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国家による「浪費」を許した国民の"末路" 『国富論』でアダム・スミスが警告
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国家による「浪費」を許した国民の"末路" 『国富論』でアダム・スミスが警告
「神の見えざる手」という言葉で知られるアダム・スミスは、一部から自由放任主義の思想家だと誤解され... 「神の見えざる手」という言葉で知られるアダム・スミスは、一部から自由放任主義の思想家だと誤解されている。だが主著『国富論』では、国家の役割について触れ、国家による「浪費」を警告している。元国税調査官の大村大次郎氏が『国富論』の内容を「超訳」で紹介する――。 ※本稿は、大村大次郎『超訳「国富論」――経済学の原点を2時間で理解する』(KADOKAWA)を再編集したものです。 国の浪費こそが国力を弱める元凶である 前回は、国富論の大きな主旨として「モラルを守った上での自由な経済活動」があるということを述べた。 国富論には、もう一つ大きな主旨がある。それは、「国による浪費」への警告である。 国富論では、 「各個人の浪費や不始末で、国全体が貧しくなることは決してないが、公的な浪費や不始末でそうなることはたびたびある」 「そして、公的な浪費や不始末は、国民一人ひとりの忍耐によって償わされることになる」

