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重大ニュース参考記事:基礎から分かるチベット問題(上)歴史と仏教(2008年5月5日掲載) - 毎日jp(毎日新聞)
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重大ニュース参考記事:基礎から分かるチベット問題(上)歴史と仏教(2008年5月5日掲載) - 毎日jp(毎日新聞)
◇歴史は? ◇7世紀「吐蕃」--1950年から解放軍進駐 中国南西部、崑崙(こんろん)やヒマラヤの山... ◇歴史は? ◇7世紀「吐蕃」--1950年から解放軍進駐 中国南西部、崑崙(こんろん)やヒマラヤの山々に囲まれた雲表の地チベット。アジアの大河の源流域でもある高原に統一国家「吐蕃(とばん)」が成立したのは7世紀だ。その名は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の紀行「大唐西域記」や、平安時代に編さんされた奈良時代の史料「続日本紀」にも登場する。 吐蕃には勢いがあった。唐の皇帝の娘を王妃に迎えたり、763年に戦乱で疲弊した唐の都、長安(現在の西安)を占領し、皇帝を擁立したりした。仏教の国教化は8世紀。インドと直接、交流し、イスラム教やヒンズー教に押され、消えつつあった当時のインド仏教を受け継いだ。 9世紀半ばに吐蕃は分裂、衰退した。その後、勢力を伸ばしたモンゴル人支配者はチベットと深くかかわった。元の初代皇帝フビライはチベット僧を重用。チベット支配の代行役とした。元はチベット仏教も導入した。 明代、