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  • 東北関東大震災その17  ~ドクターヘリでもDMAT~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    震災関係はいったん最終回としましたが、備忘録も兼ねて記事にしました。 そのため、時系列が順序通りになっていません。 震災1日目、八戸 DMAT は岩手県大船戸へ出動した。 八戸ERは92名受診、47名入院。うち救急車38台。 震災2日目、域外へドクターヘリ搬送。 八戸 ER は181名受診、18名入院。うち救急車25台。 震災3日目、新たな八戸 DMAT が津波で診療所も流された岩手県野田村へ出動。 ドクターヘリは十和田市の産後出血と田子町の脳卒中に出動した後、岩手県へドクターヘリ DMAT 出動。 八戸 ER は101名受診、27名入院。うち救急車28台。 さらに宮古へドクターヘリ DMAT 出動。 震災4日目、月曜日。 沿岸部の避難所でドクターヘリ要請あり、搬送中に心停止。心タンポナーデに対して、ヘリ内で心嚢穿刺。 月曜夜の当直はいつも私。歩いてくる患者が多数。 そして震災5日目の朝に

  • 東北関東大震災その16  ~八戸DMAT 海保ヘリで広域搬送 その2~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    ■後続隊 1機目の搬出後、残り6名の状態を把握していると「次が来ます」との連絡。 もう搬出患者は決めてある、患者も落ち着いている。準備は万端だ。 甲板で待ち受けたスーパーピューマの着船は、もの凄い音と風。 身体を固定していないと飛ばされそうなダウンウォッシュ。 ふと脇の岸壁を見ると、自衛隊員が作業の手を止め、背中を向けて立っていた。 8時58分、着船。 そして9時20分、瞬く間に4名の患者を乗せ、派手なダウンウォッシュとともに離陸。 さらに3機目の S-76 は、9時32分着船。 この素晴らしい手際は、やはりトッキュー隊長の手腕だろうか。 二人の高齢女性患者を載せ、9時40分過ぎに離陸した。 ・・・・・・・・ Bell212 は、順調なフライトを続けていた。 患者の呼吸が早くなったが、冷汗はなく脈の強さも変わらない。血圧も良い。 どうやら、怯えているようだ。無理もない。様子をみることにした

    aegis09
    aegis09 2012/02/27
    ”緊消隊の◯、◎、△県隊、全共波を傍受しているか?原発で内圧上昇あり、放射線被害の恐れ。至急撤退して避難せよ”
  • 東北関東大震災その15  ~八戸DMAT 海保ヘリで広域搬送 その1~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    ■ヘリコプターで広域搬送 3月20日、震災10日目。 初日50名、昨日200名の250名を30km 圏外へ搬出した。目標400人まであと少し。 日は、残った重症者をヘリコプターで広域搬送するという。 われわれのmissionは、南相馬病院から新潟市民病院へ重症患者8名を空輸すること。 集合場所の相馬港は津波被害が大きく、やっと前日に大きな漂流物や沈没物を取り除いたばかりらしい。 朝5時半起床、6時に出発。 辛うじて30km 圏外の相馬港に向けて、カーナビに沿ってドクターカーを進める。 港に近寄ると、異様な光景が広がっていた。 巨大な巡視船が、かろうじて残っていた倉庫の骨組みの向こうに見えた。 凸凹に波打ち、亀裂だらけのコンクリートの上に、積荷だった砂利が撒かれている。 約束の7時半、海上保安庁の新型巡視船 いず に到着。 阪神大震災の教訓から計画され、わずか2年で建造された「災害対応型」

  • 東北関東大震災その14  ~福島への DMAT 出動 その5~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    ■トラブルを乗り越えて 最終的に、198名の患者に放射線サーベイとmedical check を行い、搬送を完遂した。 事前の情報では歩行可能な「緑タッグ」のはずだったが、実際は殆どが歩行困難だった。 このうち、あらかじめ決めておいた13,000cpm を超える線量は検出されなかった。 南相馬病院から自衛隊救急車で来た57名は、新潟消防学校に49名を搬出した。 残った8名は重症度が高いと判断し、防災ヘリ使用を予定したが悪天候に阻まれた。 medical check で状態が悪いと判断した患者1名を SCU へ収容し、安定化させた。 この患者と防災ヘリ利用を計画した患者、合計9名は計画していた時間に搬出できず、 行先を福島医大に変更し、一部は自衛隊の英断で自衛隊救急車を使わせて頂いた。 大町病院から、機動隊の護送バス5台と救急車1台で校庭に入ってきた計62名は、 民間バス3台と救急車1台に載

