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2014年5月23日のブックマーク (7件)

  • 万葉集と古代の巻物 新田文子『青木てる物語』

    富岡製糸場と小川町の女性たち (新田文子『官営富岡製糸場工女取締 青木てる物語―養蚕と蚕糸―』新田文子、B6判118頁、口絵6頁、2014年4月20日刊、700円) 世界遺産(産業遺産)に登録される見通しとなった、「富岡製糸場と絹産業遺跡群」が今注目を集めています。 今日まで保存されてきた富岡製糸場の建物や、日近代産業史において富岡製糸場が果たした役割はもちろん重要ですが、それと同時に、この富岡製糸場を出発させた、明治の女性たちの心意気も見逃せません。 富岡製糸場の工女は、初代工場長の尾高惇忠の長女ゆうがその第一号として有名です。ゆうの後に、多くの女性たちが続くことになりますが、それは決して平坦な道のりではありませんでした。 工女たちが集まる、大きなきっかけとなったのは、埼玉県小川町出身の青木てるの情熱でした。 このあまり知られていない事実に、光を当てたのが、この『官営富岡製糸場工女取締

    万葉集と古代の巻物 新田文子『青木てる物語』
  • eoblogサービス終了のお知らせ

  • 国立国会図書館の電子情報部に話を聞いてみた

    4月21日に、国立国会図書館のデジタル化資料を活用した「NDL所蔵古書POD」が、インプレスR&Dから発表されました。実はこのニュースを受けて、変電社の持田泰さんとFacebook上で議論になりました。持田さんが、このインプレスR&DのNDL所蔵古書PODのように「変電社文庫」を作ってみたいが、国立国会図書館とどうやって話を付ければいいのだろう? という投稿をしており、そこへ私が「パブリック・ドメインなら許諾不要では?」とコメントしたのが議論の発端でした。 実は当時、国立国会図書館のデジタル化資料を利用するには、パブリック・ドメインの作品でも転載依頼フォームからの申し込みが必要でした。私は「それってパブリック・ドメインの意味がない」という意見、持田さんは「でもそういうルールになっているのだから、煩雑であろうとちゃんと申し込みは必要だ」「外部からの妙な抗議で、せっかく公開したデータがまた非公

  • 信濃毎日新聞[信毎web] 一茶、真筆の手紙見つかる 信濃町の記念館で展示

    長野県上水内郡信濃町出身で江戸時代の俳人小林一茶(1763~1827年)が長野市長沼地区の門人の吉村魚淵(なぶち)に書いた手紙が見つかった。一茶人の真筆と確認され、書き写したとみられる偽筆が知られていたが、一部表現が違っていた。一茶記念館(信濃町)は「貴重な資料」とし、20日、真筆と偽筆が見比べられるよう館内で展示を始めた。 真筆所有者は東京都新宿区の福地桂之助さん(81)で、知り合いから買ったという。一茶記念館に今年4月に持ち込み、その後、一茶研究の第一人者の矢羽(やば)勝幸・二松学舎大客員教授=上田市=が筆跡などから真筆と確認した。 一茶は長沼地区に660日以上滞在したとされ、魚淵を含む地区の門人「長沼十哲(じってつ)」と俳諧を楽しみ、句集発行も手伝った。医師だった魚淵は句集「木槿(むくげ)集」「あとまつり(迹祭り)」を出版している。同館によると、魚淵宛ての一茶の手紙は9通確認さ

    信濃毎日新聞[信毎web] 一茶、真筆の手紙見つかる 信濃町の記念館で展示
  • 京都府に伝わる「あの世と現世の境界」 - 冥界に続く井戸や死者が戻る橋も

    今よりもずっと人々が霊魂の存在や死後の世界、風水や吉凶の類いを信じ、恐れていた平安時代。そんな平安時代の京都には「冥界と現世の境界」とされていた場所があり、京都市内には今もその名残をみることができる。 火葬や土葬は皇族・貴族のみ 人が亡くなると、現在の日では火葬されるのが一般的だが、平安時代、火葬や土葬が行われていたのは皇族や貴族に限られ、多くの民衆は風葬、要するに野ざらしにされていた。 京の都における代表的な風葬地のひとつが「鳥辺野(とりべの)」と言われるところで、清水寺の南西側の山裾一帯にあたる。この頃は鴨川の流れる辺りが平安京の東端であり、大内裏(皇族の居所や政務施設のあるエリア)からみれば、"郊外"のような地域。それよりさらに東にある鳥辺野一帯は、ほとんど人の寄り付かない辺境地とも言える場所だったのだ。 あの世へとつながっている井戸 鴨川から松原通(旧五条通)という通りを鳥辺野方

    京都府に伝わる「あの世と現世の境界」 - 冥界に続く井戸や死者が戻る橋も
  • aozorablog » 電子の本が燃やされるとき

    カテゴリー:,電子書籍,青空文庫 | 投稿者:OKUBO YuAuthor: OKUBO Yu About: 青空文庫には高校生のとき参加して、今や翻訳家・翻訳研究者。しばらく青空文庫をお休みするつもりだったのにそうも言ってられなくなってしまっててんてこまいの日々。ここでは電子のことをしゃべったり、物語を書き散らしたり、はたまた青空文庫批判をしてみたり、自由にやっていくつもり。See Authors Posts (55) | 投稿日:2014年5月22日 | が青空の棚から消えてなくなる、という事態は、単に図書が閉架になることでも、禁帯出になることでもない。 著作権法上、データベース上にアップロードしてアクセスだけ禁じる、という形で残すこともできない。また青空であることは館内がないということだから、まさにを棚から消すことしかできないわけだ。 それは青空の棚の実務に携わる者からすれば

  • 関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記

    李建志君は、私の後輩である。中央大学を出て東大比較に来た。在日である。ちょうど私が阪大へ赴任する時に修士課程を終えたのだが、私と、つくば国際大学に就職する加藤百合さんの歓送会が平川先生宅であって、その時李君が、「日文化なんてのはみんな朝鮮から来たんですよ」とべらべらしゃべっていて、みな「?」と思いつつ、黙っていたということがあった。 その後、京都ノートルダム女子大学へ赴任したが、いつもジーパンを履いていて、何だか駅前のバンドで演奏でもしているような風体で、もてないもてないと言っていた。 2005年3月、東大の大澤吉博教授が急死した葬儀の時で、帰りに延広先生と三人で事をして、李君が落語に詳しいことを知った。私はそのころ、川柳川柳が好きだったのだが、「ガーコン」といえば川柳で、しかし李君は、古今亭右朝もやる、と言った。へえと思って、しかし右朝が先にやったと聞き違えて、その頃『文學界』に連

    関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記
    arcade00fire01
    arcade00fire01 2014/05/23
    この金某は、ちょっとね