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自己責任に関するTZKのブックマーク (18)

  • 自己責任論批判の作法と戦略 - こら!たまには研究しろ!!

    まずは前置き……長いので読み飛ばしてくださっても結構です ミクロ・マクロと言ってもミクロ経済学とマクロ経済学ではございません.個別問題と全体のシステムのお話しについて.自己責任論批判を巡る論争を見る度に,今のままでは自己責任批判論は自己責任論を説得できないだろうなと感じてならないんです. 自己責任論……特にここ数年の流行としてはニート・フリーター・ワーキングプアは「そいつらの努力が足りないせいだ」なのか,「社会の問題」なのかの論争において両者の論争がどうもまとを外しているように思えてならない. あるX君が失業しているとしましょう.「もし」X君が「職を得られるよう」「社内で評価される」「待遇が悪い仕事でもがまんしてやってみる」ための努力をもっとしていたら「X君」が失業者になっていた可能性はずいぶん低いでしょう.その意味で,「X君が失業している」ことはX君の「自己責任」ではあります.その意味で

    自己責任論批判の作法と戦略 - こら!たまには研究しろ!!
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

  • 派遣村とヘラジカの角と「気魄」 - 玄倉川の岸辺

    「『派遣村』叩きに日の国民性を思う」では「派遣村叩き」の原因について日人の国民性という視点で考えてみた。いや、考えたというのは大げさで「こういう見方もできるよね」という思いつきを書いてみただけなのだが、意外なほど多くの人に読んでいただけたのはうれしかった(5桁のPVは初めて)。物事を考えるにはいろいろな角度から立体的に対象を把握したほうがいいし、自分が新しい視点を示せたのであれば幸せなことだ。 さて、いきなり日和るようだけれど、私自身は「他人を信頼しない日の国民性が派遣村叩きの原因」という見方がただひとつの正解とは思っていない。「そういう見方も成り立つ」のは間違いないけれど、それがすべてであるはずがない。 私の見たところ、「派遣村叩き」を批判する意見の多くは社会的原因(政治が悪い、企業が悪い、新自由主義が悪い)あるいは個人的原因(叩いているのは右翼だ、ニートだ、想像力のない人たちだ)

    派遣村とヘラジカの角と「気魄」 - 玄倉川の岸辺
  • 自己責任じゃないならなんだってんだ - すべての夢のたび。

    「派遣村に流れ着いたのは自己責任だろ」というようなエントリを書いたりすると、「そうではない」という人たちがあちこちから現れます。ぼくは相変わらず「自己責任」の反対に当たることばがなんなのかわからないのですが、ここでは仮に、「『派遣村に流れ着いたような人たちに対して“自己責任だ”と発言する人たち』を批判する人たち」(ややこしい)を、オマエと呼ぶことにします。 さて、自己責任じゃないとしたらなんなんだろう、ということで、とりあえず3つ考えてみました。 社会のせい 天災とかの類 運命 たぶんオマエは2や3とは考えないだろうと思います。オマエはそれを社会構造が原因だとか、そういういふうに捉えているのだろうと思う。 しかし、オマエだって社会の構成員だろう? ならば、あの人たちが派遣村に流れ着いたのは、オマエのせいでもあるんだよ。自己責任論を採らないならば、即ちオマエもそれに責任を負わなくてはいけない

    自己責任じゃないならなんだってんだ - すべての夢のたび。
  • 世の中は全て自己責任だよ - 遥か彼方の彼方から

    雑記運とか、周りの環境だとか、そういうものも全部が自分の責任だって言うのなら、だけど。 研究室ではよくモノポリーで遊んでいます。あのゲームで負けるのも、自己責任なんだろうか。上手な取引や、心理戦、思い切った賭け、理論に基づいた冷静さ、そういったものが要素としてはすごく大きいゲームです。でも、2つサイコロが出す目によっては、どうしようもないってことはある。ゲームの終盤、勝ち組と負け組が見えてきた段階になって「あのときこうすればよかった」というのは確かに出てくる。結果論でなら何でも言えるからです。レッドじゃなくてグリーンにホテルを建てれば勝てていた、とかね。セオリー通りにやっても、それがかえって裏目に出ることはたくさんあります。*1 「あの時に、あれをしなかったお前が悪い」というのは、いささか厳しい。箱の中身を見るまで、が死んでるか生きているかわからない。未来が訪れるまで、何をするべきだった

