東日本大震災の後は、半ば呆然とした日々が続いていた。札幌は、地震も津波も原発事故も、ほとんど影響がなかったし、今もない。自分の日常の仕事も、震災前と同様に続いている。 新聞労連の集会に呼ばれて青森県の八戸市へ出向いたのは、2月初旬のことだった。東北各地から地方紙の記者や販売・営業担当の人たちが集まり、夜は店を3軒もハシゴしながら「地方紙はこれからどうしたらいいか」といった話を続けていた。あのとき、夜遅くまで話した人たちも、かつてない事態の最中にある。その場で一緒した「今だけ委員長」さん、河北新報の寺島英弥さんの「余震の中で新聞をつくる」、あるいはその他の奔流のような報道に接していると、現場のすさまじさと足下の日常との、あまりにも違うその落差を前にして、私はなかなか語るべき言葉を持ち得なかった。 それでも、書いておきたいことは山のようにある。何からどう書いておくべきか、頭の中の整理が仕切れて
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