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学びに関するamenomorinoのブックマーク (2)

  • 取り去るものとしての「学び」 - 降りていくブログ 

    少し前に話しをしたときに、学びという言葉が出た。学びに限らず、政治なり、活動なりについても同様に思うけれど、よく検討するなら、自分はそれをやってないとか関わってないということがそもそもあり得ない。 やってないとか、関わっていないとかいうのは、日々生きていて、さらにその上に意識して付け加えるものとしてそれらのことを認識しているということなのだけれど、そう考えることで滞る。あるいはあえてそう考えることで、それ以上の検討をしなくてよくなるからやっているということもあるだろう。今は今のバランスの均衡があって、それを崩すものは困るのだ。崩れると何かしなくてはいけなくなるから。 それはさておき、自分や自意識によってゼロから力を出すと考えるのではなく、水道に管をつなげばそのつないだ先からも水が出てくるように考えるのが実際に即していると思う。圧は既にある。ないと仮定すればその瞬間終わっている。その前提のも

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  • 片頭痛に関して - 世界を食べたキミは無敵。

    こちらの id:hapilakiさんの 一時的なギラギラで視野が欠けて目が見えなくなる閃輝暗点、その後に偏頭痛になる症状 - はぴらき合理化幻想 という記事を拝見させて頂きました。突然書かせていただくことをご了承ください。 いくつか気になった点がございましたので、取り急ぎ書かせていただきます。 まず、 簡単に言うと次のとおり。 何らかの原因で脳の視野を司る部分の血流量が減ることによって閃輝暗点が発症する。 血流量を増やすために血管を拡張しようとするので、それにより圧迫された部分が偏頭痛になる。 閃輝暗点に関する引用は次のとおり。 閃輝暗点は視覚を司る大脳に栄養を送る大血管が一過性に収縮することによって起こり、この収縮に引き続いて大血管が急に拡張すると、片頭痛が起こります。従って、発作的な光に引き続いて頭痛が起これば、その光は閃輝暗点である可能性が高いと言えます。 兵庫県西宮市ふじもと眼科-

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