少し前に話しをしたときに、学びという言葉が出た。学びに限らず、政治なり、活動なりについても同様に思うけれど、よく検討するなら、自分はそれをやってないとか関わってないということがそもそもあり得ない。 やってないとか、関わっていないとかいうのは、日々生きていて、さらにその上に意識して付け加えるものとしてそれらのことを認識しているということなのだけれど、そう考えることで滞る。あるいはあえてそう考えることで、それ以上の検討をしなくてよくなるからやっているということもあるだろう。今は今のバランスの均衡があって、それを崩すものは困るのだ。崩れると何かしなくてはいけなくなるから。 それはさておき、自分や自意識によってゼロから力を出すと考えるのではなく、水道に管をつなげばそのつないだ先からも水が出てくるように考えるのが実際に即していると思う。圧は既にある。ないと仮定すればその瞬間終わっている。その前提のも