ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有
これまでご愛顧いただきました「五十嵐仁の転成仁語」を、こちらに引っ越しました。今後とも、よろしくお願いいたします。 最近はやりの「アウトレット・モール」は、若者に人気があるそうです。というのは、「傷もの」や流行遅れの商品、「半端もの」「訳あり品」「棚ずれ品」などの商品を引き取って安く売っているからです。 最近、政界でも、そのような「アウトレット・モール」が店開きしたようです。お店の名前は、新党「日本維新の会」と言います。 「傷もの」や流行遅れの商品、「半端もの」「訳あり品」「棚ずれ品」などの国会議員や立候補予定者をかき集めて大売り出しを始めようというわけです。自民党や民主党などの「老舗」だけなく、若者向けに開店していたみんなの党などからも、「商品」がかき集められました(中には、引き取りを拒まれた「商品」もあったようですが)。 古くなったラベルを貼り替え、新しい装いで並べてもらえば売れるので
(K)さんが偶然遭遇した留学同京都の学生たちの姿に20代の頃の取材の記憶がよみがえりました。 私がまだ朝鮮高校に通っていた1980年代、朝鮮高校卒業生に認められる大学受験資格は一部の公私立大学のみで、大学を受験するための資格である大検入学資格検定(現在の高等学校卒業程度認定試験)すらありませんでした。とくに、国立大学はすべて門戸を閉ざしており、文部省(当時)の朝鮮学校差別をそのまま体現した牙城のような存在でした。 「これはおかしい!」と留学同京都の学生たちが、足元にある京都大学が受験資格を認めるよう運動を始めたのが1994年12月のこと。京都大学で同胞学生を中心に始まった受験資格獲得運動は、日本で歴史を重ねてきた外国人学校の存在、そこで行われている教育に目を向けることになります。 そして、1999年に京都大学大学院が文部省(当時)の指導に反して朝鮮大学校卒業生の受験資格を認めたことがきっか
サイタマンのMF報告書 FILE.4「叩け! 明日のために」 2012年10月04日 07:00 コラム 9月24日。今日は、ウリ民族フォーラム2013 in 埼玉実行委員会設立準備委員会第2回会議の日。会議名がもう寿限無だ。どんどん長くなっていく。 おっと俺の名は、サイタマン。安易に短いその名に込められた同胞たちのジュテームな想いを胸に、今日も俺は高崎線上り電車に乗り、JR浦和駅東口に颯爽と降り立つ! …間違えた。本部は西口だった。
労組「港合同」が大阪で街頭宣伝、「子どもたちの笑顔奪わないで」 2012年10月04日 15:52 主要ニュース 全国金属機械労働組合港合同(港合同、大阪市港区)が3日、朝鮮学校への「高校無償化」即時適用と、大阪府と大阪市が打ち切った補助金の再交付を求め、大阪・弁天町駅前で街頭宣伝活動を行った。 港合同は、金属関係・病院・飲食関係などさまざまな職場で働く労働者が結集した労働組合。この日、約20人のメンバーが集まり、午後5時から1時間にわたって500枚のビラを通行人たちに配った。港合同が朝鮮学校の問題について街頭で宣伝するのは、今回が初めてだという。 港合同の中村吉政副委員長(64)は、府と市が公務労働者への異常なまでの統制と支配の強化を進め、公務員労働組合の活動を制限し、また教育に介入するばかりか、地域福祉の運営や助成を廃止するなどの政策を取っており、それらは朝鮮学校への補助金廃止と一つに
(4)みんな、公明、安倍自民…連携先も次々…から続く“私怨への復讐”原動力に…目玉の諸施策も道半ば 首相の野田佳彦が代表に再選された民主党が、相次ぐ離党で窮地に追い込まれている。新党「日本維新の会」にも少なくとも3人が合流。衆院での過半数割れが現実味を帯びている。 不穏な動向に対し、日本維新代表の大阪市長、橋下徹は、引き抜きによる民主の切り崩しを強く戒める。橋下には「スケベ心が出た瞬間に日本維新は消滅する」との危惧がある。 合流国会議員が一時強めた引き抜き工作に対し、橋下は9月21日、記者団に「望ましくない」と明言。「大きな戦略は国会議員より僕の方がたけている」とまで言い切った。2日後、民主離党組の元官房副長官、松野頼久は「数だけ集めて過半数割れをといったことは考えていない」と語らざるを得なかった。 日本維新は、良くも悪くも橋下の“ワンマン政党”とならざるを得ない。「ふわっとした民意」を集
大阪にて開催された、「私の心の中の朝鮮学校」出版記念会に参加してきた。 東北人的に、大阪鶴橋の雰囲気はなんとも言えず密度が濃くってウキウキした。コンディションが良ければ色々散策したかったのに残念。 たくさんの人に出会えて、久しぶりに親戚にも再会できて、本当にうれしかった。 記念公演では、大阪朝高美術部と声楽部の学生たちが大活躍。いやぁ、愛おしかったなあ。そんな彼らが、高校無償化から除外されて傷ついている。 日本は、グローバル人材がどうの、国際化がどうのと謳うけど、自分たちの社会の内部に抱えるマイノリティ問題を克服することがその第1ステップだろうに。 その大事なステップの一つが朝鮮高校への無償化適用だろうに。反対する人もいて当然だと思うけれど、日朝間の政治問題と折り合いをつける努力は互いの政治家がすべきであって、子供の学ぶ権利は政治問題よりプライオリティが高い、と自分は思う。もし無償化に反対
