平成24年は、歌舞伎学会発足から二十五周年にあたりました。その二十五年間の活動記録は、本年8月頃刊行予定の『歌舞伎―研究と批評―』50号に掲載予定ですが、二十周年を記念した41号掲載の「歌舞伎学会活動記録」をもとに、学会発足からの歩みを辿ってみたいと思います。 歌舞伎学会の発足は昭和63年(1987年)12月6日です。設立総会が早稲田大学で開催され、劇作家・木下順二氏による記念講演が行われました。この講演は、翌年8月に刊行された『歌舞伎―研究と批評―』創刊号に収録されておりますので、後ほど別項で紹介したいと思います。 事の発端は、昭和60年(1984年)6月に日本演劇学会で行われた「歌舞伎の現状を批判する」というシンポジウム。そこから「歌舞伎を考える会」という分科会が始まり、二年後の年末、鳥越文蔵氏を代表委員として「歌舞伎学会」が立ち上げられました。 翌63年(1988年)5月に開かれた第
きのう、こういう記事を書いた。 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130117/p1 文芸春秋掲載の沢木耕太郎「キャパの十字架」、Nスペ番組にも〜キャパの出世作は”ヤラセ写真”? で、その自分の記事を読んで、自分で浮かんだ疑問なんだけど… 【自分の記事見直して感じた疑問】 ・(1)「『十字架を背負う』という用語は大まかに言って『罪、責任、悪評、疑惑を受け止めて耐える』との意味で使われるっぽいが、いつ頃から使用されてるのだろう? ・(2)元のキリストの逸話と合ってるとみるか、ずれてると見るか? ・(3)また、こういう表現は英語圏(キリスト教圏)でも同様に使われるのだろうか? 知っているかたはおしえてください。 追記 コメント欄とブックマークから id:frkw2004 ことば 「疑惑(罪がないのに罪人とみなされる)」は入らないかと。イェスは罪が無いにもかかわらず
◆正田の近刊『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』◆ 各ネット書店でも大好評発売中です! http://books.rakuten.co.jp/rb/12987941/?acd=812 https://honto.jp/netstore/pd-book_26427191.html ◆上司の承認力と部下の幸せな躍動…「承認研修」宿題を一挙28例公開!!あったかい気持ちになってください (印刷の場合はA3ヨコ4pです。無断転載不可) http://www.c-c-a.jp/pdf/20150205.pdf さて、空気を読むことによる閉塞感、前項でみたようにそれはわたしたち1人ひとりの気質と行動様式によって支えられているわけですが、これを打破するために先人が編み出したきわめて有効な方法があります。 「会読(かいどく)」。 江戸時代の多数の学問所や私塾に広がっていた、フラットな関係性の中
2013年にやりたいこと もうすでに年始に目標は書いてしまいました。 最終的に、今年の新年の目標は「この3カ月で35本くらい論文を精読する」に落ちつきました(というか、これでも十分ハードル高くないか?)。よろしくお願いします。 http://d.hatena.ne.jp/consigliere/20130101/1357014981 あとは目標達成に向けて邁進するだけなのですが、すでに遅れ気味^^; さて、これだけでは記事としてつまらないので、論文を精読するというのはどういう営みなのか、ちょこっとだけ書いてみます。 論文を読んで勉強するというのは、 論者の研究(読書)を追体験する 疑ってみる、異議申し立てをする 自分なりに論を広げる ということにほかなりません。二つ目と三つ目はある程度蓄積がないと無理ですけど、要するに「ここはスンナリとは了解できない」「オレだったらこういうことも調べたい」
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