  • 東北関東大震災その13  ~福島への DMAT 出動 その4~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    校庭には次々に車両が乗り入れ、すでに複雑さも規模も、前日とは比較にならない。 みな目の前の作業で精一杯、全体を把握することが難しくなっていた。 トラブルは、こんなときに襲ってくる。 ■栃木行きのトラブル 小野田病院から到着した3台のバスは、30名ずつ自治医大と栃木リハビリテーションセンター体育館に振り分けて搬出、とされていた。 だが、体育館とは避難所だろうか?そうだとすれば軽症を選ぶべきだろう。 が、バスの中で、初めてみる高齢患者の中から軽症を選別するのは困難を極めた。 問題が起きたのは、このとき。 3台とも、付添い家族は自治医大行きと思っていた。リハビリセンター体育館という目的地も知らない。 病院関係者に聞くと「自治医大の隣にリハビリセンターがある。だから同じ場所だ」 私は DMAT部に電話して確かめた。 「自治医大とリハビリセンターは隣同士か?」「ちがう」 「自治医大に全員運んでいい

  • 東北関東大震災その12  ~福島への DMAT 出動 その3~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    ■サーベイ、トリアージ開始 3月19日の朝、指示通り7時半に福島県庁に集合した。 日の活動拠点は川俣高校の校庭と決まっていた。メンバーは6隊、やはり統括は八戸。 8時に県庁を出発して、6台が編隊を組んで進む。9時には川俣町に到着。 自衛官から日の missionの責任者として、伊藤、松田一尉が出迎えてくれた。 福島県警の職員とも一緒に、立ち話で簡単に自己紹介を済ませ校庭に降りた。 川俣高校校庭は広く、体育館がありトイレもあり、水も出る。 砂土であることを除けば便利が良い、ここを搬送作戦の設営場所と決めた。 砂土の校庭を後で測定したら、地面は5,000cpm。飯舘の20,000cpm よりはマシだ。 ただ飯舘ではアスファルト上の作業だったが、川俣は風で舞い上がる砂土。 ■押し寄せる患者は200名 DMAT隊、自衛隊、県警のみなが集まったところで、mission を確認する。 30km 圏

  • 東北関東大震災その11  ~福島への DMAT 出動 その2~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    (震災8日目、福島原発の周囲から患者を避難させるmissionにDMAT出動) ■500名の患者に対応 3月18日、震災8日目の昼下がり。 福島県庁の隣、自治会館の3階が福島県災害対策部だった。 東京電力の会見場となっている廊下を抜けて階段を上がると、参集場所の4階会議室。 入り口の看板は「福島県緊急被ばく医療調整部兼DMAT 福島県調整部」 色とりどりのユニフォームが動く室内で、国立災害医療センター近藤医師が待っていた。 この時点で、募集20隊に対して参集わずか6隊。八戸 DMAT 隊は4隊目だという。 挨拶もそこそこに、ブリーフィングが始まる; 「30km 圏内の医療機関に残っている、400~500名の患者を圏外へ出すのが任務。 自衛隊や警察などが患者を搬出して、新潟や喜多方などに運ぶ段取りがついている。 30km圏外のチェックポイントで待機して、患者の放射線量測定を行ってほしい

  • 東北関東大震災その10  ~福島への DMAT 出動 その1~ - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    ■DMAT 終了宣言 3月17日震災7日目、東北地方への DMAT 出動は終了宣言が出されていた。 今後は内科や精神科の診療が必要になるので、彼らにうまく引き継ぐことが重要だ。 DMAT の必要はなくなったが、医療班などの必要はむしろ高まっている。 日医師会から、津波で亡くなったご遺体の検案に協力できる医師の募集が来た。 八戸救命センターから安部医師が早速応募した。震災には様々な医師の協力が必要だ。 ■出動の迷い 震災7日目の夜は遅い帰宅だった。 院内では圏外の携帯電話に、厚労省医政局 DMAT事務局からメールが着信していた。 件名: DMAT 待機要請について 福島県からDMAT派遣要請がありました。つきましては派遣に応じることの出来るDMATはEMISに待機登録をお願いいたします。 福島第一原発事故のために20~30km 圏の医療継続が困難になり、多数の患者の生命が危機的状況になりま

