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明治政府を支配できたはずなのに…最後の将軍・徳川慶喜の"痛すぎるしくじり" 人生を暗転させた「見込みの甘さ」
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明治政府を支配できたはずなのに…最後の将軍・徳川慶喜の"痛すぎるしくじり" 人生を暗転させた「見込みの甘さ」
なぜ徳川慶喜は260年続いた江戸幕府の政権を朝廷に返したのか。歴史研究家の河合敦さんは「薩長が倒幕の... なぜ徳川慶喜は260年続いた江戸幕府の政権を朝廷に返したのか。歴史研究家の河合敦さんは「薩長が倒幕の準備を進めていたことに加え、自分が新政府の盟主になれるはずだと考えていたからだろう。ところが、判断ミスが続き、人生は暗転した」という――。(第3回) 幼少期から期待されていた慶喜 江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜は、水戸藩主・徳川斉昭の子として生まれ、一橋家(徳川御三卿の一)の家督を継いだ。幼少より聡明だったので、斉昭もその将来に大いに期待を寄せ、ことのほかかわいがった。 やがて病弱な13代将軍・家定に子が生まれる可能性のないことがわかると、斉昭をはじめ開明的な雄藩の大名たちは、その後嗣に慶喜を強く推した。ところが、大老の井伊直弼が紀州藩主・徳川慶福よしとみ(家茂)をその座にすえ、反発した一橋派の大名を弾圧(安政の大獄)、慶喜も数年間の逼塞ひっそくを余儀なくされた。 しかし文久2年(1862)に

