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手塚治虫と医師免許 - 漫棚通信ブログ版
(前回からの続きです。最終回) 中野晴行「そうだったのか手塚治虫 天才が見抜いていた日本人の本質」... (前回からの続きです。最終回) 中野晴行「そうだったのか手塚治虫 天才が見抜いていた日本人の本質」(2005年祥伝社新書)が最近刊行されました。著者は手塚治虫に関しては専門家と言っていい人物ですが、彼が手塚治虫に関するデータの根拠にしてるのが、「手塚治虫展図録」(東京国立近代美術館・朝日新聞社)です。 わたし持ってません。おそらく詳しい手塚年譜も掲載されてるのでしょうが、今、簡単に読める手塚治虫の年譜は、以下の2種。 ・asahi.comの「飛べ!鉄腕アトム」のコーナーの年譜 ・手塚治虫@ワールドの年譜 後者は、「手塚治虫全史 その素顔と業績」(1998年秋田書店)に掲載されている年譜と同じもののようです。この2種の年譜とも、大阪大学附属医学専門部入学が1945年、卒業が1951年で、一致してます。6年かけての卒業ですが、この時期、阪大医専部は5年制。1年留年してることは年譜には書いてあり