意見交換会で技芸員を前に意見を述べる橋下徹大阪市長(奥右端)=大阪市役所で2012年10月3日午後6時34分、金澤稔撮影 文楽協会に対する大阪市の補助金削減を巡り、橋下徹市長と協会、文楽の技芸員(演者)47人が3日、市役所で公開の意見交換会を開いた。橋下市長が求める補助金の使途の透明化などに技芸員らが大筋で合意し、市長は凍結していた今年度分の補助金3900万円を支出する方針を決めた。 橋下市長は冒頭、「伝統芸能にしきたりがあるように補助金にもルールがある」と話し、協会の運営費として市が一定額を毎年支払う仕組みを問題視。協会や技芸員に観客を増やすインセンティブ(動機付け)が必要と指摘し、事業ごとに審査したうえで助成する仕組みへの転換を要求した。使途を透明化するために領収書の提出を求めることなども求めた。 これに対し、技芸員からは「若手に教えることで手いっぱいで、新たな事業をする時間がない」な
日本と韓国、双方の文化を紹介する催し「日韓交流おまつり」が韓国のソウルで開かれ、島根県の竹島を巡って、政治的に関係が冷え込むなか、両国の人たちが文化を通じた交流を深めました。 この催しは、2005年の日韓国交正常化40周年を記念して始まったもので、8回目となることしは、先週の東京に続き、3日、ソウル市内の会場で開かれました。 ステージでは、両国の伝統芸能などが披露され、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県の宮古水産高校の生徒たちによる太鼓の演奏や、福島県いわき市の温泉リゾート施設のフラガールによるダンスショーに、大きな拍手が送られていました。また、会場には、日本の着物を試着できるコーナーや日本各地の観光地を紹介するコーナーなども設けられ、大勢の人たちでにぎわっていました。 このところ日韓関係は、島根県の竹島を巡って、政治的に冷え込んでいますが、会場の案内などに当たる韓国側のボランティアに
山梨県の横内正明知事は10~13日、韓国を訪れ県産品のトップセールスを行う。県と忠清北道が姉妹締結20年を迎え記念式典を開くことを契機に訪韓する。島根県・竹島の領有権を巡り政府間はぎくしゃくしているが、横内知事は「(県と忠清北道という)草の根レベルの交流に支障はない」と説明している。3日の定例記者会見で明らかにした。10日、忠清北道の清州を訪れ記念式典に出席。11日、清州で開か
今年になって岸信介を描いた本が2冊、相次いで出版された。 福田和也氏の『悪と徳と 岸信介と未完の日本』(産経新聞出版)と工藤美代子氏の『絢爛(けんらん)たる悪運 岸信介伝』(幻冬舎)である。ともに約500ページという力作だ。 言うまでもなく、昭和32年から35年まで首相をつとめた自民党の政治家である。35年には日米安全保障条約を改定、米国との強固な同盟関係を築き上げた。 ところが没後25年たつのに、家族や側近のものをのぞき、正面からその功績を評価した出版物はほとんどなかった。それどころか、これほど悪評に包まれた政治家もいない。 『絢爛たる…』によれば、岸は同じ首相経験者の田中角栄を訪ねてこうぼやいたことがあるという。 「キミは闇将軍などと呼ばれて迷惑がっているけど、ボクなんか妖怪だよ、ひどいもんだ」 悪評の要素はいくつもあった。日米安保そのものへの批判であり、改定のさい国会に警察官まで導入
いつからだろう。新聞の訃報欄を読みながら、故人の年齢を自分のと比べるようになったのは。それにしても、流通ジャーナリスト、金子哲雄さんの41歳は若すぎる。つい最近までテレビで活躍していた印象が強いから、余計に驚いた。 ▼ジーンズからミサイルまで、あらゆる製品の流通過程に精通していた金子さんのもうひとつの肩書は「国際値切リスト」だ。たとえば車の購入は、決算期前がおすすめだという。販売ノルマを達成するために、割引される可能性が高いからだ。あらゆる情報から「底値」のヒントを探す「値切り術」を、小紙でも披露している。 ▼半生をつづった『ボクの教科書はチラシだった』(小学館)によると、その原点は「買い物担当大臣」だ。金子さんが小学2年生のときに、両親から任命された。手伝いとして、買い物を任されただけではない。毎日、母親から買い物リストとお金を渡され、そのおつりが小遣いになる仕組みだ。 ▼毎朝チラシをチ
■「虐殺」に触れなければ検定通らず 日本「南京」学会が解散した。同学会は昭和12年12月、日本軍が当時の国民党政府の首都、南京を占領した際、市民多数が虐殺されたとの説を検証するために平成12年に発足した。12年間の研究の結果、非合法で殺された軍人、市民はほとんどおらず、「虐殺」は当時の国民党政府のプロパガンダであることがはっきりした。所期の目的を達したとして解散したのである。 「南京虐殺」については同学会だけではなく、多方面から疑問が出され、河村たかし名古屋市長も「南京戦はあったが、南京虐殺はなかった」と述べている。今回の学会の調査でなかったことが結論づけられたわけだが、現在の多くの中学校社会の教科書は「虐殺」があったという前提で書いている。 中学社会の教科書を作成しているのは7社。自由社は「日本軍による南京占領の際に、中国軍民に多数の死傷者が出た。のちに南京事件として喧伝(けんでん)され
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く