7月23日付の産経新聞が「16・17日に開催された陸上自衛隊第一師団の統合防災演習に東京都内の11区が協力を拒否した」とする記事を掲載し、11の区全てから「報道内容は事実無根」として抗議を受け、25日の紙面で誤報を認め『おわび』を掲載したのに続き、26日にはコラム『産経抄』でも24日の同欄が23日の記事を取り上げて「職員の心ない仕打ちにも顔色ひとつ変えなかったであろう、自衛隊員の心情を思うと、やりきれない」と書いたことについて誤りを認め「記事の尻馬に乗った翌日の小欄も、当然訂正しなければならない(中略)防災活動に当たる担当者をはじめ、ご迷惑をかけたすべての関係者に深くおわびする」として訂正・陳謝し、MSN産経ニュースからも問題のコラムが削除されました。 今回の問題は11の区から「記事の内容は事実無根」として抗議を受けた産経新聞側が誤報の事実を認めて訂正・陳謝したことで決着をみましたが、そも
首都直下地震に備えて陸上自衛隊が行った統合防災演習について、23日付小紙が報じた記事に、大きな誤りがあった。東京都の一部の区役所は、自衛隊員の庁舎への立ち入りを拒否したわけではなく、通信訓練を認めていた。 ▼記事の尻馬に乗った翌日の小欄も、当然訂正しなければならない。各区役所は、抗議の電話の応対に追われたという。24時間体制で防災活動に当たる担当者をはじめ、ご迷惑をかけたすべての関係者に深くおわびする。 ▼記者生活ウン十年、これまでも数多くのミスを重ねてきた。ミスの最大の原因は「思い込み」だ。今回の場合、迷彩服姿の自衛隊員が行う訓練に対して、一部に批判的なムードがあるのは事実だから、区役所の非協力もあり得ると、納得してしまった。 ▼もうひとつの反省は、「疑う」という記者の基本を忘れたことだ。書籍や記事の内容、偉い人の演説、何でも「ほんまかいな」と、一度は首をかしげてみなければならない。「東
16日夜から17日午前にかけて行われた陸上自衛隊第1師団(東京都練馬区)の連絡要員の自衛隊員が23区に徒歩で出向き、被害状況や出動要請の有無などを確認する統合防災演習で、自衛隊側が23区に「隊員を区役所庁舎内に立ち入らせてほしい」と要請していたにもかかわらず、11区が拒否していたことが22日までの産経新聞の調べで分かった。区職員の立ち会いも要請していたが、7区の防災担当者は立ち会わなかった。要請を拒否した区には「区民に迷彩服を見せたくなかった」と明かした担当者もいた。(三枝玄太郎) 隊員の立ち入りを認めなかったのは、千代田▽中央▽港▽新宿▽目黒▽世田谷▽渋谷▽中野▽杉並▽豊島▽北の11区。大半は「自衛隊から要請がなかった」と断った理由を説明した。 防災担当職員が立ち会わなかったのは千代田▽中央▽港▽墨田▽世田谷▽渋谷▽中野の7区。各区とも「要請がなかった」と口をそろえる。千代田区の担当者は
防衛省が「教育の一環」として、現役自衛官を全国紙『産経新聞』に派遣し続け、派遣された自衛官「記者」は首相官邸などで「総理番記者」等の任務をこなしている実態が、改めて明らかになった。 自衛官「記者」は、他社の記者と同様、実際に取材、原稿執筆等をしている模様だ。 この事実は本誌二〇〇四年六月一一日号「現役自衛官に“総理番記者”をやらせていた『産経新聞』」でも指摘しているが、一九九二年から始まった防衛庁(現・防衛省)による『産経』への人材派遣は常態化しているようだ。 今回、発覚したのはある会合でのこと。挨拶を交わし、名刺交換をすると「産経新聞東京本社 編集局政治部」の肩書き。続けて「私は自衛隊から派遣されているんです」と驚くべきコメントを添えてくれた。「取材などもされているのですか」と聞くと、「菅首相(当時)の番記者をしています」と返ってきた。 物怖じしない、どっしりした構えには好印象さえ持った
「他の政党も視察しているんじゃないか」-。自衛隊の情報保全隊が自衛隊OBの自民党国会議員らの講演を潜入監視していた問題で、みんなの党の小野次郎氏は8日の参院予算委員会で、同党の演説会にも保全隊の隊員が潜入していたと指摘した。 小野氏は「みんなの党の北海道旭川市での演説会に帯広(駐屯地)から情報保全隊が来た。名刺がある。弁士の参院議員や支部の幹部にも自衛隊との接点はない」と質問。 北沢俊美防衛相は「公開の場での情報収集というのもある」と苦しい答弁。その上で「名刺をいただければ、その隊員がどういう趣旨で活動したかを即刻明らかにする」と答えたが、「どこの集会へ、どういうふうに行っているかは全部わかっていない」と言い逃れるのに必死だった。
■決然とした態度とブレない考え 「国を愛することを禁じるような歴史観が今後もまかり通るなら国は滅びる」と訴えた本書は、刊行から1カ月で13万部を超えた。版元のワックには女性からのファンレターが多数届いているという。 「決然とした態度とブレない考え。いまの日本男性に欠けているものを田母神(たもがみ)さんに感じているようです」と同社の女性編集者は話す。 「日本は侵略国家であったのか」と題された懸賞論文に端を発した田母神航空幕僚長解任騒動は、わが国でいまだに「東京裁判史観」に縛られた人々による「言論統制」と「粛正」が行われていることを改めて浮き彫りにした。特に朝日新聞の社説はすさまじかった。 「ぞっとする自衛官の暴走」と題してこう書き出す。「こんなゆがんだ考えの持ち主が、こともあろうに自衛隊組織のトップにいたとは。驚き、あきれ、そして心胆が寒くなるような事件である」 こうした進歩的マスコミにおも
≪侵略でないといえない≫ 歴史や戦争は人間社会の複合された所産であり、日本が先の大戦に至るまでにたどった道を省みれば、明らかに「自衛」と「侵略」の両面がある。歴史を論じる際、これらをトータルに観察し分析すべきである。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文を読んで感じるのは、証拠や分析に基づく新たな視点を展開するならともかく、他人の論評の中から都合の良いところを引用して、バランスに欠ける論旨を展開している点である。あの程度の歴史認識では、複雑な国際環境下での国家防衛を全うできない。 大戦に至る歴史の中で日本が道を誤る転換点となった張作霖爆破事件は、満州権益の保護拡大のため関東軍が独断専行の結果引きおこしたものであることは各種証拠からほとんど間違いない。このときの処置のあいまいさや満州での激しい抗日運動、関東軍の独断がその後の満州事変の引き金になり、満州国建国、上海事変、シナ事変へと続いていったの
航空幕僚長、つまり空自制服組トップによる不祥事ですが、まず、問題の「論文」を見てみましょう。 日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄 (PDFファイル) http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf すみません、見なくていいです(笑)。多くの人が口をそろえているように、とてもまともには読み進められなかったのですが、この論文の数ページに目を通して、重大な疑義があることに気づきました。まず、これってどっかのネトウヨblogのパクリなんじゃ? 少なくとも、(防衛大学校が正式な大学ではないとはいえ)大学レベルの課程を、おそらくは優秀な成績で修了した人の書いた「論文」とは思えません。もうひとつ、この労なき著作に三百万円という高額の懸賞金を与え、その当籤者(違う)が自衛隊の最高幹部である公務員だったというのは、事実上
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