  • 派遣村関係でいくつか思った事 - opeblo

    路頭に迷う元派遣労働者に対する一部報道を見て - 講師伊藤のメモ帳 手抜き工事のマンションに住まわざるをえなくなった住人が大地震を受けて全壊して被災し、避難所にやってきたところへテレビカメラがのこのこやってきて、「君が安易に手抜き工事の家に住むからだ」と説教するのだろうか。(中略)派遣契約の途中に、突然違法に解雇された人間に、何の過失があるというのだろうか。その若者がどういう生い立ちで派遣で働くことになったのかなど、極論すれば触れる必要もない事じゃないか。 派遣村批判でよく見る「派遣社員はそういうものだとわかっていたのに、何故彼らは何もしなかったのか」という批判を見ると、そういう貴方は、人生のリスクを全て感知して、それに対処できているのかと問いたくなってくる。日に住む以上、大地震に襲われるリスクがあるのは良く知られていることである。だとすると、派遣村の人達を上記の様に批判する人は、地震で

    派遣村関係でいくつか思った事 - opeblo
  • 派遣切りに対して「自己責任」というのは頭が悪いか教養がないか人格がアレかのどれかでしょうね - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    派遣という業種、派遣という雇用形態がなぜ生まれそしてここまで社会問題化するようになったのかそのあたりをおさえていれば「派遣を選んだのは自己責任」だの「不況になったら解雇されるのをわかってて選んだんだろ」などという頭の狂った論理を振りかざすことはできないと思うんだけれども、ゆえに、派遣は自己責任、正社員への僻みだ的なことをいう人には(そういうコメントやニュース日記が数多いのであえて断言するが)頭が悪いか教養がないか人格がアレかどれかであるといわざるを得ない。ほんとに頭がいい人だったり教養があったり人格的に問題がなければ私のように調べなくなってそれが間違いであるということぐらいはわかるだろうに。半径300m以内の見聞きでモノを語ると馬脚が出るだけなんだけどな。しかし総務大臣政務官も随分とアレなことをいってるようですな。さすが問題を認識してないのがウリの政権与党。 今日の産経をまだ読んでないので

    派遣切りに対して「自己責任」というのは頭が悪いか教養がないか人格がアレかのどれかでしょうね - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
  • 個人的にはこういうことをいえる人はすごいと思う。 - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    「派遣村」「派遣切り」について書かれたマイミクさんの日記を読んでいたらこんなコメントがついていた。 タバコを吸いながら「満足な事をしていない」と言っている報道を見ると、 そのタバコ辞めればもっとべられるんじゃないのかなとは思ってしまいます。 すごいな。貧困者はひとときの安楽を得ることも許されないんだろうか。もしかしたらそのタバコは恵んでもらったものかもしれない。あるいはどうしてもどうしても吸いたくて(なけなしの金で)買ったものかもしれない。もしくは「満足に事できてない」というのは同情を引くための(そしてより多くの援助を引き出すための)「嘘」かもしれない。いろんな可能性がある中、弱者に寄り添おうと思っていたらこんなコメントはできないだろう。困窮者は飯を買う金が0円となり、路上に臥す生活をしてから初めて「行政に声を上げろ」といいたいのか。なんだか凄まじい話だな。おい、日の伝統はどこにい

    個人的にはこういうことをいえる人はすごいと思う。 - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
  • 政治に関心の薄い層に残る自己責任狂 - Munchener Brucke

    今回の派遣村バッシングの特徴は、普段政治的な話題を取り上げない普通のブロガーやMixiで普段他愛のない日記を書いている人が、かなり辛辣に弱者に厳しいことを書いていることです。その意味で、ネット右翼や媚権派が騒ぐような事件とは少し様相が違うと感じました。 そして比較的政治的な関心が薄い人の間で、政治ブロガーの間では支持を失いつつある「自己責任狂」が根強く信奉されているという事実を知らしめられました。 ただこれは政治的関心の薄い人たちの間で、一昔前の価値観が残っているという訳でもない気がします。政治的関心の薄い人は、日社会がどうあるべきで、そのために政治はどうすべきかとい発想をしません。現実社会で起きていることは運命と達観し、その中で自分は何をすべきかという発想をします。 政治への関心が薄く、現実社会を不可避なものと達観している人は、人は政治性を否定するでしょうが、受動的な保守主義者と言え

