申し述べたいと思います。 まず1点目。 保坂氏が、沖縄における米軍人等の事件・事故数が1000件前後あることから、沖縄県内の事件・事故発生率は異常に高い、と主張していることに対して、愛・蔵太氏は、「日本の普通の県における事件・事故の発生数・率と、米軍の場合と比べればいいんじゃないか」と述べて、以下のように検証しておられます。 「在沖米軍人・軍属・家族数」は「40416人」(平成20年9月末)です。 「平成2
先に書いたエントリ、『一番最近読んだ怖い本;「母は娘の人生を支配する」』で、私の引用した一節に、とある方から疑問を呈された。この一節だ。 ファルス(ペニス)中心主義という「偏見」にさえ陥らなければ、精神分析とフェミニズムはきわめて相性がよいのですが、このことからもおわかりの通り、私は「ジェンダー」の考え方を全面的に肯定します。男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分に過ぎず、そこにはいかなる生物学的な本質も関係していない。精神分析フェミニズムに近い私は、これまでこの前提を疑ったことは一度もありません。 この、『男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分に過ぎず、そこにはいかなる生物学的な本質も関係していない』との文章は、『「男性であり、女性であるということは」100%環境による』という主張と読め、
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