衆議院が解散し、本会議場をあとにする麻生太郎首相=国会内で2009年7月21日午後1時5分、尾籠章裕撮影 麻生太郎首相は内閣支持率の低迷と自民党内の「麻生降ろし」に苦しみながらも、最後まで自らの手による衆院解散にこだわった。「選挙の顔として総裁に選ばれたのに、ここで辞任すれば自民党はさらに窮地に陥る」(首相周辺)との思いからだ。しかし、解散当日の21日、党両院議員懇談会で、東京都議選など地方選の敗北について頭を下げ、結束を訴えなければならなくなった首相に「選挙の顔」の面影はない。【高塚保】 副総理格の与謝野馨財務・金融担当相から両院議員総会の開催を求められた翌日の16日、首相は河村建夫官房長官に「経済はまだ立ち直っていない。与謝野を一番大事にしてきた。経済政策を二人三脚でやってきたのに」と語り、ショックを隠しきれない様子だった。 祖父・吉田茂元首相は、閣内ナンバー2の緒方竹虎副総理ら多