    政治に関心の薄い層に残る自己責任狂 - Munchener Brucke
  • 『派遣村バッシングの背景にある根強い自己責任論 - 人の生存より市場原理優先の新自由主義は退場を』

    すくらむ国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。 坂哲志総務政務官(自民党衆院議員)の「年越し派遣村」批判発言や、みのもんたのTBS「朝ズバッ!」(5日放送)での派遣村の労働者は甘えているのではないかといった趣旨の発言、そして、このブログのエントリーにも同じようなコメントが寄せられています。 ブログなどネット上のコメント等は、以前のエントリー【「ネット右翼」はインターネット利用者の1%を下回る~近視眼的に過大評価されている「ネット右翼」】 の中でも指摘した「ネット右翼」と同じで、「近視眼的に過大評価」する必要はないと思っています。 でも、今回の“派遣村バッシング”の背景にある根強い「自己責任論」は、繰り返し批判が必要だと思っています。(実際、このブログでも「自己責任論」の批判は何度もエントリーしています) ちょうどいま

  • 小市民によるパイの奪い合い - 忘れ去られるべき日々について

    入社直後は部長1人、課長3人、主任3人、平10人というスリムの部署で、やりがいのある仕事をしていました。しかし、入社して2年目に部署統廃合があり、40人いる部になりました。そのうち、部長3人、課長17人、主任10人、平10人という逆三角形型の部署になりました。統廃合後の部署は管理職だらけなので2人の上司に1人の部下とかはざらで、管理職同士の手柄争いとかに巻き込まれたり。管理職同士の争いに巻き込まれかつ、デスマーチプロジェクトに入ったので、残業時間が100〜150h/月が当たり前になり、メンヘラーの道へ。 ロスジェネとか雇用とか(一当事者として)+実際あった出来事 - syncのれんあい☆にっき ver1.1この人事体勢の変化、とりわけ課長が約6倍に増えているのに平社員が横ばいなんて当にありえない話で、まあ肩書きだけ残して仕事内容はそうでもないんだろうと思ってみても、文章を拝見する限り課長

  • re: 自己責任メソッド - ls@usada’s Backyard

    「いかなる失敗も必ず人に大半の責任がある」という前提を固定する事で、一般化の安定性を向上させるメソッド。 - 主な特徴 A. 当は分かっていなくても分かった事にできる 情報が足りない、状況が複雑すぎる、知らない分野である、面倒なので調べたくない、考えるのが面倒くさい等の理由で問題の原因が分からない時、とりあえず人が悪いという事にしてしまえば、来考慮しなくてはならない周辺情報を無視して一般化し、常に一定のパターンで自説を展開し、一定の結論を導く事ができる(他の要素と異なり「人」はどのような問題にも必ず存在する)。 B. より重要な原因の存在を隠蔽できる 例えば当はシステムやルールに欠陥があり、そのせいで問題が起きているのだとしても、「対処できない人が悪い」という事にしてしまえば、システム体が持つ欠陥について考えたり修正したりする必要がなくなる。 C. 自己肯定効果 「全ての失

    re: 自己責任メソッド - ls@usada’s Backyard
  • 自己権利から社会的責任へ - 想像力はベッドルームと路上から

    2008-02-26 404 Blog Not Found:自己責任から自己権利へ 教えて!ダンコーガイ! 一つ聞いておきたいのは、なぜ国が838兆50億円もの借金を負い、尚且つ労働者の約3分の1が不安定な非正規雇用となってしまう前に手を打たなかったのか、ということ。 計算すると現在、君は39歳。参政権を得てから20年近くも経つ。 こんないびつな社会が回らない、というのがわからなかったのだろうか。 それとも、政府が怖かったのだろうか。 どんな国の、どんな時代に生まれてくるかは選べない。自らの出生は、確かに自己責任ではない。 しかし、社会をどのように変えるかは、選ぶ事が出来る。 その意味では、現在の社会も過去の君が果たした、あるいは果たしそびれた社会的責任の結末ではある。 (余談なので中略) 社会的責任。これまた変な言葉だ。責任というのは、責任を任せるものと引き受ける者の二者がいてはじめて成

