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進撃がぴたりと止まった…生涯最大の負け戦で存亡の危機にあった家康を救った"ありえないほどの強運" 三方原の戦い後に信玄の急死でピンチを脱出
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進撃がぴたりと止まった…生涯最大の負け戦で存亡の危機にあった家康を救った"ありえないほどの強運" 三方原の戦い後に信玄の急死でピンチを脱出
駿河攻めではウィンウィンの関係だった徳川家康と武田信玄の同盟は、1572年、決定的に破綻。信玄は大軍... 駿河攻めではウィンウィンの関係だった徳川家康と武田信玄の同盟は、1572年、決定的に破綻。信玄は大軍を率いて家康の領地に侵攻する。歴史学者の黒田さんは「有名な三方原合戦は、徳川軍の物見の兵が偶発的に始めてしまった可能性が高い。そして、これほどの大敗は、家康にとってまさに最初で最後の生涯に一度だけのことだった」という――。 ※本稿は、黒田基樹『徳川家康の最新研究』(朝日新書)の一部を再編集したものです。 家康の領土に攻め入った信玄はやっぱり強かった 信玄は元亀3年(1572年)11月晦日に二俣城を攻略すると、同城に進軍し、同城の普請をすすめた。これは信玄が、同城を遠江支配の拠点にしようとしたことを示していよう。家康はいよいよ信玄を迎え撃たなければならなくなった。 しかし家康と信玄では、動員できる軍事力にあまりにも格差があった。それを解消するには信長の援軍が必要であったが、信長自身は朝倉・浅井

