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食と歴史に関するSarutaniのブックマーク (3)

  • 絶滅とされた古代ローマ「幻の植物」をおそらく発見、食べてみた

    マームット・ミスキ氏の手のひらに置かれたフェルラ・ドルデアナの花。トルコ中央部ハッサン山の近くで採取したもの。(PHOTOGRAPH BY ALICE ZOO) 黄金の花を咲かせる植物「シルフィウム」は、古代ギリシャの勃興前からローマ帝国の最盛期まで、地中海世界で最も愛された材のひとつだった。 腹痛からイボの除去まであらゆる症状に効く万能薬とされたほか、レンズマメを煮込む際に香辛料として使われたり、最高級のフラミンゴ料理に添えられたりもした。ユリウス・カエサルがローマに君臨した時代には、黄金とともに500キロ以上のシルフィウムが宝物庫に貯蔵され、その苗には銀と同等の値がつけられたという。(参考記事:「古代ローマで大人気、万能調味料「ガルム」とは」) シルフィウムに関する最古の記録は、紀元前638年のもの。北アフリカ、現在のリビアがあるキレナイカの沿岸で「黒い雨」が降った後にこれが生えたと

    絶滅とされた古代ローマ「幻の植物」をおそらく発見、食べてみた
    Sarutani
    Sarutani 2022/10/10
    タイトル見て、一瞬DPZの記事かと思った。
  • 「本醸造の醤油が当たり前になったのはここ20年ぐらい」と言っていいのは今から30年前 - 醤油手帖

    ※現在は修正が入りました! 迅速な対応に感謝します(2020/10/06追記) 醤油が大好きな人としては歴史改ざんなんてされてはたまらないという事例がありました。2020年9月30日に朝日新聞のサイトで公開されたこちらの記事です。 www.asahi.com 10月3日にはYahoo!に掲載されて、より多くの人が読むようになりました。そこで「当なの?」と問い合わせがきてとんでもない記事に気がついた次第です。 news.yahoo.co.jp 一体何が問題なのか。 それは最初の章の以下の部分です。 戦時中に大豆の供給が逼迫(ひっぱく)して、その代替品としてカイコのさなぎ、しかも油を採取したあとの搾り粕(かす)から醬油(しょうゆ)が作られたことを知ったときは衝撃でした。さらにその後、アミノ酸液に味つけしただけの化学的な『アミノ酸醬油』が出回るようになり、醬油が来の味を取り戻すには長い時間が

    「本醸造の醤油が当たり前になったのはここ20年ぐらい」と言っていいのは今から30年前 - 醤油手帖
    Sarutani
    Sarutani 2020/10/04
    トンデモ記事へのツッコミかと思ったら、めっちゃディープな戦後醤油史の解説だった。長文だけど読むとちょっとした醤油博士になった気になれる良記事。
  • バヤリース、きょう最終出荷 30日解散、42年の歴史に幕 - 琉球新報デジタル

    沖縄バヤリース(南城市、上間長恒社長)は26日、同社で製造した最後の「バヤリースオレンジ」を出荷する。事実上、42年の歴史に幕を下ろす。同社は30日に解散し、パート13人を含む従業員42人は解雇となる。 営業権はアサヒ飲料(東京)に譲渡、「バヤリースオレンジ」など4銘柄はアサヒ飲料の子会社「アサヒオリオンカルピス飲料」で製造される。県外飲料メーカーとの競争など度重なる経営難を乗り越えてきたが、老朽化した工場へ設備投資する余裕がなくなり、後継者問題も重くのしかかっていた。 米国生まれのバヤリースオレンジは、沖縄で64年の歴史を持ち、県民に親しまれてきた。1950年、米国の会社とフランチャイズ契約を結び「バヤリース・カリフォルニア・オレンジ(オキナワ)」が設立され、軍人・軍属向けに製造を開始した。60年に地元資を入れて「アメリカン・ボトリング」に社名変更、民間へも出荷するなど順調に業績を伸ば

    バヤリース、きょう最終出荷 30日解散、42年の歴史に幕 - 琉球新報デジタル
    Sarutani
    Sarutani 2014/12/29
    会社は無くなっても、バヤリースの名前自体はアサヒの子会社が引き継ぐのね。それはそれとして戦後の沖縄返還を機に設立された沖縄バヤリースの波瀾万丈な設立話は略歴を見るだけでも興味深いな。
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