沖縄県の翁長雄志知事が昨年10月まで務めた那覇市長時代、沖縄振興一括交付金の活用を計画して進めたシンボル像「龍柱(りゅうちゅう)」が那覇市内に姿を現した。 龍柱は高さ約15メートル、幅約3メートルの2体の龍の形をした柱。那覇市が中国・福州市との友好都市締結から30年の記念事業として平成24年度に設置を決定し、旅客船の停泊場所近くに置いた。 設置工事は完了し、2体とも覆っていたシートが外された。工期は今月25日までで、道路舗装など関連工事を続けている。 当初の総事業費は約2億6700万円で、8割にあたる約2億1300万円は国からの交付金を充てる計画だったが、工事の遅れなどに伴い交付金の未執行分を次年度に繰り越すことができず、大半が市の負担になった。工事の遅れや照明の追加設置により最終的な総事業費は約3億3300万円に上った。
わが国の原子力政策を決めるのは政府であり、原子力規制委員会ではない。だが現状は、ほとんど国民の支持を失った民主党・菅直人政権の残した規制委の独断がまかり通ろうとしているかのようだ。 国家行政組織法による第3条機関として設置された規制委は委員長の任免を天皇が認証し、公正取引委員会同様、内閣総理大臣といえども介入はできない。強い権限を与えられた分、規制委には、「中立公正」さと運営の「透明性」が設置法によって求められている。だが、田中俊一委員長以下規制委はその法的要件を満たしているだろうか。 田中氏は11月13日、高速増殖炉「もんじゅ」の運営母体である日本原子力研究開発機構の能力を否定し、半年後に機構に代わる専門機関を探せなければもんじゅを根本的に見直せと勧告した。高速増殖炉を扱える専門家集団は機構以外には見当たらないため、同勧告はもんじゅの廃炉にとどまらず、高速増殖炉を中核とする核燃料サイクル
米カリフォルニア州で14人が死亡した銃乱射事件を受けて、銃規制を求める声が再び上がっている。当然だろう。ニューヨーク・タイムズは5日、1920年以来95年ぶりという、1面に掲載した社説で「銃の蔓延(まんえん)は国家の恥辱」と訴えた。 ▼もっとも、日本から見てどうにも理解できないのは、同時に銃器の売り上げが伸びている事実である。これまでも銃の乱射事件が起きるたびに、同じ現象が見られてきた。悲惨な事件は、国民の自衛意識を逆に刺激するようだ。 ▼年明けには、24時間放送の銃器専門ショッピングチャンネルまで、お目見えするという。オバマ大統領は、銃規制の強化を訴え続けてきた、その在任中に、かえってより多くの銃が出回るという、皮肉な事態を招きかねない。 ▼規制に反対する人たちが後ろ盾にするのは、憲法である。1791年に制定された、合衆国憲法修正第2条にはこうある。「規律ある民兵は自由国家の安全にとって
朝鮮の王室図書館である奎章閣は、民族の誇りであり、残念な空間だ。32万点余りの資料の中には、歳月を経ても変わらず王の息遣いまでが記された『承政院(スンジョンウォン)日記』約3200本をはじめ、国宝『朝鮮王朝実録』などが含まれている。世界のどこにもこれほど膨大な記録はない。 惜しいのは、こうした宝物がまともに活用されていないということだ。以前「取り上げることもない本が多いのみならず、本格的に研究されたものも10%に過ぎない」というある史学者の嘆きを聞いたことがある。 それでも悲しむべきことはない。取り出せる秘話が無尽蔵だということではないか。どうであれ新しい事実が出てくれば評価は変わるはずだ。柔弱だったという高宗(コジョン)がまさにそうだ。彼が朝鮮の独立を主張して欧州に送った手紙が発見されながら再評価されている雰囲気だ。 不都合な話もないわけではない。小説『刃物の歌』の出版を機に、李舜臣(イ
女性の下着を見たいなら他にも方法はあるだろう。しかし、この男には側溝のふた越しに眺める下着以外に興味がないらしい。「生まれ変わったら道になりたい」。2年半前、側溝内から女性の下着をのぞき見たとして兵庫県警に逮捕された際にそう供述し、世間を驚愕(きょうがく)させた通称「側溝男」。更生したかと思いきや、今年11月、再び同じ罪を犯して逮捕された。尿意や空腹に耐え、何時間も側溝で息をひそめる。実は男の側溝侵入は十数年前から続き、近所でも有名だった。男は取り調べに対し「側溝の中から下着を見たくて仕方がない」と開き直ったという。なぜそこまで側溝に執着し、下着のぞきという性的嗜好(しこう)と結びついたのか。 未明から5時間も側溝潜入 街の明かりがすっかり消え、人の往来もなくなった8月16日午前3時ごろ。神戸市東灘区で両親らと暮らす男(28)は、Tシャツに短パン姿で静まりかえった自宅を出た。 目的地は同区
国際人たるべしという要望はこの国の内外で依然、強いようである。小学生の低学年から英語を教えるべきだという意見も、それに関連してよく語られている。しかし、私はそういう考え方に疑問を感じている人間の一人である。その一つの理由は、その人自身は国際人でないのに、国際人を説いている場合が多いような気がするからだ。 ≪本格的な日本語教育を≫ 実は私も自分の娘を国際人にしようとして努力したことがないわけではなかった。本人の希望や、私の日本の大学への失望感もあり、大学から大学院にかけてはイギリスで教育を受けさせることにした。一応、その甲斐もあって、娘は英語を使い、アメリカの国際企業に勤務し、シンガポールを拠点に活動している。しかし、どうも最近はそのマイナス面が目について仕方がない。 娘はロンドンかパリに家を建てるといっている。つまり娘に会いに行くときには国際線に乗らなければならない。 また、最近は本を書く
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