
エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
伊達政宗の書状、新たに見つかる 妻木頼利宛て、細川忠利と交流も | 毎日新聞
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています

- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
伊達政宗の書状、新たに見つかる 妻木頼利宛て、細川忠利と交流も | 毎日新聞
山形大の松尾剛次名誉教授(日本中近世史)は11日、戦国大名で初代仙台藩主・伊達政宗の新たな文書を兵... 山形大の松尾剛次名誉教授(日本中近世史)は11日、戦国大名で初代仙台藩主・伊達政宗の新たな文書を兵庫県立歴史博物館(姫路市)で発見したと発表した。政宗が晩年使っていた花押(サイン)があることや書状の内容、他の史料の記録から、江戸時代の寛永12(1635)年に政宗から旗本の妻木頼利に宛てた書状と推定した。 文書は現代語訳で「3月16日朝、(戦国大名の)細川忠利が(江戸にあった政宗邸を)訪問するので、先約がなければ妻木もご一緒しないか」との内容。松尾氏は「妻木氏は大名ではなく(石高が)7500石の旗本で、政宗は62万石の大名。細川忠利も肥後熊本藩54万石の初代藩主であることから、政宗が家格の違いを気にせずに、交流していたことがわかる史料だ」と解説した。