government of the people, by the people, for the people 昭和59年4月4日の衆院建設委員会。 委員長は武闘派で鳴らすハマコーこと浜田幸一。55歳。 前年に初当選した遅咲きの代議士、野中広務が質問に立った。野中はこのとき58歳。 野中 「名神吹田-京都間の六車線化に関連し、この道路の実態をよく知る一人といたしまして、私はこの事業の円滑な推進にぜひ協力をしなければならないと思うのでありますが、この工事区間の大山崎地内にぜひインターの設置を要望するものであります」 この質問に、担当の官僚が答弁したあと、浜田が口を差し挟んだ。 浜田委員長 「彼は当委員会の出席率も最高にまじめでありまして、一時間も欠席いたしておりませんので、大山崎インターの問題については、採算性もさることながら、十二分に意を尽くされて処理されるよう委員長から御要請を申し上げて
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