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このままでは小田原城や小倉城の二の舞になるだけ…メディアが報じない「名古屋城天守再建問題」の本質 名古屋城は「日本の伝統的木造建築技術の最高到達点」だった
加賀(石川県南部)藩主の前田綱紀に天守台の再建が命じられ、それは完成したのだが、当時の将軍であっ... 加賀(石川県南部)藩主の前田綱紀に天守台の再建が命じられ、それは完成したのだが、当時の将軍であった4代家綱の叔父、初代会津藩主の保科正之が、天守について、軍用としては役に立たず、ただ遠くが見えるだけのもので、そんなものよりも町の復興に人力を割くべきだ、と提言。それが受け入れられて、再建が中止されたのである。 保科正之が反対したという史実を踏まえ、再建すべきでないとする声もある。370年近く前に「必要ない」と決めたものを建てるのは、そもそも幕府の意思に反するのではないか、というのである。 だが、それは違う。当時の徳川幕府は江戸城に天守が「必要ない」と判断したわけではない。復興の優先順位を決める際、天守が後回しにされたにすぎない。だから、以後も6代将軍家宣と7代将軍家継の正徳年間(1711~16)に再建案が浮上し、詳細な図面も作成されたが、財政難が理由で実現しなかった。幕府は天守の再建を積極的



2024/12/29 リンク