北川扶生子氏(鳥取大学)より、ご著書の『漱石の文法』(水声社、2012.4)をご恵贈いただいた。 ありがとうございました。 漱石研究者の端くれとして、最後迄読んでから紹介しようと思っていたのですが、委員会の所用に取り紛れ、なかなか読通すことが出来ず、大変申し訳ないことでした。 本書は、明治日本が直面した日本語(書き言葉)の形成期の変動ぶりの一端を、漱石を通じてあきらかにしようとしたもので、特に、書くための修辞的な文章として存在した美文をめぐる第1章の考察を経て、第2章で漱石の文体の変化とその意味を論じている。 具体的には、漢詩・英詩、俳句、小説の翻訳等の引用がちりばめられた「草枕」に見られるような多彩な文体の存在や最初の新聞小説である「虞美人草」のような美文は、やがて「三四郎」以降は見られなくなって行く。「草枕」「虞美人草」の文章を読みこなせる教養を備えた読者対象の執筆から、新聞読者対象へ
卒業した学生が、律儀にも就職した会社のカップラーメンを段ボールで送ってくれる。こういうのを昔聞いた出世払いというのだろうか、何もしてあげられなかったのでは、と振り返ってしまう。新潟出身の男子学生は、実家からお米を送ってくれた。新米の間は、米が透き通って見えるという。富山のそれと違って、箸の先があまり重く感じない。稲の品種は富山でも同じになってきたそうだ。そうすると水の違いか、炊き方の違いなのだろうか。 小学生か中学生の時、漢字テストはさすがにだんだんと得意になってきていて、とりわけ点数が高かった答案を珍しく母に見せた。一問だけ間違った「水稲」を見て、これは「すいとう」よ、といかにも農家育ちらしく言った。「ミズイネ?」と苦し紛れに書いた東京生まれ、東京育ちの私には、それまで知らないことばだった。 富山県民は、堅実で地味な県民性といわれることがある。九州などを出身地とするテレビに映える派手さを
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