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だから徳川幕府は15代も続いた…徳川家康が「病弱で愚鈍な家光」を3代将軍に指名した納得の理由 将軍は必ずしも「健康で優秀」である必要はない
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だから徳川幕府は15代も続いた…徳川家康が「病弱で愚鈍な家光」を3代将軍に指名した納得の理由 将軍は必ずしも「健康で優秀」である必要はない
家康は孫の誕生を大いに喜び、自分の幼名である竹千代の名を与えた。やがて家光は、三代将軍に就いて将... 家康は孫の誕生を大いに喜び、自分の幼名である竹千代の名を与えた。やがて家光は、三代将軍に就いて将軍の権威を高め、幕藩体制を整備して徳川政権を盤石にするという大きな功績を残した。 家光が誕生する3年前、秀忠には長丸という長男が生まれたが夭折ようせつし、家光誕生時にはこの世にいなかった。しかも家光の母は、秀忠の正室・お江だから、彼が将軍に就くのは当然だと思うだろう。しかし、もともと家光は、将軍になる予定の人物ではなかったのである。 当時はまだ、長子相続は確立していなかったのだ。確かに長男が家督を継ぐケースが多かったが、「才覚ある者が跡継ぎにならねば家の存亡にかかわる」という戦国の遺風がまだ残っていた。ゆえに、「心身に難あり」と判断された者は嫡子から排除された。 幼少年期の家光は、ほとんど言葉というものを発せず、家臣に声をかけてやることもなく、何を考えているかわからない子供だった。端から見ても愚