    自己権利から社会的責任へ - 想像力はベッドルームと路上から
  • 自己責任から自己権利へ : 404 Blog Not Found

    2008年02月27日16:30 カテゴリPsychoengineering 自己責任から自己権利へ またお呼びがかかってる。 ロスジェネとか雇用とか(一当事者として)+実際あった出来事 - syncのれんあい☆にっき ver1.1 教えて!ダンコーガイ! syncは就職氷河期世代として、2001年に今の会社に入社して約7年。 いわゆるロスジェネ世代のまっただ中です。年齢は32歳。 入社直後は部長1人、課長3人、主任3人、平10人というスリムの部署で、やりがいのある仕事をしていました。 しかし、入社して2年目に部署統廃合があり、40人いる部になりました。 そのうち、部長3人、課長17人、主任10人、平10人という逆三角形型の部署になりました。 この「ロスジェネ」って言葉、「ロスを生成する」にどうしても聞こえてしまうのだけど、それはさておき。 一つ聞いておきたいのは、なぜこの入社二年目の時に

    自己責任から自己権利へ : 404 Blog Not Found
  • ワーキングプアの若者に対策って必要なんだろうか?

    一応自分自身就職氷河期の中で大学を卒業したので、あの時代の身も凍るような厳しさは理解してるつもりだ。 たださ、お前達こういう事って分かってたんだろ、認めてたんだろ、って言いたい。学生時代からずっとそうだったじゃないか、いわゆるリア充とかAクラスとかにカテゴライズされる奴等がキモヲタとかCクラスとかいうグループを蔑んで嘲笑してウケを取って、果ては苛めたり暴力を振るったりして、その他の連中はそんな「ガス抜き」が行われているおかげで平凡な学校生活を送る、皆学生時代ってこんなものだっただろ。 クラスに配置された人の枠組み以外、誰に強制されたわけでもない人間関係の中の小世界で、強者が弱者から不当に搾取をして咎められない、そんな世界の仕組みがいつの間にか出来て、殆どの奴等はそれを積極的に承認するか、当然と思って受け入れてきたんだろう? 学校が社会の仕組みを学ぶための小社会とするならば、それが拡大されて

    ワーキングプアの若者に対策って必要なんだろうか?
  • 20歳を過ぎたら、もうそれはお前の責任なんだ

    という論調をよく見かける。 「親からあれこれこういう目にあわされて、俺私はこんな風になった」と言っている人間に対し、 「お前もう○歳なんだろ?ならもうそれは、お前の責任なんだ。親のせいにするな」(これは20歳とは限らない、高校生くらいの場合もある) と言う論調である。 でも、果たして当にそうなのか? 確かに、法律的な、そういったある種の便宜的な意味ではそうならざるを得ないのかもしれない。要するに「だってそんな、いつまでも際限なく親のせいなんていってたらキリがないじゃん。その親を育てたのも親だしさ。だから20歳からは自己責任ってことで」という意味あいである。 あるいはまた別の便宜的な意味として「親にもう拘るな。親を恨んでも仕方が無い。そんなことは忘れて、もう自分で変えるしかないんだ」という、責任云々というよりも、当人のために敢えてそういういいかたをする、というのもまた有り得る。 確かにこの

    20歳を過ぎたら、もうそれはお前の責任なんだ
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    仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…

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  • ここギコ!: 「自己責任教」は社会科学的にトンデモじゃないのだろうか

    Posted by nene2001 at 03:06 / Tag(Edit): society self responsibility / 1 Comments: Post / View / 1 TrackBack / Google Maps 努力教とハゲタカ教と最善説 -過ぎ去ろうとしない過去- 泣けました。大元記事の数倍泣けました。 まあ、セグメントの問題と言ってしまえばそれまででもあるし、基「大元記事の通用しないセグメント」に居るわけではない自分としては、素直に大元記事のエッセンスだけ受け取ってればええやんと思わないでもないし、それを素直に受け取れない自分に自己嫌悪するところもないわけではないのだけれども。 学生時代、識字学校で文字を教えるボランティアをしていたのだけど、貧困で若い頃文字を学ぶ機会を得られず、それ故に苦労してきたお婆さん達は、みな70歳代にして80歳

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