    aegis09
    aegis09 2012/02/27
    ”留守電を聞きました、出動できます。両親と婚約者にも伝えました”
  • 東北関東大震災その9 ドクターヘリ県内搬送 - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    震災2日目の3月12日朝を迎えた。 八戸市と周辺の太平洋側では、地震と津波の被害が大きく深刻な状況だった。 震災初日、八戸ER は92名(うち救急車38台)の患者を診療した。 このうち入院になった患者は47名、残り45名は帰宅。 30床ある救命救急センターは、オーバーベッド。つまり予備ベッドに寝てもらう。 救命病棟の43床も満床で、一般病棟の空室を全て一晩で使ってしまった。 しかし病棟看護師も ER 看護師も救命救急センター看護師も、そして放射線技師も検査技師も弱音を吐かなかった。 弱音を吐いたのは医療者ではなく、物流や施設の担当者だった。 問題1:電力が持たない。 大電力を消費する治療は、中止または転院とされた。 問題2:酸素が持たない。 酸素投与の節約と、酸素を止める患者の選別が必要とされた。 また人工呼吸器を外す患者も、家族の同意を得ながら検討が進められた。 しかし、家族がいる避難所

    aegis09
    aegis09 2012/02/27
    ”八戸市立市民病院救命救急センターは、最後の砦。北東北の医療の最終防衛線。ここが敗れれば、岩手県北部から青森県南の太平洋側は総崩れになる”
  • 東北関東大震災その8 ガソリンがなくなる日 - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    震災当日に盛岡へ向かってドクターカーで出動した八戸 DMAT 隊は、 2日目に大船渡病院で支援活動を行い、3日目の未明に八戸へ帰着した。 震災3日目、青森県ドクターヘリは県内で2回出動後、岩手県へ DMAT として出動。 更にこの夜、ドクターカーで第2陣の DMAT 隊が久慈方面へ出動した。 そして震災4日目の朝。 ラピッドドクターカーのスタンバイ前の午前7時15分。 前日は私が当直する月曜日、急患で盛り上がったまま朝を迎えた。 相変わらず余震が来る。 ドクターヘリ通信司令室のテレビを、同じく当直の光銭医師と見ていた。 すると、ドクターヘリ通信司令室で常に傍受している消防無線から気になる通信が聞こえてきた。 「場所は八戸○○、意識がない男性。救急○○出動、ドクターカー同時要請する」 私は CS 室を出てすぐの ER で、八戸消防への直通ホットラインの受話器を取った。 呼び出し音を聞く間もな

  • 東北関東大震災その7 津波からの劇的救命 - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    3月11日14時46分 マグニチュード9の地震は八戸へも到達した。 地震到達から36分後、津波の第一波が仙台から順に北上し八戸港に接近した。 さらに29分後の16時51分、最大津波が八戸を襲った。 ※デーリー東北新聞社のご好意で提供いただきました。撮影:梶原昌之さま(八戸市) 70歳代男性は逃げおくれた。 彼の住宅は、常識では津波が来ないくらい海から離れていたはずだった。 男性のいた一階には海水と泥が勢いよく侵入し、あっという間に胸まで水に浸かる。 流されないように、つかまって踏ん張ったという。 津波の勢いが弱まった頃、家族が一階で水に漬かっていた男性を探しだした。 なんとか2階に引き上げ、そして1階の屋根から119番通報した。 救急車は、八戸市の北はずれの海岸から離れた患者宅に出動した。 一階が浸水中だったため、救急隊は土手からハシゴをかけ隣家の屋根を経て近づいた。 八戸 ER は徒歩の

  • 東北関東大震災その5  米国からの支援 - 青森県ドクターヘリ スタッフブログ

    八戸市立市民病院には、多く外国人が受診します。 その理由は、キリストの墓の存在ではありません。 三沢米軍基地がそばにあるからです。 米軍基地病院には、集中治療室はなく、CTもありません。 だから、たびたび八戸市立市民病院救命救急センターに患者が運ばれてきます。 この震災の間もそうです。 発災の翌日でした。 病院は電力停止と酸素停止におびえているときでした。 CT撮影を米軍に依頼されたのです。 八戸市立市民病院救命救急センターでは、電力節約に努めていましたが、CT検査はフル稼働です。ここでCT撮影しないと、100km先の青森県病まで患者を送ることになります。その中間の病院では、停電でCT室は使えません。この地域では当センターのみ、自家発電で、CT室を動かしています。 赤坂医師が電話を受けます。 英語で「受けいれOKです。」 患者は幸い重症ではありませんでした。 患者は米軍基地に帰ります。 帰

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    aegis09 2012/02/27
    トモダチ作戦の断片 ”自家発電用の重油があと数日です。いまのところ、重油確保の目途が立ちません。米軍からぜひ重油のおすそ分けをいただけませんか”
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