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東京裁判に関するdj19のブックマーク (4)

  • Apes! Not Monkeys! はてな別館 - 箸にも棒にもかからぬ愚論、「受諾したのは判決だけ」

    あちこちでコピペされているのが「小林よしのり氏が「ゴー宣・暫」の中でネット保守との共闘を求める」というネタ。それが当かどうかなんてどうでもいいのだが、ともかくそのネタによれば「今後、講和条約第11条の件でデマを流している知識人がいたらただちにネットで攻撃してくれ」とされているんだとか*1。「講和条約第11条の件でデマ」というのはもちろん、「日はサンフランシスコ講和条約第11条によって、連合国による軍事裁判を受けいれた」という主張を指すわけである。 それにしてもあれだね。「裁判全体を受け入れた」という主張に賛成しないのは勝手だけど、日政府がとっている立場と同じことを言ったら「デマ」呼ばわりとはね(笑) このネタに早速反応しているのが野良氏。 野良 『「第11条を受諾したんだから、東京裁判の趣旨と判決理由も全て受け入れたんだ」という主張をしているブログは時々みかけますね〜。 小林よし

    Apes! Not Monkeys! はてな別館 - 箸にも棒にもかからぬ愚論、「受諾したのは判決だけ」
  • asahi.com(朝日新聞社):日本人元弁護人「東京裁判判決文に関与」 61年に証言 - 社会

    第2次世界大戦後、日戦争指導者らをさばいた極東国際軍事裁判(東京裁判)で、A級戦犯の日人弁護団の一人が「判決文の作成に携わった」と、1961年に法務省の聞き取り調査に答えていたことが分かった。国立公文書館が聴取書を所蔵していた。具体的な内容は明かしていないが、連合国判事が言い渡した判決文をめぐって被告側の関与が明らかになるのは初めてだ。  この弁護人は、東京帝国大教授だった高柳賢三氏。鈴木貞一・元企画院総裁(終身刑)の弁護を主に担当した。東京裁判の基的な枠組みとなった英米法の第一人者で、被告らが問われた「平和に対する罪」などは戦勝国が後から作ったもので、国際法上認められていないと反論。弁護団の理論的支柱となった。  聞き取り調査は、61年5月にあった。法務省は当時、裁判資料の収集を兼ねて、仮釈放された被告人や弁護人らをインタビューしていた。  高柳氏は、B4判7枚ほどの聴取書の中

  • HEIWAJOUYAKU11.htm〔サンフランシスコ条約11条の訳語〕

    サンフランシスコ条約11条の訳語 2005年の5月頃、右翼・右翼学者・右翼作家・などが、靖国問題に関連して、サンフランシスコ条約11条の訳語が誤訳であるとの説を盛んに唱えたことがあります。あまりにも低レベルな誤りで、議論するのもばかばかしい気もします。しかし、彼らは、マスコミを使って、国民を扇動し、悪質な軍国主義的愛国心を振りまいているように思えます。ここでは、右翼達の主張がデタラメであることを示します。 以下は、2005年9月から12月にかけて、Blogに書いたものの転載です。 目次 1.「裁判」とは何か「判決」とは何か 2.「judgment」と「sentence」 3.「judgments」が複数形になっている理由 4.右翼系評論家の誤りの源 5.サンフランシスコ条約11条の目的 6.極東国際軍事裁判所の判決 7.第17条でも judgment は裁判と訳されている 8.日は極東国

    dj19
    dj19 2008/11/23
    サンフランシスコ条約11条について
  • 中島岳志『パール判事』

    中島岳志『パール判事』 まったく偶然であるが、新聞などの予告をみると、日(07年8月14日)放映されるNHKスペシャル「パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判 知られざる攻防〜」(午後10時・総合)は、中島の書『パール判事』の主張をほぼ番組化したものになりそうである(付記:今見た。すばらしい内容。この中島の中身の反映もさることながら、東京裁判が結論の決まった単なる茶番劇ではなく、判事同士の激しい確執のある、きわめて動的なプロセスであったことが浮き彫りになった番組だった。そして東京裁判の「成果」が平和憲法や国際司法の発展に寄与していることもわかるものになっている)。 ぼくは今、東京裁判について書かれたものをいくつか読んでいるが、東京裁判そのものが膨大な資料があるために、とても「そのもの」を読むところまでいかない。たとえば冨士信夫『私の見た東京裁判』(講談社学術文庫)にしても、裁判の全

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