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あの城下町が選ばれた裏事情(福岡・仙台・萩)
『消えた江戸300藩の謎』(イースト新書Q)では、関ヶ原の戦いのあと、新しい城下町が建設されかつての... 『消えた江戸300藩の謎』(イースト新書Q)では、関ヶ原の戦いのあと、新しい城下町が建設されかつての城下町が消えた裏事情なども紹介している。そのうち、今回は新しく建設された福岡、仙台、萩と消えた名島、岩出山、山口を紹介しよう。 筑前一国を与えられた黒田長政は、豊前中津から小早川隆景・秀秋が本拠とした名島城に移ってきた。博多湾の北端の小さい丘の上である。小早川隆景は安芸や伊予での本拠地選定でも、あまり城下町の発展に力点を置かず、水軍の根拠地としての機能を重視したように見える。 しかし、黒田長政の父で築城の名人だった官兵衛は、城下町を重視していたので、博多とも有機的に連携できる城地選定を考えた。候補のうち、住吉はまったくの平地で防御が難しく、筥崎は河川が防御に使えるが水攻めに弱そうで、西公園のあたりは地盤が悪いということになり、福崎が選ばれた。これが福岡となった。 南に丘陵が続くのが欠点だが、